美しい登山道と美しい人生。〜表尾根縦走・塔ノ岳登山〜
今週は神奈川県秦野市の塔ノ岳に出かけてきた。
先週に引き続き無性に山に行きたくなった。これといった理由は思い浮かばないが、潜在意識的には何かもの思うところがあるのかも知れない。
というのも、以前下のようなブログを書いており、私の生きるのが下手な若い頃に登山に傾倒したというエピソードがあった。
人は何か人生に行き詰まった時に、山を求めるような気がしてならない。
先週の檜洞丸の登山の際に、私は完全なソロ登山で、成長するためには、誰かと共に行くという楽しい行程も多少蔑ろにしてもいいのではないかというようなことを書いた。
その後、「ソロ登山の知恵」という本も購入し、ソロ登山の思想を学び、ソロ登山のことばかりを考え、今後の人生をソロ登山という照準に絞って考え始めていた。
ところがである。
奇しくも、今回の塔ノ岳登山はバス待ちの時に、全く同じ行程と目的地の方がいて、その方と一緒に登ることになった。なぜか、そうなった。
全くソロではなかったのである。
はじめ、その方がガチ勢のようないでたちで、一緒に登るとペースが合わずに迷惑になると思われたので敬遠していたのだが、話を聞くとペースが遅く、いつものんびり登っているとのこと。それなら大した迷惑にもならないかと思い、一緒に行くことに決めたわけだった。
今回のコースは、ヤビツ峠から二ノ塔、三ノ塔、烏尾山、行者ケ岳、新大日を経由しての塔ノ岳の山頂を目指す表丹沢の縦走コース。確か今より若い頃に(もう10年以上も前)一度行ったことがあるきり、全く覚えていないので少し不安だったのだった。
同行されたそのお方が、年間30日以上は山に登る方で、丹沢に関してはかなり詳しく。
おかげさまで、さまざまな情報をいただいた。
鎖場も難なく制覇した。
楽しく安全な登山を終えることができた。
なんというラッキーな神の采配。
神にも、そのお方にも、全く感謝しかないのだが、一つだけ難を言えば、少しペースが遅かったのである。
同行されたそのお方が、たまたまいつもより荷が重く(荷が重ければ重いほど登山は厳しい)、また腿が攣るように痛くなるとのことで、少し登っては休み少し登っては休み、ということが続いたのだった。
そのたびに、抜かされること何人・・何十人。
途中リタイアも考えたようで、こちらも私がいたからリタイアできなかったのかと悪くなってしまうほどであった。
こうなると、成長とはなんぞや、という疑問がむくむくと頭をもたげてしまうのである。
かつての私は、三頭山登山記のように、山のルールを知り、マナーを守り、偶然居合わせたものたちのことを気遣い、「より良く登る(生きる)」ことを、成長することだと思っていたはずであった。ところがソロ登山に照準を絞った最近の私は、その成長することを、前回よりもタイムがどうであったかということに重きを置いていたような気がする。
また、ソロ登山者の思想にも傾倒し過ぎていたようだ。たとえば、ソロの方が自然と一体化できる。人と登ると人に意識が向くが、ソロだと自然に目が向く、とか、ソロ登山に向いていない人は、山に向いていない。ソロが全てという考え方に少しより過ぎていたような思いがする。
何事もバランスが大切だなぁ、と思った次第である。
特に感動を覚えたのは、同行者の方がストックを尾根に落とされてしまった時だった。
自分が拾おうと、急斜面に身を乗り出してくれた方がいたりして、皆さんとても気遣ってくださった。
山が人生だとするならば、困難な山道を皆で助け合い、危険な場所を教え合い、共に乗り越えていこうとする姿勢が、ソロではない登山の場合にはあるのである。
まぁ、ソロでも、そういうシーンには出くわすこともあるかも知れないが・・たまたま今回、同行者の方がいたおかげで、遅く歩くこと=ペースが遅いことと、成長できないことは違うのではないか、という疑問が湧いたわけだった。
ペースが遅くても成長できる。成長を山の行程が早い、遅い、で決めては絶対にいけない。
しかも、同行者の方は遅いペースだと言いながら、年間30回も山に入り、丹沢のことを知り尽くしているのだから、尚更だった。
こうなってくると、先週、檜洞丸で、やはりあの声をかけてくださった女性と登っていれば、もっと学びがあったかも知れないなぁ、などと思えてくるのだった。
出会う人は皆教師である。
塔ノ岳山頂で、その方が、コーラを買ってくださった!
後ろで励ましてくれたので、無事登れました、お礼に、とのこと。
そう言ってくださったのが嬉しかった。
私は、途中遅いペースに少しでも不満を覚えたことを恥ずかしく感じた。
成長することの指針を完全にはき違えて、いわゆる道迷いしていたけれど、おかげで正規ルートに戻って来れた人、という感じである。全て偶然一緒に登ってくださった方のおかげだった。なのに、お礼を言われてしまった!
成長すること。そのために、ソロの方が向いている方も大勢いるのだろう。そして、そうではない方が向いている方もたくさんいるのだろう。
成長するために山に登るならば、どちらであっても、人の邪魔はせず、自分が人の迷惑にならないように心がけたいものだ、とそう思った。
久しぶりのニノ塔、三ノ塔経由の塔ノ岳は、本当に美しかった。
出かける前は、その先の丹沢山や蛭ヶ岳に行きたい、時間的に無理だ、などと、そんな事を不満に思っていたのだが、まるで嘘のようだった。塔ノ岳で十分。むしろ、塔ノ岳だけで良かった。
表尾根を縦走し、大倉尾根から大倉バス停に降りて、合計で9時間かけた塔ノ岳登山の行程に、私は大満足だったし、全ての景色は全く美しいご褒美のように感じられた。
帰り道の大倉尾根の桜も良かった。
登山道には、オオシマザクラやヤマザクラやマメザクラがいっぱいに咲いているのだった。
それが西陽に透けてキラキラと輝いているである。
なんという美しい山道。美しい人生だろうか。
何事もバランスが大事だな、と思い始めたソロ登山。
まだまだソロ活動は続くが、ソロ至上主義になり過ぎて、スピードや効率重視にならないように気をつけたいと思う。
あとは、本当に・・、偶然居合わせてくれた方、一期一会のお方、呉越同舟乗り合わせてしまったお方たちには、本当に感謝することを忘れずに生きていきたいと思った。
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