日本衰退日記、その1。

 

 こんにちは!

 兵庫県のパワハラ知事のやり直し選挙の結果が気になる著者です、お元気でお過ごしでしょうか。

 あれですよね、選挙の結果次第で、パワハラ処分の前例が決定するというのか、今後の日本にとってかなり大きな意味を持って来ますよね。SNSでは、一般市民が勝手に(斉藤元知事擁護で)盛り上がっているらしいですけれど。本当でしょうか。

 パワハラ知事が問題不問で再選するなんて、権力を持っている側の国や地方公共団体こそが得をする判例(前例)になるのであって、一般市民が斎藤元知事を許して得をする意味がわからないですからね。さて、どうなることやら。


 兵庫県知事選「頑張れ、斎藤元彦!」続出の異常事態…まさかの再選なら県政はカオス確実

 


 今日のブログは個人的な備忘録として、最近少し驚いた体験を2例書きたいと思います。

 最近自治体が並木道の木を邪魔だからと伐採したり、公園の木々を丸裸に刈ってしまったり、公共のオブジェを撤去したりと、精神性や金銭の両方の面で貧しくなった日本を思い起こさせるような、見た目的には小さな変化(私個人には大きな変化ですが)がちょいちょいと起こっています。

 11月も私の大好きだったものが、また失われました。


 まず一つ目は、道の交差点に立っていた公園入り口の指標。木で出来た古いけれど味わい深い案内板でした。(下の写真は10年ほど前のもの、ゲームの画面から拝借)




 これは私が若い頃からずっとこの道にあり続けたものです。鳥が2羽止まっていて、指標を木の枝に見立てているのが可愛らしくて、いつもこのそばを通ると、ほっこりしたものです。
 

 ところが、なんとこの間この道を通りかかったら、案内の木の指標が、ない。




 一気に寂しくなってしまった交差点の風景にギョッとしました。

 まぁ、30年くらいは立っていますから老朽化も激しかったのでしょうが、あんなものを撤去しよう、失くそうという、心持ちが理解できません。いつもそこにあり続けた町(地域)の文化財のようなものかと思いますし、案内板としての役割も大きかったと思いますが。
 おそらく、公園の入り口と思われて道に侵入されると困るという住民からの苦情か何かではないかと思われます。(そうじゃないと理由が理解できません)




 (写真上↑ 小鳥たち)

 可愛かったなぁ。
 本当に、何十年も楽しませてくれてどうもありがとう。

 若い頃、道をよく知らないときは、この案内板を頼りに、公園にたどり着いていました。
 私を導いてくれて、本当にどうもありがとう。
 あなたは、地元の宝でした。


 失われたもの、もう一つは、別の公園の入り口付近にあった花のオブジェです。

 写真下、在りし日の姿。↓
 (こちらもゲーム画面から拝借)




 暑い日も、寒い日も、可愛いお花を飾ってくれていた緑の財団が、急にお手入れを放棄したみたいです。先日通りかかったら、下のような無惨な姿になっていました。↓




 縦に色を配色したり、斜めの渦巻きに花の色を配色したり、奇抜な色のデザインでも毎回楽しませてくれたオブジェでしたが、ついにお役目を終了したようです。

 一時的なものかと思いたくて、財団に電話して聞いてみましたが、ああ、とか、はぁ、とかいう返事しかいただけませんでした。(よくわかっていない方のようでした)その後も花は復活していないので、一時的なものではないようです。(もう少し経過観察いたしますが)

 今まで、一年三百六十五日、そこに在り続けて、咲き続けていたもの急に無くなるのですから、やはりこの先も咲くことはないような気がします。予算を削ったと考えるのが妥当かと。

 貧しくなりましたね、日本。

 心の遊びが無くなった。お金の余裕がなくなった。精神面、現実面、両方で貧困の国になってしまいました。

 無くなってあらためて気がつく、本当に好きだったんだなぁ、と思える当たり前の風景。今の風景も大切に心に刻んでおかないといけませんね。いつ無くなるかわからないので。


 あと、先日ちょっと山梨の田舎に行ったんですけれど、その風景が昔の国鉄のようで良かったですね・・
 ところが、改札が無人の自動改札なんですよね。今では当たり前ですけれど、その横に駅舎のような建物が残っていて、それが廃墟のようになっている。そこが切なかった。
 おそらく在りし日は、その駅舎にたくさんの制服を着た国鉄の職員がいらして、町の人々とコミュニケーションをとっていらしたのだろうなぁと思います。

 国鉄の旅情ある風景も失われたものの一つ。大好きだった昔の貧しい日本の象徴ですね。

 今の日本は豊かになって変わって、そしてまた貧しくなって。



 一周して戻って来たけれども。

 昔の貧しかった日本の、古き良き時代の美観や慕情は全部失われてしまっているような気がします。

 改革という名のもとに、古い時代の良いところだけが消えていき、無駄を削ぎ落とした新生日本が待っていたはずだったのに、変わり切れぬままそしてまた貧しくなって、結局は、昔の良いところだけが戻ってこない、という。なんだか情けない、様相に。


 国の時代のサイクル的にはこんなものなんでしょうかね。

 当たり前でしょう。どの国もそんなものですよ。そんな妙なこと嘆くなよ、と笑われそうですが、どうせまた貧しくなるなら、前のままでよかったんじゃ、なんて・・


 町の人々を楽しませてくれた森への案内板や、花のオブジェをあっさり撤廃してしまう気持ちの悪い日本に行き着くとは、まさか国鉄をJRにした時の日本は思いもしなかったんだろうなぁとは思います。

 (国鉄がJRになったことを非難しているわけでは在りません、改革や変化の象徴の一つをして例を挙げさせていただいております)

 そしてその時の在りし日の日本は、今のような夏のような気持ちの悪い秋ではなくて、普通に木枯らしの吹く、紅葉の季節が存在していたのだろうなぁ、と。


 失われて初めて気がつく、大切なもの。 

 大切な日本の心。


 それでもまだまだ今はマシなんでしょうけれどね。これからもっともっと多くのものが失われていくと思います! 

 またこのメモの第二弾を書く日も近い予感がいたします。

 哀しいけれど、衰退する日本、強いては壊れつつある地球のことを思えば、避けて通れない道! ほっこりする地元の文化財的なものが破壊、撤去、失しなわれる事例は、まだまだきっと出て来ますよね。


 では、今日も読んでいただきどうもありがとうございます。

 素敵な時間を過ごされますよう。

 願いを込めて。

 



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