空虚国の生活者 ~初秋の北鎌倉・海蔵寺、浄光明寺紀行~
「ありはしない」と諦観していた事柄について、まだあるかのように夢見てしまった先週を経て、現実の、いつもの「生活」へと戻ってきた私がいた。
すると、輝かしい筈であった生活は、何とも味気ない、色褪せたものと映るのであった。
この日々を手にする為に、私がどれほど苦労と努力を重ねてきたか、などということはお構いなしだ。
ひとしきり嘆いた、というより、脱力した後に、彼のラスコーリニコフだって、それを手に入れたのは、北端の地の鉄格子の中であったということを思い出した。
囚人の生活に夢がある筈がなかった。生活の喜び以外がある筈がなかった。
思い出したら、私はまた黙々と生きていくことを良しとして、以前とは趣を変えた、少し悲観的な諦観を得て、生活を始めた。荷を抱えて、道を歩き始めるのであった。
新しいレンズを手に入れた。
先日のTAMRON90mm F/2.8マクロに続いて、今度は広角、EF17-35mmF2.8LUSMである。
何度かこのblogに登場するギャラリーの主人から譲り受けたもので、「おまけ」として、彼がもうとうに使う機会を失くしていた、カメラリュックやフィルター一式、レリーズ、クリーニングの道具などが付いてきた。
多くは銀塩時代のもので、使い物にならなかった。が、欲しかったNDフィルターがある。リュックも私の体には合わないが、試しに使ってみよう、思い立って、レンズを3本、カメラに弁当を詰め込んで、家を飛び出した。
目指すは、北鎌倉であった。咲き始めた彼岸花に、萩を撮りたいと思っていた。一昨年の北鎌倉で巡り合った萩と、彼岸花は、私にとって数少ない成功体験であった。その時の写真を見た、私を軽蔑する会社の同僚は、驚きを以て言ったものだ。「上手いね!」
あれは、思いがけぬ心からの賛辞という体だった。まるで自分でも、その言葉を発したことに驚きを以ているかのような、戸惑った表情に見えたものだった。
私はその時の快感を再び、今度は出来ればもっと多くの者から得たくて、あの日と同じ場所を選んだわけだが、不思議なことに撮りたい写真は、以前とは全く異なっている。
その前に、言いたいことがあった。
私はその一昨年と同じ浄光明寺で、彼岸花を撮っている際に、とある老人に出会ったのである。
若者や、比較的若い部類の中高年層が多い中で、彼の「老人ぶり」は際立って見えた。みすぼらしいとさえ言えた。時代遅れの、まるで老人向けのシャツにスラックスにベスト、そしてノーブランドのリュックを背負って、肩を丸めて歩いている。足取りはゆっくりで、左右に傾き、ふとした些細なきっかけで倒れてしまいそうにも見える。なぜ、そんな老人に目が行くのかと言えば、彼がつい数分前、私が達観した「生活」の象徴に思えたからであった。
日々を重ねて、平凡に年を取り、私は彼のように、老いる。
休日に、もしくはたまの体調のいいある一日に、リュックを背負って、北鎌倉へと花を撮りにやって来るのだ。リュックの中には、手作りの弁当が入っている。たまの楽しみ、唯一の楽しみ。季節毎の花を撮る、それだけを支えとして、「生活」を繰り返している、老人。
ふと私は彼がどんなカメラやレンズを使っていたか、まったく目にしていないことに気が付いた。
(通常、興味がないのである)
すると、どうしても見たくなったのである。なぜかと言えば・・
北鎌倉と言えば、海蔵寺だ。
私はこの寺がお気に入りで、季節の花を撮りに通っている。
が、今日はさっぱりだった。期待していた萩も枯れていた。初め私はこの寺に辿りつく途中で何度も萩を見たものだから、何かの間違いで、まだ咲いていないのではないかと思ったものだ。
が、よくよく萩の枝(蔦)を見ると確かに枯れた後がある。花弁は一枚も落ちていない。すでに掃きとられた後なのだろう。もしかしたら、今年は天候の不順か台風の影響で、この萩の葉が花を纏うことはなかったのではないかとさえ思われた。
毎年、萩を楽しみにしていただけにこの寺で見れないことに失望を覚えた。境内には芙蓉が一心に咲いていたが、それも俗じみた変哲のない絵と思えた。私は最近読んでいる本の影響で、今日の海蔵寺を「空虚国(からくに)」と名付け、水穂の国を目指して、次の寺へと向かう。
それが浄光明寺だった。
萩も殆ど枯れ、彼岸花はまだ満開ではなかったものの、空虚国の後の私は満足して撮り始める。望遠ズームレンズ、マクロレンズ、広角の新しいレンズを全部試した。
久しく写真旅行に出かけていないせいか、それとも新しいカメラリュックのお陰で荷が重かったせいなのか、私はすぐに疲れを感じた。短い時間に集中して撮って、もう帰ろうかと思った時に、前述の老人を見たのであった。
以前私は北鎌倉のこの寺で数人の写真愛好家たちと知り合いになった。「北鎌倉には師匠が多いんだよ」とその一人が言ったものだ。
写真好きなものたちが集まるのだろう。何かのサークル、写真の会かもしれない。また彼らと出くわしたら少々気まずいものだと懸念していた。老人を見た時、思わずそのことを思い出したのだ。彼は私が最後のレンズ、広角で彼岸花を撮っている時に、ふと振り向くと、3メートルほど後ろから三脚を立てて同じ花を狙っていたのであった。
その眼光の鋭さに私はぎょっとしたものだ。
「師匠」たちの総元締ではないか、彼こそが。そんな考えが脳裏をよぎった。
私は飛びのいて、彼に彼岸花を譲り、自分は後から邪魔をせぬように撮ったのだが、おかしいもので、後ろからよくよく見れば、総元締の師匠のなんとみすぼらしいことか。
前述したような老人のスタイルで、体型も、持ち物も、貧相だった。
私は彼の眼光だけに惑わされたことになる。老人を見れば見るほど、つい数十分前達観した「生活」と彼とを結び付けて考える。自分の未来を見る、というよりは、やはり現在の、味気なく色褪せた生活そのものと思えた。
私は彼の背後から、鼻を鳴らして、まるで見下すかのように、ひとしきり老人を観察した後、興味を失くして、浄光明寺の門を出るのだが、思い直して、また境内に戻るのであった。
時刻は昼だ。お昼ご飯を食べていない。
川沿いの高貴なせせらぎの音に満ちた住宅街で食事の場所を探すのは嫌だった。お気に入りの寺の境内で休ませてもらおうかと思ったが、ベンチの一つもない。(鎌倉の寺にしては珍しい)
それで、仕方なく、また寺を出て、歩き始めれば、先ほどの目の前に老人が歩いているのである。
今にも転びそうなこれも貧しい歩き方。なぜ、彼を師匠だなどと一瞬でも思ってしまったのか。
ただの囚人のような生活者ではないか。
ああいう眼光は覚えがある。私がまだマクロレンズも広角レンズも、純正の望遠ズームさえ持っていない時に、いや、三脚さえも父親のお古を使っていた、遠く感じられる過去に、良い機材を抱えて現れたカメラ愛好家たちの団体の前で、体裁を繕うために、ただその時持てる物をひけらかしていた時。こんなだけどね、私は本気でやってるんだからね。遊びじゃないんだからね・・あなたたちとは違うんだからね、とでも言いたげな、そのポーズと、実際の本気の想い。
私は老人の眼光がその時の私と同じような、他者から相対化されることを拒むような、唯一の老人の抵抗であるかのように捉えたのだった。
私の未熟だった、それとも本気だった、過去と重ね合わせて。
そうして老人を憐れむような、心情を知り尽くしたような思いに浸って、ふと、そう言えば老人の機材を何も見ていなかったということを思い出した。
彼は過去の私とは違う、「本物」であるかもしれなかった。
その眼光にふさわしい、師匠の一人であるかもしれなかった。
私の過去でも、現在でもなくて、「生活」の先に辿りつく、未来の姿であるかもしれなかった。
で、私は確かめたくなったのだ。
もしも、彼の眼光が本物か、唯一のものなのか。それで後を付けたわけだが、不思議なことに、彼は空虚国の海蔵寺に向かってまたしても私をがっかりさせた後で、ふいに消えてしまった。
見逃すわけなどなかった。あの緩やかな足取り。デジカメを向けた女性の為に、木陰に身を隠したわずかの時間の出来事だった。
初めはトイレかと思った。私は境内を探し回って、暫く待ってみたが、現れない。私が空虚国と名付けた今日の海蔵寺を一瞬で見抜いて、撮るべきものは何もない、と脇道から去ったのであろうか。またここまで来たのに・・と少々がっかりさせられて、それでも、石のベンチに腰を掛けて、周りで参拝者たちが飲み物を飲んだり、軽食を食べているのを目にするのであった。
弁当など出し辛い北鎌倉であるというのに、食事をする場所を難なく与えられた思いがした。時刻はちょうど昼であった。生活だから、食事は大切だ。そのことを思い知らされたようで、可笑しく感じながら食事を終え、目の前の芙蓉を見ていると、いつの間にか、見失った老人が現れて、三脚を立てている。驚いた。
私の真ん前、10mほど先の芙蓉の花を狙っているのだ。三脚をゆっくりと立てて、カメラをセットする。ポケットからレリーズを取り出して本体に付けている。同じく、PLフィルターを付けたようである。三脚も、カメラも、レリーズも、最新のものではなかった。三脚はそう頑丈そうではないし、カメラも当然のように銀塩。しかし愛着のある機材のようであった。老人は歩みと同じように、ゆったりとした一連の流れで、それらを取り出し、セットして、今度はファインダーを覗いてピントを合わせ、顔を上げて、芙蓉を見る。
山門の階段を上ってきた若い男女と何やら話をしている。
よほど聞きたく思ったが、声が小さく、内容までは聞き取れなかった。ただし、何かを(花の撮り方か、この寺の説明か)老人が男女に教えていることだけは口調でわかった。
若い二人は丁寧に老人に礼を言って、その場を立ち去っていく。
それで、私は満足したのだった。
老人の声が、穏やかで、満ち足りたものであったこと。
若い者に、教える術があり、彼らから感謝される存在であること。
知り、諭すものであり、先ほど感じた鋭い眼光は消え失せて、愛に満ちた優しい目で、芙蓉を一心に撮っていたこと。
ふと老人と目が合った。
私はそ知らぬ顔で視線を外したが、もしかしたら、先ほどからずっと見ていたことに気付いていたかもしれない。
老人が境内の奥に進んで行った。奥には何があるのか、空虚国ではなかったか。そうだ、立派な寺に、桔梗も、紅葉だってあるではないか。
私はそのことに気付くのだが、それは後の話。今は、老人の真似をして、芙蓉の花を撮っている。
不意に空から影が落ち、足元が翳る。鳥の羽音が聞こえる。またカラスだろう、そう思いながら顔を上げると、頭上を舞う鳥は鷺であった。目を見張り、急いで彼を追いかけていく。
境内の裏手に辿りつくと、もうそこしか行き場はないというのに、老人の姿はなく、柵の向こうの池の前に蒼鷺が一羽佇んでいる。
悠長に、姿勢を正して、ポーズを付けて、観客を満足させた後、彼は徐に池に近づき、首を伸ばして、窺うのだ。
池には餌となる魚がいるのか。そうだ、食事の時間だ。
蒼鷺にだって生活がある。
彼の日常を絵のように見つめながら、繰り返すように写真を撮る。唯一の支えのように、ただ続けるだけであった。