お題「生まれ変わるなら◯◯になりたい」。
こんにちは。
いつもここでお会いできて嬉しいです。ご訪問ありがとうございます。
(写真はお散歩風景と最近食べたランチです)
今日のアメブロのお題、「生まれ変わるなら◯◯になりたい」、だそうです。
そうですねぇ、何になりたいでしょうね。
飼い猫に生まれ変わって、仕事もせずに、日向ぼっこしながら寝ていたい、とかも思いますが、要するに、ずっと怠けていたいということですかね。
ろくなことを考えませんね。
なので、また私でいいですかね。
また私に生まれてくるので構いませんので、もう少し、今より生きやすく、少し生きることが上手になっているといいな、と思いますね。
「私」の五十数年は、辛かったですからね。特に20代、30代はスキーの滑れない人が、スキー板だけ履いて、雪道の斜面を、不器用に滑り落ちているような大変さでしたね。
あちこちにぶつかって、怪我はするわ、当たった木々を傷つけて折ってしまうわ、最悪の状態もありましたね。
ちなみに今は、ボーゲンを覚えて、屁っ放り腰でのんびりと降りているという感じでしょうかね。
なんでそんなに生きるのが辛かったのだろう、と疑問に思うことがありますが。
最近勉強している聖書によると、神は「神の掟」を守ってくれる人を友達として認めてくれるそうです。
神の掟というのもがピンと来なかったので、調べたところ、神の掟とは、イコール愛なのだそうです。しかも、「お互いに愛する」ということ。
一方通行だと難しいんですね。神の掟を守っていることにはならないようです。
生きるのが辛かった私の過去の場合、この愛がいつも一方通行だったような気がします。
お互いに愛する、という域までなかなか達しなかった。
こちらが愛しても、相手に愛してもらえなかったり。
相手が愛してくれても、こちらがその愛に応えられなかったり。
もっと簡単な人付き合いの上での思いやり程度の愛でいいのかも知れませんがね。
簡単なコミュニケーションでさえ、愛がないと成立しないので、それすらもなかなか難易度が高かったのかも知れませんね。
愛を受けるに値しないということもありますが、愛を与えるに値しない人間だったという可能性もあるわけで。
というわけで、生まれ変わるなら、もう少し生きやすい私になりたい、というお話でした。
残りの人生は、もう少し、神の掟について、考えて生きていきたいと思います。
今日も最後まで読んでいただきどうもありがとうございます。
素敵な時間を過ごされますよう。
願いを込めて。