王者横浜の野毛山でマイノリティの美学を見る
子供の頃、よく父親と姉と三人で「野毛山動物園」に出かけた。
思い出されるのは古い写真だ。ライオンの檻の前で、父が両手の拳を上げ、左右の肩には姉と私がちょこんと座っている・・ その親子の満面の笑みが鮮明に記憶に残っている。いや、父は驚くくらいに若かった。姉のこまっしゃくれた顔に泣きそうな私の表情に。そういえば、ライオンはどんな様子だったかな? 寝転がっていたか、歩き回っていたか。ふむ。
野毛という町は現在は競馬や大道芸、ゲイの街(これはいいのかな?)で知られている。が、私にとっては、戦後の闇市(野毛は横浜唯一の日本人街の闇市として栄えた)から脈々と受け継がれているあの独特の怪しげな雰囲気がたまらない。マイノリティの美学がぷんぷんと匂ふような気がする。
戦後の日本の暗部の象徴、もしくは失われた強い日本の象徴、そんな野毛に出かけたのは、たまたまのことだった。消防設備士の更新の講座を受けに、
石川町にある労働プラザというビルを訪れたのである。その帰りに、ぜひ野毛へ、と。イングレスという最近ハマっているゲームでAPを稼げるという(私は新人なので、得点を稼いで成長する義務があるのである)アドバイスをもらって、それでは、と行ってみることにした。
それにしても、また横浜に来るとは思わなかった。私は父親に三つ指をついて、「長いあいだお世話になりました・・」と挨拶をして、石巻に出かけたのだ。横浜の因縁もその時に捨て去ったはずであったのに。はぁ。何だかなぁ。
ちなみに横浜の因縁については、いくつかの記事が残っているので下記を参照願いたい。
もう私の中で終了したはずの「横浜」。恨みがましいような、眩しいような、忌々しいような思いで歩く「横浜」。
それが居れば居るほどみると、何とも何とも・・・
腐っても横浜。思い出と記憶は噴出し、新しい街並みは新鮮に映り。港のヨーコヨコハマヨコスカ、じゃあるまいが。(知ってるかな?)秘密。愛しき暗部。戦後の日本を支えた街。何とも愛おしくなってくるから不思議である。いや、やっぱいいわ。横浜。石巻とは格が違うかも知れぬ。(すまぬ石巻、と心で叫んだ)
自分が捨て去ろうとしたものの重みを思い知った。
石川町から桜木町、関内、伊勢佐木町から野毛町へ。本当はバスに乗ろうかとも思ったが、久しぶりに横浜を歩くのが楽しくて、お上りさんのごとく(ある意味本当にお上りさんだが)きょろきょろしながら闊歩した。
ポータルを見つけると、守り神のレゾネーターをアップグレード。幸いこの日は野毛町全体が青色に染まっていたので、破壊行為は無し。レゾネーターを慰めて、ポータルキーを着々と集めて回る。来るべき野毛山の頂点に備えるのである。とは言っても、そこは新人、(最終地点で)リンクやフィールドを作ることによって得られるカタルシスはそれ程大きくはないのだけれど。それでも、懐かしき家族の象徴、野毛山動物園を超えて、日本初の近代水道の跡地、野毛山配水池の古き門を超えて、野毛山の天辺にたどり着いたときは、得も知れぬ感動があった。
遂に来た。野毛山に来た。
リンクはいくつ作ったか、確か散々野毛山を歩き回ってコントロールフィールドが僅か4個か5個か。それでも、天辺のオリンピックの記念碑を見つめての満足感。夜景も最高。(一眼レフではないので画質が悪くて申し訳ない)うん、謙遜したが、結構AP稼げたんじゃないか。頑張ったかも私。野毛山いいんじゃん。何て自己満足しながら心地よい風を受け。イングレスが好きな方はぜひ行ってみると面白いかも知れぬ。
そんなこんなの野毛山散歩。あー楽しかった。
石巻とせめて同じくらいに、神奈川のことも好きになってあげよう、なんて思った。横浜の公園のベンチに座って。ふとやさしい気持ちで。そんなふうに思った。懐かしい街なんだから。せめて。
イングレス散歩はまだまだ続く。
(次回は東京編) (続く)