最後の夏休み。
こんばんはー
毎日暑いですね。
今年の夏休みは、暑そうだからどこにも行かない、と決めていました。
猫と一緒にのんびり過ごそうと。
特に上の猫のキーちゃんがね、暑いと室温が異常に上がる2Fの部屋(屋根裏部屋みたいな感じです)に篭ってしまうので、私がいると下に降りてくるんですけれど、いないと我慢してずっと上にいるのでね、熱中症になったら困るな、と思いまして。
下の子のミーちゃんも慢性腎不全末期で、ここ数日は調子がいいですけれど、いつどうなるかわからないですし。
なので、今年の夏休みは、猫と家にいる、というのが目標という感じで。
本を読んだり、映画を見たり、随分まったり過ごさせていただきました。
ミーちゃんは頭を撫でてもらうのが大好きで、ずっと撫でているとぐっすり寝てくれます。ミーちゃんのこの撫でられている時の恍惚とした顔がとってもかわいらしくて、どうみても天使にしか見えないんですよねぇ・・「少なく見積もっても、天使さんでしょう(ミーちゃんは)」といつも親ばか的に声をかけています。
今って先行きが見えなくて、不安な時代でしょう。なので、私も資格取得の勉強をしたり、仕事のスキルを上げるように専門書を読んで努力したり、色々と今まで頑張ってきたんですよね。でも、今年の夏は、一切やりませんでした。
映画見て、本を読んで、猫と一緒に寝て、時々お買い物に行くくらいで、ずーっとのんびり過ごしてしまいました。
堕落したような気もしますけれど、なんだか子供の頃の何にもなかった夏休みに戻ったような気もしまして、これはこれでいいものだなぁ、と。
こんなのんびりした夏休みを過ごさせていただいて、神様に感謝しかありません。
たぶん来年は、今年の夏のことを、懐かしく思い出しているような気がしますね・・
去年はまだミーちゃんがいたのに、って。
(神様、来年の夏もどうかミーちゃんが生きていてくれますように!)
あとまだ少し残っていますけれど、大事に過ごさせていただきます。
将来のためには何にも努力していませんけれどね、でも辛く残酷な未来を生き抜く力にはなるかもしれない最後の思い出作り。これはこれで、また大切かもしれないですからね。
いえ、かなり大切ですよね。
少なく見積もっても天使にしか見えないミーちゃんの頭を撫でながら、「うちに来てくれてありがとうね」と感謝の気持ちをいつも告げています。
それにしてもミーちゃんはどこから来たんだろう。(岩手の職場付近に突然現れた野良猫さんです、そのとき推定年齢10歳程でした)
避妊手術したあともないようなんですけれど、発情期で鳴いたこともないですからね、どこかで飼われていて、ちゃんと手術もしてもらったんだろうと推測するしか。
捨てられちゃったんでしょうかね。可愛がってくれたおじいさんかおばあさんが死んで、息子とヨメ夫婦にいじめられて捨てられた、とかですかね。ミーちゃんの性格からすると、いじめられて逃げ出した、といった感じの方が当たっているのかも、うちからも3度くらい脱走しましたからね。
何度も出て行って、偶然まためぐり会えて、運よく帰ってきてくれたりして、無事、縁が途切れずに、こうして最後のときを一緒に迎えることができているわけなんですけれど。
今ではもう逃げる気力も無くなったようです。(キーちゃんのために玄関を開けっ放しにしていても、興味なさそうに一瞥するだけです)
穏やかに過ごす晩年になってくれてよかったなぁ、と思います。
もしかしたら、気力をなくしたわけではなくて、私の家を最後のときを過ごす場所として選んでくれたのかもしれないと思うと、ちょっと・・かなり、愛おしい思いがしますね。
ミーちゃんの死が私の最大の試練の一つ。(おそらく親の死より辛い・・)
それが終わると、数年後にキーちゃんの死が訪れます。
日本経済もどうなるか、仕事も健康もどうなるか、本当に先行きが見えない恐ろしい未来を目前にして、人生最大の試練も訪れる予定で。
まぁ、もっと辛い未来が待ち受けている方もいると思いますので、人から見たら幸せな悩みなのかもしれませんけれど、それにしても、日本という国体がここまで弱り切っている現代に、自分の力が日毎失われていく老後を迎えるわけで、愛しいものの病気と死がそれに加わるわけですから、やっぱり未来は不安ですよね。異常気象も加速していますしね。
今のこの何にもない平和な夏休みの日々を、貴重な、貴重な1日として、大切に過ごしたいと思います。
ミーちゃんの寝息を聞いている時間が、今の一番の幸せ。
キーちゃんのヘソ天(仰向け寝相)を見ているときが、今の一番の幸せ。
どこにもいきませんし、毎日クソ暑いですが。
幸せな夏休みを、ありがとうございます。
ということで、夏休み現状報告でした。
今日も最後まで読んでいただきどうもありがとうございます。
素敵な時間を過ごされますよう。
願いを込めて。