人生で一番辛かった話。
こんばんはー
ついに東京が4000人越えですね。
緊急事態宣言も、我が神奈川も発令されるそうです。
いや、でも想定内だから驚かないですけどね。
あの感動のオリンピックと引き換えならば仕方がないかな、というのが率直な感想ですが。
オリンピック反対派は腹立たしい思いをしているんだろうなぁ。
で、今日は五年目の車検に行ってきました。
さて、いつもダラダラとなんだかんだブログを書いている私ですが、今日は書くことがありません。ネタを探して、「書くことがない」と検索してみたら、「辛かった体験を書きなさい」と出てきました。
なので、一番辛かったことを一つ。
あれは、30代の中頃だったでしょうかねぇ。何をしても辛かったですね。もう生きてるのが辛い。10代、20代にもそういう辛い時期はあったんですけれど、30代が一番深刻でした。自分がどこにも属してないというのか、どこからも切り離されていると感じて、ものすごく底なしの沼のような孤独感に襲われていました。
相談できる人もその時はいなかった。もしくは、いても、わかるように思いを伝えられなかった。誰にも理解されない、と思っていました。
あの孤独感というものの恐ろしさは今思うと破滅級というのか、ドストエフスキーの描く無神論者によく似ているような気がします。
過去も未来にもつながってなくて、人種や家族も隣人からも切り離されていて。
神なんてもちろんうわ言のようなレベルですよ。信じるものも何もありません。
真っ暗闇のだだ広い宇宙にポカリ自分だけが彷徨っているような虚無感です。
一歩間違えば本当に死んでいたろうなぁ、と思います。
今ああいう状況に直面している人々のことに思いをはせると、可哀想というか、いたたまれないというのか、同情する反面、ああいう人生の底なし沼を這い出すには余程のきっかけがないと難しいんじゃないかな、と少なからず批判的に推定してしまう自分がいます。
過去の自分を批判しているんでしょうね、きっと。
いや、神って本当にいるんだよ、と宗教の勧誘のような戯言を言いたいわけじゃありませんが、いやね。神というか自分と繋がっている絶対的な存在は確かにあるんですよねぇ。
ところで、私が底なし沼のような孤独から抜け出すことができたきっかけですがね、不思議なことに、ブログなんですよね。
このほとんど誰も見ていないブログをね、当時(正確に言うと紆余曲折あった末だいぶ経ってからですが)書き始めて、最初は辛い思いを書きなぐっているだけだったんですけれど、2、3年経った頃ですかねぇ、突然啓示が降りたように、神の存在に気がついたんですよね。
あらー 宗教の勧誘の話になってしまいました、笑
自分が一人ではない、というのは、小説の中の話だったんですよ、作り物の世界の中では理解しているけれど、実際は一人だと思っていました。ところが、本当に一人じゃないんだとやっと心で理解したんですね。
そこからは、自分の裡からみなぎるパワーが湧いてきて、もうどんどんね、自分を強い存在だと信じることができて、孤独感も虚無感も殆ど感じることが(全くではないですが)なくなりました。
めでたし、めでたし。の一番辛かった話なんですけれど、現在では別の悩みがあるんですよね。その自分の中の絶対的な存在がね、いろんな事象をコントロールしているように思えてくるんですよ。要するに、神様の悪戯、というやつね。
うん、ここだけ読んでいると、危ないやつですよね。
ですが、自分の人生が誰かの手中にあるような、運命に翻弄されているような思いは、少なからずみなさん感じたことがあるのではないでしょうか。それが少し、孤独沼から這い出した後は、やや大きくなったということが悩みといえば悩みでしょうかね。
まぁ、前の絶望的な虚無感から比べたら、全然幸福な悩みですよ。無神論者ではなくて、有神論者の悩みとでもいうんでしょうかね。
ノアとかアブラハムとかヨブとか、少なからず感じたであろう想いでしょうからね。(自分と聖書の偉人を同列に並べているわけではありません。神の悪戯について言いたかっただけです)
というわけで、今日も書くことがないのにブログ書いてみました。
ブログは命の恩人ですから、誰も読まなくなってもきっと書いていると思う、笑
もしも熱海に出張に行くことになるとインターネットが使えないんですよ、どうにかしてネット環境を整えなくては、と今このブログを書いていて思いました。それならそれで書かなくてもいいかなぁ、なんて思っていましたが、やっぱりダメだと思います。頑張って更新します。
もしも、見てくれる貴重な方がいるとしたら、またよろしくお願いいたします。
ではでは、素敵な時間を過ごされますよう。
願いを込めて。