何も持たない僕、命と引き換えに過去を売る。「もしも世界から猫が消えたなら」
こんにちはー
涼しくなってきましたね。昨日は特に・・冷房いらなかった。夜はもう秋を通り越して冬のようでした。来年のカレンダーと手帳を買わなくては、とふと思いました。
さて、今日のおうちmovie。昨日の夜見た映画です。猫好きにはたまらない映画。
「世界から猫が消えたなら」
永井聡監督。佐藤健、宮﨑あおい、奥田瑛二、原田美枝子出演。 【あらすじ】
郵便局の配達人「僕」は30歳。猫と二人暮らし。母親が病死して以来、父との関係が悪くなり、実家を飛び出した。あれほど仲の良かった彼女ともとうに分かれた。穏やかなある日、突然頭に激痛が走り、病院へ行くと悪性の脳腫瘍があるとわかる。明日死んでもおかしくないという。現実を受け入れられず動転する僕。そこへ僕の姿をした悪魔が現れて、迫る。「命を1日長引かせてやろう。その代わりこの世界からひとつ何かを消すんだ」悪魔が提案したのは、まず電話。次に映画。そして、時計。最後に猫だった。
感動的ではあるんですが、悪魔がね、「僕」=死を受け入れられない、の化身みたいな感じなんですよね。現実ではなく幻想みたいなの。その悪魔が、次々と、僕が生きていた中でかけがえのないものを消していくんですよ。
電話は彼女の象徴。電話がなくなったら彼女との出会いが消えてしまい、彼女との関係性が消えてしまった。
映画は友達の象徴。映画がなくなったら友達との出会いが消えてしまい、友達との関係性が消えてしまった。
時計は父親の象徴。猫は母親の象徴。以下続く。
でね、僕は、電話も映画も時計も、悪魔の言うがまま世界から消してしまうんですが、猫だけは、もう嫌だ、となる。「だから猫は世界から消さない」と悪魔にはっきり言うんです。
マザコンかよ・・・と思わずげっそりしました。
彼女と友達と父親は消しても、母親は消せない。なんかそこにね、妙なものを感じました。
まぁ、恋人と友達と父親が消えた結果として、そういう考えに至ったのだとは思いますが。
まぁ、猫が消えなくてよかったんですが。(猫を置いて死ぬのは困るから、猫も消しちゃおうとするのか=猫がいなくなれば安心して死ねるから、と思ったけどそうじゃないのね)
それでもやっぱり解せない感じは癒えないというか。
確かに母親は、彼が在ることの尊さを教えてくれた人ではありました。
「たとえ私が世界から消えても・・」と、僕が腫瘍がわかってからというもの世界に問うていた「たとえ話」を、その答えを、僕に教えてくれた人ではありました。
猫を、彼に託していった人ではありました。
でもね・・・なんだろう。幻想の中でとはいえ、あっさり消されてしまった愛や友情や父親がかわいそうな感じなんです。
そういう物語なんだよ、と思えばいいのでしょうが。うーん。
あとね、各エピソードの途中で突然アルゼンチンの旅行シーンが出てくるんですけど、それが唐突でね。ブエノスアイレスのまばゆい太陽が・・・多分、生命(性かな?)の象徴なんでしょうけど・・暗い映画シーンの中で唐突に挿入される。何か違う映画に切り替わってしまったのかと思いましたよ。アマゾンの間違いかと・・・ そこで、なぜ彼女と別れたかが明かされるんですが、これがまた不思議ね。あれだけ心の繋がりの深い男女だと、バックパッカー(友人)の死をきっかけに別れるというのはちょっとありえないなぁ・・お互いを思いやる心があると思います。
と、総じて不思議だらけの物語ではありました。
ただ、命と引き換えに失っていいものはあるのか。僕が消えたら世界はどうなるのか。(何も変わらない)ならば、僕と引き換えに世界から失っていいものはあるのか。(僕同様失われても変わらないものはあるか)
ということを考えたときに、胸が苦しくなる映画ではありました。
僕がいなくなっても、世界は変わらないくせに。
電話や映画や時計がなくなると、世界はものすごく変わってしまうんです。
僕にとっては激変するんです。そこがハッとさせられる。
死んだ後の虚無・・自分が消滅した後の世界の普遍性を考えると、なんとも切ない物語ですよね。
でも、(だから)これでいいのかな。
世界はかけがえのないものでできている。
そして、僕の存在もまた、かけがえのない、大切なものだった。
それが最後にわかっただけでも、全く虚無ではないと信じられただけで、この映画はいい映画なのかもしれませんね。
さて、あなたが明日死ぬとしたら、どうしますか?
もし、世界から電話や映画や時計や猫が消えてしまうとしたなら。
最後に誰に電話しますか? 最後になんの映画を1本見ますか?
誰と時を刻みます? どこへ帰ります? 誰との愛情を胸に天国へ旅立ちますか?
ではでは、素敵な時間を過ごされますよう。
願いを込めて。