夢見る頃は過ぎても ~広尾カレーに日本橋、道玄坂巡礼編~
歳を重ねると、都会が嫌いになる。若い頃、お気に入りの洋服や雑貨を探して、あれだけ散歩をした渋谷、代官山、恵比寿、自由が丘、三軒茶屋・・・ 殆どどうでもいいのである。そんな人出の多いところをうろつく暇があったら、1時間でも長く地元でのんびりと過ごしたい。欲を言えば、石巻あたりの田舎にこもって、ひっそりと平和な日々を送りたい。隠遁者の気分になってくるのである。
私ばかりじゃない。最近では若いものも、田舎にこもる傾向があるようだ。都会より田舎。自然に沿った、まるで江戸時代のリサイクル循環社会を提言する。里山資本主義、というライフスタイルの実現を目標とする私からしたら、なんか時代が追いついてきたな、という感じ。生意気な言い方をしたら、都会重視なんてもう古いんじゃないの? と言いたくなるのである。
世界は地方重視へと変貌しつつある。消費型は打っちゃって、地球や自然を保護する方向へと確実に向かっている。
ところが、自らの信念を裏切り、時代に逆行するように、都会へ向かう自分がいる。夜な夜な、いや、昼間さえ、時間があれば都市へと繰り出す。これはイングレスという、最近はまっているゲームのせい。(なぜならある程度の都市の方が成長するには有利なゲームなのだ) ・・のはずなのだが、ゲームのAP稼ぎのせいではなくて、都市といえばの東京の中に、大昔の江戸の名残りを見つけて、心ときめかせることが多くなってきたせいだ。腐っても鯛。じゃないが。やっぱりスゲェ、東京。かつてのお江戸の天下の町はやはり違う、と唸ることしきり。散歩をしながら東京の町を惚れ直し、いや、若い頃、自分はこの都市のいったいどこを見ていたのか、と驚かされることしきり。
若い頃、自分はこの町のいったいどこを見ていたのか。ふむ。若い頃は何も見えてなかったのかもしれぬ。そもそも都会が消費型なのは、近代のことで、お江戸は違うんだった。かつてのお江戸はリサイクル循環社会の里山資本主義だったのだから、思えば当たり前のことかも知れないが。
そうだ、私は東京の中に、これからの社会のプロトタイプと、私が目指すところの理想形を見つけて、ただ興奮しているだけかもしれぬ。
まるでブラックレイン。消耗都市の仮面がそげたら、東京こそは・・・
ということで、いい夫婦の日、原型を見つけに東京へ向かう。長い前置きになってしまい申し訳ない。今回の東京散歩は広尾、渋谷、新宿、そして日本橋である。イングレスというゲームでたくさんのポータルをハックするため、都バスと都営地下鉄の一日乗車券を700円で購入。新宿スタート渋谷着。お弁当、水筒に、Wi-FiとアンカーM3を持って武装は完璧だ。
にゃんこはまたしても留守番。すまぬ。。
ハチ公のオーナーになった写真をお土産に。こんな物語のように待っていてくれたらいいのだが、ちと、都合がいいか。
若い頃、特に好んだ散歩コース、代官山から広尾へ向かう道である。広尾から代官山だったか? 久しぶりに広尾を歩いたら、当時の面影がさっぱりわからぬ。覚えていたのは、路地裏の、猫の小物ばかりを売っている小さな店だけ。F.O.B COOPさえも見つけられぬ。当時、DURALEX(デュラレックス)のピカルディーが欲しくて、あれだけうろうろしたというのにどうしたことか。
・F.O.B COOP ONLINE SHOP
※20年ほど前、日本で初めてDURALEXを輸入したショップ
F.O.B COOPは現れないが、代わりに懐かしの猫の店のすぐそばで、小さな弁天社を見つけた。また、渋谷では江戸城築城の際に守護神として建てたという小さな稲荷神社を。それから広尾のカレー、つい先日、嵐の「嵐にしやがれ」で紹介され、爆発的なヒットとなったという・・ その小さなカレー屋を。目の前に現れたものだから、つい(弁当持参だったというのに)入ってしまった。
・広尾のカレー
で、その広尾のカレーのきっかわこうじさんじゃない方のスタッフの方が言うのである。お飲み物はどうされますか?
「お水でよろしいですか?」
私は下戸である。甘いお酒なら飲めぬこともない。ここで断ると、みみっちい客だと思わそうだ。メニューを見て必死に甘いお酒を探す。が、どう考えても、ここで飲んだら、まだまだの活動予定がオシャカになりそうだ。いい気分になって、都バスチケットを有効活用できぬまま、帰途についてしまいそうだ。そこで、考えるふりをして、話題が変わるのを待った。その間、おすすめのカレーを訊く。(結局嵐の大野くんらが食べたという野菜のカレーを注文した) 隣の席に、嵐ファンだという女性ふたりが、大野くんと松潤が座った席に着席する。さて、そろそろ忘れたかな、と思った瞬間、訊くのである。
「お水でよろしいですか?」
はい。と答えたが、どうもお店に対して悪い気がしてモヤモヤが残った。このスタッフの方、逆隣のやはり嵐ファンのカップルにも同じ事を訊いていた。お水でよろしいですか? 黙って頷くカップル。ふむ、流石にカレーだけじゃ利益率やばいのかしらん。もしも、DURALEXのピカルディーでお水が出てきたならば。おやっと思って、飲み物も追加オーダーでもしたかもしれぬものを・・・ さすが広尾のカレーだわね、と。
カレーを食べると幸せな気持ちになる。季節の野菜がたっぷり入った、嵐仕様のカレーの美味しかったことよ。満たされたお腹と心を抱えて、広尾散歩通りを歩いていく。こんな道があったかなぁ。先日、横浜の三吉通り商店街のことを書いたが、古い昭和の商店街(今ではどこもシャッター街である・・)は、この広尾の町では、成立しているのである。三吉橋通り商店街のように、独自の和風文化というおまけがなくても、立派に、経済的に洗練されたイメージだけで、自立しているのである。その代わりに、(ゲーム上では)シールドどころかレゾネーターも刺さっていない可哀想なポータルがゴロゴロ。中立ポータル多数。不要とされたポータルキーは所々に転がっていて、激戦区のような消費、消耗都市の有様を呈している。うむ。これは商店街の仮面をかぶっているが、違うな。まったく別物の町だな。これではフィールドを作るのも大変だ。やはり支えとなる文化がないと厳しいのかもしれぬ。すべてのポータルを癒していたらアイテムが足りぬ。鎮守の神社にそっとレゾを刺し、シールドで補強し、リンクを張って、フィールドを作る。おもちゃ屋さんの横のおせんべい屋さんをそっとポータル申請する。そうして、また都バスに乗り込んだ。
若い頃、当時目にも止まらなかった、路地裏の鎮守の神社をお参りしただけで、見つけものかも知れぬ。
罪深い日本銀行。たかが経済に振り回されて、日本の根幹はボロボロ。文化も神々も神棚の上のそのまた上へ。(ただの飾り物の意) 「お水(だけ)でよろしいですか?」。
金曜の夜は、日本橋へ行ったのだった。プロトタイプが壊れ始めたのは、きゃつのせいかもしれぬ。そうそう、ついでにここ日本銀行(の門だが・・)もポータルオーナーになってきた。記念のスクリーンショットを大切に取っておこう。
スキャナー画面の中。渋谷の道玄坂に白い中立ポータルが光っている。誰かが焼いたあとかな、と思い、様子を見ていると、いつまで経っても色がつかぬ。青にも緑にもならぬ。場所が場所だしな、放っておこうか。いつもは可哀想なポータルはすぐに救出に行くのだが。何のポータルかと見てみると、なんと稲荷神社ではないか。こんなところにあったのだなぁ。怪しげなネオンの路地を掻い潜り、すぐに向かうことにした。
ホテルの真横に、目当ての神社はあった。不思議なことだ。おそらく、この消費都市で唯一永らく残されている場所であろうに。なぜ、あの都会をうろついた若い頃ではなかったのか。今の私の前に現れるのか。都市の中に、あの頃とは全く違う原型を見つけて、心ときめかす私の前に現れるのか。
めまぐるしく変わっていく広尾に渋谷に。もう当時の姿を思い出せない道ばかりの街に。唯一変わらず有り続ける鎮守の神に。
イングレスというゲームを通して、今、出会えたことに、稀有というか、奇跡というのか、心底、摩訶不思議な思いを感じてしまうのである。
もしかしたら、チャンスかも知れぬ。傾きかけた日本銀行。きゃつが倒壊寸前なのは、このプロトタイプを思い出させるためなのかもしれぬ。
そうだ、今こそ。江戸の昔へ。「たまや」はたとえ「ドン・キホーテ」に変わろうとも。夢見る頃は過ぎても、都市を見限るのはまだ早い。石巻に帰る前に、必ずこの原型を学んでおこう。
東京散歩はまだまだ続く。
・Ingress Resistance Tokyo, Japan
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