みちのく紅葉巡り編① ~小岩井農場と八幡平の自然崇拝~



 「こんなに低空を飛ぶのは珍しいわね」

 ふと後ろの席のご婦人たちの声が聞こえた。私は本を読むのをやめて、窓から眼下の景色を眺めた。驚いた。赤く、焼けただれた山々が延々と連なっている。

 「かつて日本の山々は荒れ果てた景観をさらしていた・・」

 ちょうどエネルギー関係の本のこんな箇所を目にしていたところである。

 

東北に旅立つ前に今回も羽田航空神社へ

遠くに富士山が

これなんの山?ひときわ目立っていたが、磐梯山??

 
 人類が初めて利用したエネルギーは、木材を中心としたバイオマスだった。

 都市が発達するにつれて、広範囲にわたって森林が伐採された。燃料としてだけではない、建築資材、造船、道具類、肥料や飼料、ありとあらゆる用途に木材は欠かせなかった。
 長い時間をかけて森林は破壊されていった。必要ならばまた植えて増やせばいい、とはならなかった。江戸時代に、留山制度という管理システムや植林政策を導入して、森林資源の枯渇を防ぐのが精一杯だった。
 森林破壊は留まるところを知らず、18世紀までに本州、四国、九州、北海道南部の森林のうち、当時の技術で伐採できるものの大半は失われた。

 森林の伐採により、永年にわたり培われた肥沃な表土が失われた。いったん植生と表土が失われてしまうと、雨とともに表層が浸食され、土砂崩壊が起きた。都市に近ければ近いほど、山々は「はげ山」となった。

 「はげ山」になった山々は、自然のままでは回復が難しい。本には第二次世界大戦終戦後に撮影された西日本(岡山県)の山の風景写真があった。まばらな樹木と、雨によって激しく浸食された跡(ガリー)が痛々しく写っている。

 日本の山々に緑が戻ってきたのは、第二次世界大戦後、それもずいぶん経ってからのことだった。 


 私は眼下の「はげ山」を呆然と見つめた。夏の富士山のような赤い表土だった。
 いや、そう見えただけだ。山々を染めているのは、あれはすべて紅葉ではないか。その事実に気が付くまで、大した時間はかからなかった。

 驚きが一瞬にして歓喜に変わった。来たのだ。東北へ。紅葉が山々を染める、この豊かな大地へ。
 そして、こんなにも、日本には森林が戻って来たのだ。私たちの祖先が、失われたものを一つずつ取り返していくかのように、根気強く、植え続けたのである。

 中には、(ブナ林などの)天然林を伐採して、成長の早い杉やヒノキの人工林に植え替える「国有林生産力増強計画」という妙な施策もあったようが、それにしてもどうだろう、戦国の時代でさえ、平和な江戸時代でさえ、当時必要不可欠だった森林バイオマスで山を覆うことは出来なかったというのに。

 復興用材や高度経済成長に伴う木材の需要のせいだとか、公害という社会問題を背景に国土の保全、自然環境の保全が必要とされたとか、なんだかんだと理由をつけて、先の大戦後ずっと、この国は膨大な特別会計を使って木を植え、森を山を守り続けて来た。木材の自由化に伴ってとうに需要が失われても、だ。

 こんな考えはひょっとしたらそちらこそが「とんちんかん」かもしれないが、私には、とんちんかんな「林力増強計画」でさえ、意図的なものであったかのように思えてくるのだ。
 この紅葉の山塊を見よ。先の大戦に敗戦した、この国の傷の深さを突き付けられたような思いがした。収奪され尽くした山々に木を植えるという行為によって、二度と同じ轍を踏むものか、という決意の深さを見せ付けられているような思いがした。

 そして、今、時を経て豊かに実った樹木たちは、ちょうど収穫の時期を迎えている。国有林野事業は特別会計から一般会計へと変わり、森林、林業の再生に向けて(表向きはそういう理由だ)新しい一歩を踏み出した。これは何かの符号だろうか。エネルギー問題が行き詰ったちょうどこの今・・


 私は飽きもせず景色を眺め続けた。不思議なことに、秋田に近づくにつれ、山の様子が変化していった。見た目が明らかに違う。大げさなほどに、落葉樹と常緑樹を植え分けているのである。
 たとえは悪いが、七三分けのサラリーマンみたいだ。尾根を境にして、広葉樹の紅葉と、針葉樹の濃い緑ががらりと色を変える。私の住む関東でも日陰になる谷側は杉やヒノキの緑、明るい尾根辺りはコナラやカエデ、ケヤキ、ブナとの紅葉というのはよくある話だが、こちらは谷側にも落葉樹がある。法則性がよくわからない。ただ、おかげで色の変化が面白く、美しく、見ていて飽きない。パッチワークのように綺麗だ。
 今からこの山々の元へ行くのだなぁ、そう思ったら、おのずと心が弾んで来るのであった。
 


秋田に到着

秋田空港 ここからドライブして北上します

今回の旅の相棒は日産のキューブです

今回の旅は走行距離はどれくらいになるか?
出発前は7304の表示が・・

走り始めて、まずススキの美しさに目を奪われる

田畑にはところどころに祠が立っている


46号線を田沢湖方面に向かっていく


 11月1日の9時半頃、秋田空港に到着した。
 今回もレンタカーである。走り始めてすぐに、私はまずススキの美しさに目を奪われる。道の脇に延々と続くススキが陽に透けながら靡いているのである。これだけしつこいススキは関東ではそう見られない、この秋田らしい美しい光景を撮りたい、と止められそうな場所を探して車を止めるが、走っているとき心を奪われた光景は、不思議と見つけられないのである。これは次に訪れた紅葉ラッシュでも同じだった。なぜか、車を止めて撮ろうとすると、それまでの美しい光景がまるで幻のように消えてしまう。
 私は自分の腕を呪った。もしくは、グーグルグラスが欲しいと願った。全部記録さえできれば、決して私の言うことが嘘ではないことを確実に証明できるというものを・・ あの秋田の道を走り始めてすぐに訪れた感動を、あの美しい光景の全てを、そのまま伝えられるというものを。

 とりあえず、グーグルグラスがないので、簡単に言うと、秋田についてすぐに私が叫んだのは、「ススキキタ━(゚∀゚)━!」と、次に「紅葉キタ━(゚∀゚)━!」と、最後に、「みちのく最強――(゚∀゚)――!!」である。いや、簡単に言いすぎた・・・

 が、私は心の奥ぶかいところですとんと納得するように確信してしまったのである。日本の秋の自然の景色は、やはり陸奥が一番美しいと。なぜこの1年間、この地を忘れて生きていることができたのだろう。私は将来、田舎に住みたくて、熊本県と三重県のどちらにしようか真面目に考えていたところだったが、いや、何言ってんだ、やはり東北だろう、と咄嗟に思ってしまったほどであった。

 と、ここまでベタ褒めの秋田の景色だったが、しかし、人の印象は散々だったのである。秋田はツンデレ、もしくはシブチンのようだ。先月出かけた北海道と比べると歴然とした差があった。
 セブンでコーヒーを頼んでも放っておかれる。事務仕事の手を休めないので、仕方なくもうひとりの店員に頼む。当然、砂糖やミルクの置き場の案内もない。あるか尋ねると、「そちらからご自由にどうぞ」(=「見ればわかるでしょう、勝手に取って入れてください」の意)とのたまわれる。(北海道のセブンは砂糖ミルクを店員が入れて笑顔で手渡してくれたのである)

 着いて早々の秋田空港レンタカーカウンターの店員からして、印象が良くなかった。若い女性なのだが、どう見ても空いている(同じ飛行機でレンタカーカウンターに向かったのは私だけ)のに、予約の客を覚えていない。「何名様ですか?」と平気で尋ねる。その後送ってくれた営業所では、「ガソリンは〇〇(一番傍のガソリンスタンド)で入れてください」と説明する。相変わらずにこりともせず、他のガソリンスタンドで入れてしまうと、たとえ市内であってもそこからメーターをゼロにして走行距離を測り、その分のリッター数を割高で請求されることになると告げるのである。(同じレンタカー会社の北海道の時は、市内のスタンドならどこでもよかった)
 
 極めつきは、角館から田沢湖方面に向かう際の森の駅である。森の駅というのは、民間企業(木材店)が作った「人と森林との共生」をテーマに掲げたふれあいスペースである。駐車スペースと売店、トイレがあり、道の駅と似た用途で立ち寄る方々が多いようだった。この売店のご婦人のそっけなさ。また、妙な外国人の営業スマイル・・

 施設内では巨木の加工品を売っていた。巨木の森という生産館で木を加工していた。木工機械の音が響く中で、その巨木の加工品を一つずつ見ていると、色の黒い外国人・・ ーもしかしたら日本人かもしれない、しかし何を訊かれているのかどうしたも聞き取れないのであるー に何かを問われたのである。彼は始終笑顔で、言葉が通じなくても始終笑顔で、何かしら卑しい匂いのするその必死の笑顔を目の当たりにして、私はふと奇妙な心持になったのである。この場所が、すべて偽物ではないかという思いに囚われたのであった。
 
 これだけバイオマス資源が豊かになると、それをどう活用するか、どう地域に生かすのかが問題となる。その過程で、本物と偽物が必ず出現することだろう。これからの時代は、それを見極めることこそが、鍵ではないか。いや、森の駅は残念ながら本物に見えなかったという話である。
 


森の駅 客寄せパンダ風の馬が二頭、草を食べていた
(若いカップルが飽きもせず見つめていた)

生産館「巨木の森」の中の様子
4
アメリカワシントン産の松科シトカ・ストループの加工品
和賀山塊も秋田の木も関係ないのか?

巨木の森 家具類も売っていた

奥に見えているのが秋田駒ケ岳

田沢湖傍の峠の茶屋から 秋田新幹線のこまち

秋田新幹線と並行して走る秋田街道(46号)
巨木で知られる和賀山塊も近い

そろそろ県境

岩手に入った途端、岩手県道路パトロールカー
(国土交通省)が現れる その後ろを行く

岩手山が見えた ━(゚∀゚)━!



 森の駅でだいぶ時間を使ってしまった。盛岡へと続く国道42号線を急いで走る。42号線(秋田街道)は秋田新幹線と並行して走っており、その両側は駒ケ岳から和賀岳へと続く山脈が見事に色付いていた。紅葉ドライブにはうってつけの道だ。秋田新幹線「こまち」の撮影隊もあちらこちらに並んでいる。
 
 岩手への県境を超えると、うまい具合に私の真ん前に岩手の道路パトロールカーが入ってきた。紅葉を撮りたくて、車を止めたそのすぐ後だ。景色を見ながらのんびり走りたかったので、おかげで前の車も後ろの車もペースを落としてくれて助かった。

 そのままパトロールカーの後にぴったり付いて、盛岡市に突入する直前で、国道42号から県道219号網張温泉線手前の田舎道に逸れて北上、小岩井農場へと向かっていく。
 この辺りは、東北自動車道に国道4号と、青森県に向かって北上する道路が幾つかあるが、やはりここまで来たら、小岩井農場に寄らずいいられようか。

 小岩井農場は童話作家の宮澤賢治が何度も訪れた場所である。彼は小岩井農場を題材にした物語や詩を残している。詩集、「春と修羅」の「小岩井農場」、それから短編集「注文の多い料理店」に収められた「狼森と笊森、盗森」。私が20年以上も昔によく読んだ物語だ。

 ・狼森と笊森、盗森(青空文庫)


 農場行きの標識を見たときは、あまりの懐かしさに胸が熱くなった。
 20年近く前、宮澤賢治が大好きだった私は、賢治ゆかりのこの農場を訪れて、農場内のSLホテル(銀河鉄道の夜をモチーフにしたもの)に泊まったのだ。私は夜中にSLを抜け出して、夜の小岩井農場をぐるぐると歩いた。そして星空を見上げた。黒い夜の森たちに話しかけた。当時私はずいぶん惨めな思いを抱えていて、(あまり幸福ではない時期だった)ここに来れば、自分が再生できるのではないかと思えたのだった。

 賢治の物語を読んでいると、夜空も森もまるで私たちと同じような人格を持っているかのようである。生き生きと、親しみ深く描かれている。私は自分と同じように、自然を思うことを賢治から学んだように思う。
 つい、ほんの今、何十年ぶりかに狼森と笊森、盗森を読み返して、何か、とても大切なものを思い出さずにはいられなくなったときのように、思わず、心が震えた。これは自然崇拝とアニミズムの原始的な形ではないか。

 東北を訪れたら、ぜひ宮澤賢治がこよなく愛した小岩井農場に立ち寄っていただきたいものである。あなたを再生に導く何かが、ここには必ずあると信じている。



小岩井農場の駐車場で 大げさな飛行機雲を見る
ケムトレイルかもしれない、普通に飛行機が軌跡を描いて飛んでいた

まきば園の入口の真後ろに岩手山がどーんと見える

ハロウィンの飾りが残っていた 大きなカボチャが美味しそう

ここに来たらジェラードショップで
ミルクのソフトクリームを(350円也)

こちらが名物のSL デゴイチ(D51)今は閉鎖されているようだが、
かつて後ろの車両と横の建物がホテルだった


SLホテル 錆がもの哀しいが懐かしかった

小岩井農場の景色


春子谷地湿原と岩手山


282号から23号(通称アスピーテライン)へ

アスピーテラインを登る途中 キューブも紅葉に染まって

山頂間近の展望台 岩手山が見える

八幡平山頂からの眺め 

どこまでも続く森が迫力だった




 小岩井農場から春子谷地湿原の真横を通って、岩手秋田県道23号、通称アスピーテラインへ。アスピーテラインは岩手側から八幡平(はちまんたい)の山頂へ向かう道だが、高度が上がるにつれて見応えのある眺望を楽しませてくれる。
 山の中腹は色鮮やかな紅葉を、中腹を超えると、ダケカンバの続く白い林道を、山頂前後ではフロントガラスいっぱいに広がる空と雲と太陽の光、多少眩しくて走りづらい(※)が、まるで天上を行くがごとくに美しい。
 
 ・アスピーテラインドライブマップ(八幡平市観光協会)
 ※私が登ったのは午後2時半頃


 山頂からの眺めがまた圧巻だった。目の前に岩手山、すぐ真下にはどこまでも森が続いている。豊かな山塊と森林をこれほどまでに一望できる場所が他にあるのだろうか。

 八幡平山頂付近の紅葉の例年の見頃は10月上旬だそうで、訪れるには若干遅いようだった。実を言えば、私は、アスピーテラインを走りながら、なぜこのみちのくの紅葉が美しい時期に、わざわざ紅葉の見頃を過ぎた八幡平に来てしまったのか疑問に感じていたのである。特に裸木ばかりのダケカンバ林を見たときは切なくなった。北海道での沢登りを思い出してしまったのである。(あの沢の迷い道はダケカンバばかりだった)
 なぜここにいるんだろう。紅葉はとっくに終わってしまったのに。

 電波が途切れ、無音となっていたラジオから、突然、オペラの楽曲が聞こえてきた。こんな選曲はしていない。秋田放送の会話を楽しく聞いていたはずである。
 久しぶりに現れた音は、しかし、時々途切れ途切れとなりながら、恍惚とした歌声を響かせるのであった。ダケカンバの連なる景色と重なっていく。

 再生。

 賢治の世界と一緒だ。裸木だらけのダケカンバが、生まれ変わるべき姿のように映り、存在し始めた。私は息を呑んだ。いつしか疑問は吹き飛んでいた。紅葉から与えられる喜びとはまた別の、力強い息吹がそこにはあった。
 山頂に着いて、景色を一望して、思いはますます強くなっていった。ここは、今わざわざ登って来るべきところだったのだ・・


 山頂にはレストハウスがあり、既に暖房が効いていて暖かかった。というより、山頂が寒過ぎた。八幡平は標高1600mを超えた立派な山なのである。なだらかな山道になだらかな山頂、山とか岳というよりは、確かに、「平」と呼ぶほうがふさわしいとはいえ、れっきとした高さがある。駐車場では雪が見られた。寒いはずである。

 私は山頂の散策コース(八幡沼~ガマ沼~メガネ沼~鏡沼と源太森を巡るコース、所要時間2時間程)を歩きたいと思っていたが、展望台に数分いただけで手がかじかんで痛いくらいである。手袋を持って来れば良かった。まずい、これは風邪をひく、と長居するのを断念した。(時間が押していたせいもあるが)


 ちなみになぜ山なのに八幡平と言うのかといえば、一説によると、1200年程前(桓武天皇の時代)に、征夷大将軍の坂上田村麻呂が東北遠征の折、ここに八幡宮を建てて戦勝を祈願し、首尾よくこの地方を平定することができたため、上への感謝を込めて八幡平と名付けたと言われているそうだ。

 帰宅してこれを知った私は、ぎょっとしたものだ。田村麻呂は陸奥国の蝦夷(えみし、えびす、えぞ)を倒した張本人ではないか。
 蝦夷は大国主の流れを次ぐ出雲族が(出雲を追われて、陸奥に)流れてついた民族だと言われている。私はこの日本の歴史において敗れた側の者たちになぜか共感を抱いているのだった。出雲の大国主。九州の熊襲(くまそ)に隼人(はやと)、青森の蝦夷。縄文人の血を引く者たちだ。

 まさか心を震わせた場所が、陸奥平定の記念の場所だとは思わなかった。
 しかし、伝説と異なり、史実では坂田田村麻呂は八幡平を訪れていないという。(田村麻呂人気にあやかったただの伝説だそうだ)
 まぁ、良かった。1200年も経っても、この八幡平からの神前の如き眺めは、恐らく、当時と変わらずただ美しい。陸奥の大地を、あるがままに晒して見せるだけである。これだけは伝説ではない。

 山頂から松川温泉へと続く八幡平樹海ラインという道があり、こちらも絶景だそうだ。岩手山の雄大な眺めに涼風の滝、太古の息吹(温泉の源泉)なども見られるらしい。
 また冬は、八幡平山頂付近の樹氷原が美しいそうなので、季節を変えて、またぜひ訪れたいと思う。

 ・八幡平樹海ライン(岩手観光スポット)




岩手山

展望台からレストハウスを駐車場を見る
その後ろのが山頂の散策コース

どこまでも森林 これには圧倒された

展望台

天上に浮かぶような八幡平山頂レストハウス 中は暖房が効いて暖かかった

散策道 山頂まで1.3km
レストハウスのすぐ下に無料駐車場がある
待っているキューブを見下ろして

八幡平アスピーテライン帰りの道で

いい眺めだなぁ



 山頂を通り越し、八幡平の反対側をアスピーテラインで下って、また秋田へ降りていく。
 途中、大沼温泉と秋田ビジターセンターのすぐ傍に大沼という池を見つけた。周りの遊歩道も良い雰囲気である。
 アスピーテラインの秋田側下り道は紅葉を楽しみながらあっという間に降りてしまった。ここから先は、今日の宿に向かって青森までのドライブだ。

 そうそう、大切なことを書き忘れていた。
 小岩井農場と青森間近で、私は懐かしい再会となる人から電話をもらったのだった。ずいぶん気遣ってもらった。おすすめの料理屋を教えてもらって(残念ながら私はそこにたどり着けなかったのだが)、ずいぶん良くしてもらったものだ。初めての土地、青森も、おかげで心強かった。(私は弘前には何度も来ているが、青森駅周辺は初めてなのであった)

 今回の旅の目的は、紅葉と、再会。去年青森に行った際に会った二人と、ともに紅葉を見ることである。
 彼女たちは元気だろうか。さて、青森の紅葉はどんな具合だろうか。
 私は胸をときめかせて、みちのくの初日を終えるのである。



大沼の散策道

大沼

散策道案内図 森林浴の森百選だそうだ

アスピーテラインを秋田側に下る

ちなみに小さいサイズの写真は
車の中から撮ったアイフォンの写真




秋田の紅葉三昧

キューブも染まって

あっという間に日が暮れた

まだ6時過ぎなのに深夜のよう

街灯が見事にない
田舎ならではのドライブ?

道の駅いかりが

弘前市街を通り抜ける


20時半、青森に到着

商店街の飲食店は飲み屋くらいしかやってない
老舗らしきラーメン屋を見つけて入る

昭和十三年創業の末廣さんだ

おすすめの中華そばを食べる
見た目はイマイチ 恐る恐るスープを一口飲んで、「美味しい!」

鰹だしっぽかった

今日の宿 青森駅前のスマイルホテルさん
今日もお疲れさまでした


✩出典✩




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