里山の名山、石巻市湊町の牧山を歩く。~銀河鉄道999を聴きながら~
【牧山に行く途中に懐かしの999(スリーナイン)を聴いた】
さあ 行くんだ その顔を上げて
あの人はもう 思い出だけど
君を遠くで 見つめてる
銀河鉄道999のテーマソングを久しぶりに聞いた。何十年ぶりだろうか。遠い過去からやってきたその音楽が、まるで未来の道を促す軍歌のようだ。
それもそのはずだ。懐かしのゴダイゴさんの歌は(当時から)少々センチメンタルだったが、私が聞いたのは遠藤正明さんバージョンである。新天地の要、私にとって核心の場所である石森萬画館(マンガッタン)で、ご本人様が歌っていたのだ。
生遠藤正明さんは、石巻のローカルヒーロー「シージェッター海斗」のテーマソングを歌っている。だから、マンガッタンの前に行くと、いつも遠藤さんの勇ましい歌声が聴こえてくる。慣れていたつもりだったが、生遠藤さんはいつもにましてど迫力、何ともパワフルな歌声だった。
・えんちゃんねる ※遠藤さんの歌声はこちらへ
何だ、この人だかりは?! と思ったら、生遠藤さんだ! |
パワフルな歌声、すごい |
笑顔もいいです |
かっこいい~ |
見よ この人だかり |
人々を元気にする歌声、最高です |
・石森萬画館
・シージェッター海斗オフィシャルサイト (海斗もかっこいいですよ)
999はマンガッタンの人だかりを離れて、自転車を飛ばしている最中に聞こえて来た。(まだ車をゲットできていない私は、もっぱら自転車で石巻を散策している)不意打ちを食らった気分だ。風が気持ちいい。これから向かう信仰の山、牧山が、歌の勇ましい未来と重なって来るようだった。
そうさ君は きづいてしまった
安らぎよりも 素晴らしいものに
あの人の目が うなづいていたよ
別れも愛の ひとつだと
旅立つためには、必ず誰かと別れないといけない。別れがあったからこそ、次の未来がある。自分の過去の別れを思い出した。一瞬、胸を突き刺されたような哀しみを覚えたが、生遠藤さんの歌声を聞いて風を切るその胸の奥は温もりをも感じている。泣きたいような、笑い出したいような、複雑な思いを抱えて、自転車を走らせた。
【「おまぎやま」は魔鬼山だった】
久しぶりに山に登りたかった。石巻は港町なので海は身近だが、私の大好きな山からは遠ざかっているような気がしていた。こちらに来てから、山といえば日和山しか登っていない。これから登ろうとしている牧山も、標高わずか250mだ。
ところが、それでも牧山を登り始めると、息切れがして来た。体がなまっている。それがわかるほど、山登りになっている。次第に標高が高くなり、町の向こうの水平線が落ちて、海が広がっていった。気持ちのいい森が現れて、その景観が私を懐かしがらせるのだった。
牧山の山頂には零羊崎神社が鎮座している。前日にGoogleマップで写真を見たら、何の変哲もない小さな神社だった。そのイメージは実物を目にして打ちのめされるのだが、その前に、松巌寺さんで参拝した話を。
先日、3.11の夜に、「光の箱」という灯りを見た。松巌寺さんの境内に展示されていたのだ。光の箱をご縁に、ちょっとした出会いが、交流があった。なのに、肝心の参拝をしてない。それが気掛かりだったので、牧山へ昇る前に松巌寺さんに立ち寄った。
光の箱とその上にかかる松の木 右手は不動明王が祀られているお堂 |
現在庫裡を新築中 |
松巌寺さんは現在本堂の整備と庫裏の新築の最中で、本堂は仮本堂だ。一瞬、どこをお参りすればいいだろう、と悩んだ末、整備中の本堂と不動明王が祀られているお堂を参拝することにした。
それから3.11の夜はじっくり見れなかった境内の大きな松を見て、やっと一安心、というか、胸のモヤモヤが晴れた感じ。女川街道に引き返す。マンガッタンから10分程、松巌寺からさらに5分程、自転車を走らすと、唐突に石で出来た鳥居が現れた。牧山の入口である。
登山口は鳥居だ。零羊崎神社の参道である。というと、もう山全体が御神体、と思われるが、調べると、どうやら神仏習合時代の複雑な歴史があるようだ。
零羊崎神社の創建年代は不詳。もともとは東北といえばの蝦夷討伐の坂上田村麻呂が建立した田村三観音の一つらしい。「奥羽観蹟聞老志」によれば、牧山観音(鷲峯山長禅寺)の地は古から零羊崎神社の地だった、だが、仏僧がその地を奪い、零羊先神社の名を隠して牧山観音にしたのだ、とか。はたまた「封内風土記」によれば鷲峯山長禅寺は慈覚大師が牧山寺を改名したものだ、とか。寺なのか神社なのか。
不思議なことに、ウィキペディアの「零羊崎神社」の歴史欄と、「社報まぎやま」を読めば読むほど、歴史が理解しがたくなる。最も説得力があったのは、石巻版ウィキペディアの「マキペディア」によるもので、そもそも牧山は、坂上田村麻呂が縄文人の末裔の蝦夷人(魔鬼族)から牧山(魔鬼山)を奪った、というものだ。田村麻呂は牧山を根城としていた首領の妻、魔鬼女(まきめ)を殺し、鎮護祈願として魔鬼山寺(まきやまでら)を建立したと伝えられているのである。(現在は魔鬼山寺は跡地しかない)
そんな複雑な歴史を知ってか知らずか、牧山(市民の森公園)は地元の方から「おまぎやま」と呼ばれ親しまれている。中腹にアスレチック施設があり、散策や遠足の場所としてもとても人気だそうだ。
※田村麻呂の蝦夷征伐と魔鬼族の話はこちらに詳しく書かれていた。興味のある方はどうぞ。
・石巻市民の森・牧山(255m)を歩こう 石巻市湊牧山
【松ぼっくりの花を見ながら気持ちのいい山道を歩いていく】
7~8分も登ると、道が開けて、ベンチと展望スポットが現れた。さすが標高250mだ、もう山頂に着いたかと思ったら、そんなわけはなかった、ここからが本番だった。牧山市民の森の案内板(写真下)を見て一瞬げっそりする。まだまだ先が長いようだ。
それでも、勾配のきつい山道は二度と現れなかった。なまった身体相応の、なだらかな山道が続くばかりである。私は久しぶりの森の散歩を楽しみ始めた。
上の写真は、展望スポットにある「潮音」というブロンズ像。石巻の天才彫刻家、高橋英吉氏の作品だ。雄々しい海の男の彫像は石巻の漁師を現しているそうだ。また、このブロンズ像は、ソロモン諸島にも寄贈され、海の遠くから故国石巻の方向を眺めている。
ブロンズ像の視線の先はこんな景色 写真はわかりづらいが石巻港の水平線が見えている |
気持ちのいい山道が続く。
松ぼっくりを拾った。
見上げると、花のように生っている。
木々の間から万石浦(石巻の海跡湖)と牡鹿半島が見える。
ここからモノクロにしてみた。
何となく、心情的にモノクロの方が面白く感じたので。
こちらは巨木的な松の木。
水たまりに映る木々。
こちらは大きく枝葉を広げたヒバ。
綺麗な模様のヒメヒャラ。
どんどん森の奥に入っていく。
牧山はモミ、ブナ、イヌブナの混生する自然林だ。裾野には海岸性植物がある。こういう林は石巻地方で牧山だけだそうだ。(マキペディアより)
道が分かれていた。やまぶきの道とやまざくらの道。
おまぎやまの森は保安林に指定されている。「硯上山万石浦(けんじょうさんまんごくうら)県立自然公園」でもある。
杉の間から海が見える。青く澄んで綺麗だった。
点々がいっぱい、わかるだろうか。全部松ぼっくり。
土を踏んで歩くのも気持ちよかった。牧山の森を歩いていたら、こういうところに住めたらいいだろうなぁ、とふと思った。人里から隔離された深い山の上でもなく、少しだけ小高い見晴らしの良い場所。人と獣、天と地の境が有耶無耶な、神と仏が曖昧な、古から私たちにとって身近な里山。
里山資本主義という本を読んで、里山が象徴する田舎にずっと憧れを抱いていた。あれはこんな場所だったのかもしれない。ふと実感を持って迫ってきて、そうか、銀河鉄道999が暗示したのは、こういう場所なのかもしれない、なんて。わざとらしいこじつけのように、それこそ真理だという確信のように、思ってみては楽しみながら歩いていくのだった。
【零羊崎神社は井内石だらけだった】
もっと続けばいいと思った。残念だと思った。クライマックスがそろそろ終わる、という予感に囚われた頃、木々の向こうがぽかりと空いて、鳥居が現れた。
鳥居の付近に、牡鹿半島がよく見える展望スポットがあった。ベンチが一つ、その横に「おくのほそ道」の標柱がある。「尾ぶちの牧」の歌枕で詠った歌で、
「陸奥の をぶちの駒も野飼ふには 荒れこそまされ懐くものかは」。
牧山の上からの景色を堪能してから対峙する。
前日、グーグルマップで見たときは、何の変哲もない神社だと思っていた。ところが、鳥居に近づいて、おやっ、と思った。
鳥居の石に不思議な模様がある。目立つのは斑の、石が風化した跡。まるで鳥の糞がついたような点々模様だ。白から黒灰色に濃淡があり、それもなかなか趣深いが、それだけではなくて、石そのものに細い縞々の模様が浮き出ているのである。
これは、井内石(いないいし)というのだそうだ。別名「仙台石」。
私は知らなかったが、井内石というのは全国に名を馳せたとても有名な石で、井内石プロジェクトのサイトの表現を借りれば、
「山の神が作った比類なき美しい縞目」
とのことだ。井内石は江戸時代から重宝されて、墓石や石碑に数多く使われてきた。ちなみに、墓石界では「至高の石」と呼ばれている。
そんなことは全く知らなかった。知らないのに、あまりの美しい素材感を目の当たりにして感動した。何だろう、これは、と。
あまりに心を打たれたので、しつこく撮って来た。
牧山はこの井内石の産地で、牧山自体が井内石で構成されている。たかだか250メートルの小さな山ではない。全国の石を代表する何とも貴重な山だったのだ。
~「井内石」の産地稲井地区があります。井内石はこの地「牧山」という山から産出されます。牧山の岩石層は、砂質粘板岩、粘板岩から成り、そのなかには数メートルから十数メートルの板岩が挟まれていて、石層は約250メートルに達するといいます。この砂質粘板岩が「井内石」として知られるもので、牧山は全山この石で構成されています。~ 井内石プロジェクトより
社務所の窓口に「宮様御免」と書かれた御札が売っていた。魔除けだと書いてあるが、その御札に書かれている絵が魔物みたいな姿である。2本の角に、ガリガリの痩せた姿。多少愛嬌がある。とぼけた悪魔といった感じ。興味深く眺めていたら、どうしても欲しくなった。また「簡易神棚を配布しています。欲しい方はどうぞ」という張り紙にも惹かれた。神棚も持っていないので欲しい。社務所はがらんとしていた。呼び出してもなかなか人が来なかった。それでも、女性の後に、多少強引的に神主さんを呼び出して、護符と神棚をいただくことができた。
ちなみに護符は、元三大師(がんざんだいし)護符だそうだ。元三大師は良源のことで、平安時代の僧侶である。悪魔のようなガリガリの姿は、良源が鬼の姿に化して疫病神を追い払った時のものだそう。(もしくは、良源が病に冒され、骨と皮ばかりに痩せ衰えてもなお、人々のために奔走し続けた姿だという説もある)
この魔除けの護符は、震災の前は牧山敬神婦人講の議員を通して授与していたが、震災後はこの地区を離れた方が議員の方もく、領布が難しくなっているとのこと。お参りの際にぜひお受けしてはどうだろうか。
護符は玄関に貼ると魔除けになって良い (現在ホテルの部屋のドアに貼ってある) |
簡易神棚を神殿に取りに行くご主人(神主さん?) 雪が残っている |
木々に囲まれた山頂の零羊崎神社、眺めも井内石も素晴らしかった |
さて、クライマックスもついに過ぎてしまった。零羊崎神社に別れを告げて、牧山を降りていく。下り始めて直に栄存法印墓所が現れる。栄存法印様が誰だかわからないが、とにかく鳥居を見れば自動的にお参りをしたくなるので、丁重に拝ませていただいた。
お参り前にぎょっとしたのは、やけに異形のもの風の狛犬が・・
下の方で何かが・・ こっち見てるような |
う~ん ちょっと怖い・・ |
井内石と同様に栄存法印の怨念も知らなかった。が、やはり何とはなしに、薄気味悪い空気を感じてしまった栄存法印墓所。オカルト好きな方にもオススメだ。
しばらく森の中を進むと、これは行く前から楽しみにていいた庭園が現れた。春は花菖蒲が綺麗だという。
段々畑の茶畑もお見事。この奥あたりに、魔鬼山寺跡があるはずだが・・
牧山社務所の正門(というのか?)。栄存神社と書いてあったので、この門の中を進んでいった。社務所に神社というよりは、普通の家っぽいので、本当に入っていいのか心配になる。少々はらはらしながら進むと、
また井内石だ。
で、こちらには・・
出た。角が倍増した元三大師、良源様だ。(どう見ても悪魔)
あの段々茶畑で採れた「牧山茶」なるものを売っていたので、買うことにした。信仰の山で取れたお茶だ。井内石と、栄存法印と、元三大師パワーも宿っていそうだ。
(ちなみに、茶の味はまろやかで美味しいとのこと。実家の父と母に送って飲んでもらった。長生きするかもしれない)
可笑しいのは、牧山茶を買いたくて、何度もピンポンピンポン鳴らしたら、さっきの神主さん(?)がまた出てきたことだ。二度目である。また多少強引的に呼び出してしまったようで、顔を見たとたん、やっちまった感に襲われた。
そんなこんなを差し引いても、牧山散策は楽しいものとなった。帰り道には井内石の採掘場らしき断崖も見られるので、ぜひ探してみて欲しい。
下の写真は帰り道で港が見えてきたところだ。道よりも高くに、石巻の海が浮かび上がって来た時は、思わずはっとさせられた。美しかった。
春になったらまた是非牧山に来たいものだ。菖蒲も見たいが、庭園の周りを囲むように立つ枝垂れ桜。あれが一斉に咲いたら、さぞや絶景なことだろう。
石巻の魔木山。牧山、という里山には、たくさんの宝があった。目を見張るほど、溢れるほどに。うまく伝えられたか怪しい。ぜひご自分の目で確かめていただければ幸いである。里山のこの素晴らしい原石を活かして、いっそうの春を迎える未来の石巻を、湊町を思う。銀河鉄道999を口ずさんだ。
マンガッタンに戻って来た 相変わらず宇宙基地風だ |