悪路王とはだれのことか。〜女二人旅・旅情いっぱいの一ノ関、平泉紅葉狩り編〜




 先週末、女二人旅シリーズのI女子と、岩手県の紅葉スポットに紅葉狩りに行ってきました。


 舟下りで有名な砂鉄川添いの渓谷、猊鼻渓。

 空飛ぶ団子で有名な栗駒山を水源とする渓谷、厳美渓。

 それから、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の拠点とした達谷窟毘沙門堂。
 

 あ、行ってみてから知ったのですが、達谷窟毘沙門堂は、蝦夷の指導者、阿弖流為《アテルイ》が、田村麻呂《官軍》から逃げて立てこもった洞窟でもありました。

 これには驚いた。私は、かつて陸奥国で生活していた蝦夷の人たちに深い共感を抱いています。というか、官軍に負けて、歴史から葬り去られた人たちに弱いんですよね。つい深い想いを寄せてしまう。日本神話の、大和族(天照大神軍)と戦って消えて行った出雲族(スサノオ・大国主軍)とかもそう。彼らへの想いは、このブログに繰り返し書いています。岩手の八幡平や福島の阿武隈・仙台平では蝦夷族に、九州旅行では隼人や熊襲に。石巻では魔鬼族に。おのおの共鳴する想いを感じ、伝えてきました。

 特に陸奥国の蝦夷というのは、スサノオ・大国主の末裔=本当の日本人が、戦いに敗れて、日本の果ての東北に逃げて逃げて、「蝦夷族」という征伐の対象とされて、そうして最後の最後に、坂田田村麻呂によって(出雲族を)一掃された、というのが歴史では有力な説です。

 何だか今の日本とかぶってるような気がして、感慨深い想いがします。

 話が飛んでしまいましたが、紅葉狩りの続き。二日目は、世界遺産の平泉毛越寺へ行きました・・・ と言いたいところですが、二日目は友人のI女子の写真のみのご報告です。私は前々日に風邪でダウン、それに猫がいるため、達谷窟毘沙門堂でしみじみしたあと、旅を終えてしまいましたので・・

 それでも、岩手県の有名どころの紅葉ですので、楽しんでいただけると思います。歴史に想いを馳せて、お付き合いいただければ幸いです。


 まずは、世界遺産の毛越寺です。

 ・毛越寺












 仏の世界=浄土を地上に表現したと言われる日本庭園は、「浄土庭園」と呼ばれているそうです。
 素敵ですね。次回はぜひ行ってみたいです。I女子、写真をどうもありがとうございました。

 ちなみに今回の旅のコースは、女二人旅シリーズのI女子の希望です。
 一人だったら、一ノ関なんて遠くて行く気にならなかったので、阿弖流為の最後の洞窟を見られたのも、すべてI女子のおかげですね。

 さて、毛越寺からさかのぼって一日目。一ノ関駅でI女子と合流したあと、猊鼻渓という渓谷へ向かいました。

 ・猊鼻渓



 猊鼻渓というのは、北上川支流の砂鉄川添いの渓谷です。全長は2km、50mを超える白灰石の岸壁が続きます。

 写真上は舟下りのスタート地点です。駐車場に食堂もあります。鮭が川上りをする用の、だんだんの、登りやすい滝もあります。

 ここはかつて辺境の地で、村の人たちでも知らない人が多かったとか。理由は藩の役人から隠したかった(税金逃れみたいな感じです)のだそうです。なので、一部の村人しか知らない、秘密の場所でした。





 それを紹介したのが、上の銅像の佐藤猊厳さん(政治家・漢詩人)です。
 猊鼻渓の生みの親です。観光地として、世に知らしめました。




 写真の奥の建物で、チケットを買って、舟下りを始めます。
 正確には舟上り! 折り返し地点まで鮭と同じように川を上って、攬勝丘で休憩した後、今度は川を下ります。




 この日は紅葉のピークなのか、すごいコミコミ。次から次へと舟が出ます。大勢の観光車の人が並んでいました。船頭さんは(お昼の)休憩なしだ、とぼやいていました。


 並んでいる途中で、魚のエサを購入しました。


舟に乗り込んでから人間のエサ・・じゃなくてお団子を。



 ずんだ餡がたっぷりです!美味しかったです。




 船頭さんの手漕ぎで、ゆったりと渓谷を上って行きます。
 産卵を終えた鮭の死骸がぷかりと浮いていました。(船頭さんより)少し生臭い、とのことでしたが、私は全然気がつきませんでした。

 岸壁となる大きな岩には、ひとつずつ名前がついています。上の岩は鏡明岩です。



 鴨と魚が伴走で付いてきます。可愛いです。


 望遠じゃないので、ズームできませんが、真ん中あたりにサギがとまっています。


 川の水は驚くくらいに澄んでいました。


 かつての辺境の地、紅葉を楽しみながら、どんどん奥へと進みます。




 こちらは毘沙門窟。
 浄財のお賽銭を投げていれます。

 うん、であとになって、はたと思い当たったのですが、ここも冒頭の毘沙門堂と同じ毘沙門天を祀っているんですね。
 誰が毘沙門天なのかは、もしかしたら・・同じ人物なのかもしれません。辺境も、洞窟の目的も。いや、ただの予想ですが、驚きました。この話は後ほど。






 魚見えますか?? うじゃうじゃいます。



 古桃渓と呼ばれる中央の谷跡。雨の後は、滝のように水が流れるのだとか。



 川霧が雲のように吐き出して見えるという吐雲峰。



 正面には少婦岩が見えます。女性の横顔に見えるのだとか。白灰石の白い岩肌がきれいです。
 

 壮夫岩。観光のパンフレットに使われる一番有名な岩です。
 それにしても、漢詩人が生みの親だけあって、どの岩の名前も、(漢)詩的ですね。


 折り返し地点に到着です。



 舟を降りて、進んで行くと、中央に、高さ124mの大猊鼻岩が見えました。

 何やら騒がしい。運玉という名物を投げているようです。岩壁の願掛け穴に「福」や「愛」の10種類の文字入りの玉を投げて、うまく入れば願いが叶うのだそう。キャーという女性の叫びと、玉が岩に打ち当たって割れる音が響いていました。玉入れは難しいようです。






 猊鼻渓の名前の由来となった獅子(猊)ヶ鼻です。攬勝丘の対岸の岩壁から突き出ています。(中央の鼻に似た肌色の岩です)




 さて、休憩後は、ついに本番の?舟下りです。
 船頭の伊藤修さん。先端がまるで刀のような櫂を上手に操って、深いところでは10m以上にもなると言う川を漕ぎます。

 ・船頭紹介



 それにしても、魚が多い。澄んだ水が美しかった。



 紅葉も素敵な雰囲気です。
 帰り道は、川下りのクライマックス。船頭の伊藤さんのけいび追分を聞きながら優雅に下って行きます。



 岩壁に歌声が響いて、自然のエコーがかかります。心に響きました。げいび追分は明治時代の鈴木朗月さん(江差追分の大御所に従事)が創始者。追分の本歌のあとに、「大船渡線」が出て来るおまけのような歌詞があります。たしか、JR(大船渡線)が開通したときに作られたものだと言っていたような・・ そのせいもあり、国鉄時代の旅の旅情をしみじみと感じることが出来ました。とても良い雰囲気でした。





川下りの様子。↓心に響くげいび追分もちらりと来くことがで来ます。



  川下りの後は、名物の鮎をいただきました。
  食堂の中は、有名どころの方々の写真とサインで埋め尽くされています。
  船頭の伊藤さんの話によると、猊鼻渓は映画やテレビドラマの撮影によく使われるので、いろんなタレントや俳優さんが訪れるそうです。(中央のタモリさんの写真が目立っていました)古くは、私の大好きな宮沢賢治も来たのだとか!




 鮎定食を食べるI女子。私は鮎とおでんをいただきました。




 暖かくて美味しいです。ぽかぽかになりました。
 下は、けいび追分に出てくる大船渡線。猊鼻渓の川に架かる、昭和初期の構造物らしき立派な鉄道橋です。



 猊鼻渓生みの親の佐藤猊厳(上)さんと、げいび追分の創始者鈴木朗月(下)さんです。


 歴代の?船頭さんの衣装もありました。



 川下りで旅情を堪能した後は、お次は厳美渓に向かいます。
 猊鼻渓と似た名前(げんび、と、げいび)ですが、厳美渓は栗駒山が水源の渓谷、高くそそり立つ岩壁もありませんが、こちらも渓谷の岩がユニークかつ厳かで、見応えのある景勝地でした。

 ・厳美渓



 厳美渓の名物はこの対岸の東屋からロープで運ばれて来る「空飛ぶだんご」、かっこう団子と言うそうです。
 丸いかごに400円を入れて小槌をたたくと、かごが東屋に渡って行き、団子とお茶を載せて戻ってきます。






 3種類のお団子が入っています。もちもちで美味しかったです!お茶も嬉しいですね。

 空飛ぶ様子はこちらで見ることが出来ます♪ ↓ ↓

 


 この岩肌、すごいでしょう。猊鼻渓とはまた違った魅力でした。






 思わず、作り物かな?と思ってまじまじと眺めます。
 自然の造形とは思えない程、不思議な岩があちらこちらに・・



 2kmの渓谷の周りは、一部が遊歩道になっていました。




 猊鼻渓と違って、水はエメラルドグリーンです。透明な緑の水がきれいでした。




 お土産も私が欲しいものがいっぱい。
 鉄瓶に猫の置物。





 厳美渓を堪能して、次は岩とお寺が一体化した達谷窟毘沙門堂へ向かいます。

 一ノ関は名所が固まっているので、移動が楽です。
 このコースを考えた会I女子、どうして一ノ関?と訊ねたら、そう教えてくれました。その通り、本当に移動がらくちんでした。平泉の毛越寺を回っても、車で1時間です。

 ・いちのせき観光案内navi モデルコース



 さて、次は、私にとってのメインイベント、クライマックスとなった達谷窟毘沙門堂。


 紅葉も見事です。



 朱の鳥居をくぐると・・盆栽のような松は、ケヤキの落ち葉に飾られ。



 庭園には竹林あり。


 紅葉の映える池には鯉。



 そしてそして・・

 入り口でいただいたパンフレットにも、お寺の中にも、蝦夷征伐の田村麻呂を讃える言霊でいっぱいです。
 田村麻呂は神であり、毘沙門天(守護神・武神の意)の化身であると書いてあります。ここは田村麻呂信仰の発祥の地だそうです。





 阿弖流為が立て篭った岩には、顔面のような大仏が掘ってあります。陸奥国の守の源義家が、前九年後三年の役で亡くなった敵と味方を供養するために作りました。(敵はもちろん蝦夷です)




 巨大な岩と、一体化した毘沙門堂。




 毘沙門堂の縁起が書いてありました。
 阿弖流為たちが悪いことをして、子供や女たちを苦しめた、国民が困っていたから、田村麻呂たちがヒーローよろしく立ち上がった、という・・。

 しかし、歴史はいつも隠されています。

 猊鼻渓が隠されていたことも、もしかしたら繋がっているのかもしれません。あそこにも毘沙門天が祀ってありました。


 ーかつて、この寺には、山門を入ってすぐに大きな立て看板があり、こんなことが書いてあったそうです。


《東北古代史の英雄・坂上田村麻呂公を顕彰する。》と題して続く。
 この頃征夷大将軍坂上田村麻呂公を中央からの侵略者・悪路王こそそれに抗した郷土の英雄とする考えがあるが、これはおかしい。達谷に伝わる〈籠姫〉や〈姫待瀧〉〈鬘石〉等の伝説では、悪路王に苦しめられる民草を救うのが大将軍なのである。昔から苦しめられる側であった民草は救う人に心を寄せ、大将軍を毘沙門天王の化身として信仰して来たのだ。
 大将軍創建の社寺、大将軍の伝説はこの東北に星の数程ある。当に大将軍こそ東北古代史の英雄であろう。達谷窟毘沙門堂は大将軍と悪路王伝説の発祥地であり、日夜心を込め〈南無田村大将軍〉と唱えている。云々。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/densetutanbo/tamuramaro/takkoku.htm
20151031






 上は不動堂。下は金堂です。



  不動堂の前には、小鬼のようなどくろの杖(武器)を持った小さな像がありました。


  ー<南無田村大将軍>。南無、田村大将軍。そういって神(守)と持ち上げて、
  けれども、この地の方達が本当に毘沙門天として信仰しているのは、もしかしたら。






 福島の阿武隈山(あぶくま洞)で見た大多鬼丸かと思いました。
 見つけた瞬間どきりとしました。

 何も書いていなかったけれど、これはおそらく、こっそりと祀られた毘沙門天・・・

 いえ、悪路王なのかもしれませんね。




  入り口の前の御供所。時代劇に出てくる家のよう。とても素敵な雰囲気でした。

  最後の締めは、何と言っても一ノ関温泉郷。平泉の世界遺産まで10分の、山桜桃の湯さんです。

 ・山桜桃の湯





 来る途中に峠道のような山を登っただけあって、温泉からの眺めは最高でした。
 特に露天風呂の天空風呂からは、一ノ関の市内を一望できます。




 紅葉もライトアップされていました。



 2時間で730円、とお安いのも良いですね。
 温泉の後は、バイキングをいただきました。

 これがまた和洋中揃っていて、お刺身からすき焼き、ローストビーフにフカヒレスープ・・と盛りだくさん。




 散々紅葉を撮ったので、写欲が失せて、(食欲に変わり)ごちそうを撮るのはなおざりに・・・

 ごめんなさい。絵がいまいちですが。










そんなこんなで、新しい発見あり、旅情あり、お腹も心も満腹感いっぱいの紅葉狩りの一ノ関観光でした。

 ではまた! 阿弖流為となった戦後の私たちへ。そして、これからの蝦夷族となりつつある今の私たちへ。負けるもんか、と今日も元気に参りましょう。









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