ルソーの夢想と、いじめられっ子たちの反撃。「孤独な散歩者の夢想」再読。


 アメリカのイラン核施設攻撃について、トランプ大統領は「圧倒的な軍事的成功だ」と述べました。 

 「米国とイスラエル、世界にとって歴史的な瞬間だ。イランは戦争の終結に同意しなければならない。ありがとう!」

  ──なんと恐ろしい言葉でしょう。平和のためと言いながら、私には第三次世界大戦の幕開けにしか思えません。

 日本も決して無関係ではありません。事態が進めば、「国家総動員法」のようなものが再び顔を出すことだってあるかもしれません。

  そういえば今日、道路側の道を譲ってくる不遜な男性に出会いました。思わず、 「まぁ、こういう男性が戦争に行ってくれるなら、ありがたいかもね」 と、妙な納得をしてしまった私・・。

 小さなおばさん(私のことです)は、こうやって心のどこかで恨みを晴らそうとしてしまうのかもしれません。 哀れですね。 

 そんな今日、私はルソーの『孤独な散歩者の夢想』を再読しました。おそらく・・20年、いや30年ぶりでしょうか。





 孤独な散歩者の夢想(ルソー)


 【あらすじ】

 十八世紀以降の文学と哲学はルソーの影響を無視しては考えられない。しかし彼の晩年はまったく孤独であった。人生の長い路のはずれに来て、この孤独な散歩者は立ちどまる。彼はうしろを振返り、また目前にせまる暗闇のほうに眼をやる。そして左右にひらけている美しい夕暮れの景色に眺めいる。――自由な想念の世界で、自らの生涯を省みながら、断片的につづった十の哲学的な夢想。

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 ・感想

 若い頃、私はルソーが大好きでした。

 太宰治、ドストエフスキー、ルソー。この三人が私の心の三大巨人でした。

 伝記を読み漁り、作品だけでなく人となりを追いかけていました。

 ルソーの作品は難解で、『社会契約論』『告白』『対話』などは何度も挑戦しては挫折・・ 要するに、途中で投げ出したものばかりです(笑)。

 その中で唯一、私が心から愛したのがこの『孤独な散歩者の夢想』でした。 世間から迫害された著者が、散歩をしながら夢想にふけるという一見「イタい」物語。

 しかしその文章は鋭く、ただの被害妄想にとどまらず、人生と人間に対する深い洞察に満ちています。 

 若い私は、「この狂人(と言われた人間)は、一体何者なのか」と本気で震えながら読みました。 

 社会の醜さと向き合うように、文中では植物学の純粋な美しさも描かれており、そのコントラストにも強く惹かれたのを覚えています。 

 --- そして30年ぶりに読み返した今回── やはり難しかった。 若い頃の私が本当にルソーを理解していたのか? それとも、今の私が年齢を重ねて凡庸になったから、読み解けなくなったのか・・・。 何度も何度もページを戻しながら、進みました。 

 それでも、やはりルソーの言葉には、「ハッ」とさせられる瞬間が数多くありました。やはり私は、この人が好きなのだと思います。 


 ・ルソーという人

 昔読んだ伝記には、ルソーに「露出癖」があったと書かれていました。 

 彼は女性たちを驚かせるのを楽しんでいたらしく── そこだけ読むと確かに「狂人」だと思えてしまいます。 

 でも、私は思うのです。 ルソーは頭が良すぎたのではないか。 だからこそ、人に憎まれた。 

 そして、人が良すぎたのではないか。 だから、騙されたり利用されたり、恨まれたりした。 

 彼は、要するに「いじめられっ子」だったのではないかと。 

 『孤独な散歩者の夢想』には、そんな彼の「恨み節」が、哲学的夢想の合間にたくさん綴られています。 それが切実で、そして美しくて。読むたびに、心のどこかをぎゅっと掴まれます。

  興味のある方は、ぜひ手に取ってみてください。



 ・そして、再びイラン問題へ

 イランもまた、「いじめられている」のではないでしょうか。 

 攻撃され、施設を壊されたとして── はい、これで平和です! とは到底ならないはずです。

 ルソーのように、いじめられた人は精神的に反撃をします。 

 その反撃がどんな形になるのか、想像するだけで怖くなります。 

 私はトランプ大統領を、かつて「平和を目指す人」だと思っていました。 でも今回の件で、少し幻滅してしまいました。 

 「第三次世界大戦」・・・ 変換ミスで「大惨事世界大戦」と出ましたが、まさにその通りにならないことを、心から祈ります。 



 今日も最後まで読んでくださって、どうもありがとうございます。 

 どうか皆さまに、穏やかで、優しい時間が訪れますように。 

 祈りを込めて。 




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