沢のツメを読む。 ~今年初めての山、大野山で富士を見る~
1月13日、衆議院議員・与謝野馨さんが、自民党比例代表で復活当選してから2度目の離党届を提出した。
今度は、除名処分にならなくて良かったなぁ、などと余計な心配をしながら。
もう一つ余計な心配的に気になって仕方がない、「たちあがれ日本」の公式HPを見に行く。
↓ ↓ ↓ ↓
やっぱり、消えていました。
何だかこうなると微妙に中心ではなくなって、富士山も寂しそうである。
与謝野さんが第2次改造内閣で経済財政担当相に起用されたことについて、思った以上の反響が出ている。
もともとたちあがれ日本が民主党との連立を拒否した時点で、こうなることは目に見えていたような思いがしたので、私としてはそちらの方が意外だったが、晩年を汚したとか、男だてを売ったとか散々な言われようである。
そうなのだろうか。与謝野さんが打倒したかったのは、鳩山・小沢政権時代の民主党であって、自民党とほとんど変わらない菅政権なんて、古巣に帰るようなものではないか。
大好きな政策とか財政再建とか、やりたくてやりたくてたまらなかったのだろうなぁと察してしまう。
シルバー議員定年になっても諦めずに動いた甲斐はあったというものだ。
と、私は彼の中に男の気概と言うか、ブレのなさを感じてしまうのだが。
どんなに批判されても、日本の財政再建のために頑張っていただきたいとは思う。
(最後歯切れが悪いのは、一抹の不安がやはりあるためか。富士山が寂しそうだからか・・)
いや、与謝野馨さんと言えば、与謝野論文(外国人地方参政権問題に対する見解)で以前ずいぶん勉強させていただいた。
読んでも100%意味が分かっておらず、その後でもちんぷんかんな記事を書き続けていたものだが、何度かめかに読んだときには、やっと真意がわかったりと、ずいぶん懐かしく感じられる記憶である。
財政再建だけではなく、出来れば、こちらの見解も民主党さんにご指導してあげていただきたいものだが、そちらは難しいものだろうか。もし叶うならば、こんなに心強いものはないというものを。
こんなニュースを見つけて、足元から迫りくるような不安を感じていたところである。
『22市町に外国人住民投票権 自治体の無警戒さ浮き彫りに』
市政の重要事項の是非を市民や定住外国人に直接問うと定めた「市民投票条例」の制定を目指す奈良県生駒(いこま)市のほかに、事実上の外国人地方参政権容認につながる条例を制定している自治体が少なくとも22あることが8日、産経新聞の調べで分かった。条例をめぐり、外国勢力の動きが見え隠れするケースもあった。国家意識が希薄になる中で、国籍条項を顧みず、なし崩しに走る自治体の無警戒ぶりが浮かぶ。
(msn産経ニュース 1月8日)
「国家意識が希薄になる中で」、「なし崩しに走る自治体の無警戒ぶり」というくだりが引っかかる。
民主党政権が国家意識が希薄だというのは鳩山前首相時代に感じていたが、私はそのいわゆるポストモダニズム的といわれるようなあり方を、米国の隷属国家であり続ける日本の構造に拒否を叩きつけるような形で生み出されたものかと思う節もあったのだ。鳩山さん(と小沢さん)はとんだタヌキだったのではないかとか。
が、今菅政権で米国追従の形に戻った時に、またしても形を変えた外国人参政権は浸食を深めて、国家意識の希薄は途切れることなく進んでいる。
これはどういうことなのかと。
このままでいくと日本は、誇らしき「単一民族、単一国家、単一言語の」大和民族の国から、米国のような多民族国家に変わってしまうのではないか。
もしも日本の構造が米国的に変わっていくとして、その方が日本のためにも良しとして改革されていくとして、決定的に違うのは、日本人はアメリカのような個人主義の国ではない。
集団主義的な社会で、共同体の総意を自らの意志とする時に、その集団が多民族ばかりだったとなるとどうも都合が悪いように思われる。
そうなった時にはそれとも、集団主義的社会も共同体も壊れて、個人主義の国民ばかりになっているのだろうか。
米国人みたいな他人の干渉を嫌う個人主義の国民ばかりになって、その時初めて日本の独立でもあるというのだろうか。
隷属国家から解放されて?日本のアメリカ化は完了しましたと。
すごいなぁ。日本消滅=日本独立。日本の再生=日本の終焉。ってことか。
何だか考えていると、ぞっとするのだか、希望が持てるのだか、良くわからなくなってくる。
とりあえず私は寂しげな富士山を慰めに、富士を見ようと小さな山へ登ってきた。
今年初めての登山である。地図読みの勉強をしているので、標高1000m以下の小さな山ばかりを目標にしている。2万5千分の1の地図とコンパスを片手にふらり登る。
大抵は急登りと言っても、距離にして1Km、標高にして150mくらいしかないので、あとは緩やかな傾斜に斜面沿いのトラバース道を鼻歌交じりに歩く。
地形を確認するために何度も地図を見る。現在地を確認する。コンパスをセットし直す。
その繰り返しだ。
沢の等高線は苦手だ。
地図読みの本でも、沢の項目だけはすっ飛ばして読んでいた。地形図を見る気にならない。
なぜ、こんなにも沢が嫌いなのか。尾根は大好きだ。わかりやすいし、歩きやすいし、理解しやすい。沢はさっぱりちんぷんかんぷんである。わからないから勉強していても楽しくない。
ところが山は、特に日本の山はそこが美しいところなのだが、この尾根と沢が裏表一体なのであった。尾根があるところには必ず沢がある。沢があるところには必ず尾根がある。
尾根をもっと知りたければ、沢をよく知らなければならなかった。
私は山へと向かう、町へと戻るローカルな電車の中で、沢の項目を必死で読む。地形図に目を通しながら、少しでも理解しようと、わからないところを何度も読む。
沢をイメージする時は、木をイメージするとよい。空に向かって枝を広げるように、沢は上に向かうにしたがって、本流から支流に流れて、別れて、広がっていく。
突き上げるのは、必ずピークか、コルだ。
沢の終点は山頂か、もしくは山頂と山頂の間(稜線上)のくぼみである。
今日の目的地、大野山の山頂に着くころには、私はこんなことを呟いた。
「これは山じゃないな」
いつものように結界がなかったのである。鹿柵やイノシシ除けの柵を言うのだが、人と獣の世界の分け目は、文字通り里と山との分かれ目であった。空気が変わる。景色が一変する。
深い森の中に足を踏み入れる、あの厳かな感じ。
そういったものが一切なくて、大野山は人里がずっと山の山頂まで続いている、そんなところなのであった。山頂が牧場という観光地であったのも手伝っているのだろうが、それだけとは思えない。登っている間ずっと、学校があり、民家があり、杉の植林、舗装された登山道。人の匂いが消えないのだった。
小さな山といっても800m近い標高があれば、もう少し山らしいものだが・・
不思議に思いながらも、それでもそんな「山ではない」大野山にも沢はある。尾根道のすぐ横を除けば、ぱっくりと尾根が切れて、下には枯れた沢が見えているのであった。
尾根と沢は光と影みたいだ。どちらが欠けても存在しない。
標高が650mを超えた地点から、雪が見え始めた。溶けずに残っているのだった。牧場の牛を見るのを楽しみにしていたのだが、さすがにこの寒さでは牛も風邪をひくのか一頭もいない。
禿山のようになった山頂の駄々広い草原には雪が薄く残り、吹く風は四肢を凍らすほど冷たい。
それでも、急いで降りられないのは、あまりにも富士が見事に見えたからであった。
山頂について一言、私は「富士、でけぇ」と叫んだものだ。
大野山から見る富士は、とても身近で、大きく映った。南側には金時山に明神ガ岳、その向こうの相模湾も素晴らしい眺望なのだが、北側の丹沢湖も素晴らしい眺望なのだが、私はそれらの景色よりも、西側の富士にくぎ付けなのであった。
今日は曇っているから山頂からも絶対見えないだろう、そう予想していただけに嬉しかった。
曇り空から、まるで暗雲が降るように富士の山頂にかかっている。一瞬、禍々しく思えたものだ。まるで、きのこ雲のように見えなくもない。
ところが、不思議と刻々と空は変化を見せて、富士の周りだけが青く透けるように変わっていく。
きのこ雲のように思えた黒い、富士へと繋がる渦は、今では天からの入り口のように見えている。
綺麗だなぁ。
私は他のものを撮るのを忘れるほど、富士のその不思議な空ばかり撮っていた。
見たままの美しさをどうしても捉えられない。露出をアンダーにしたり、ハイキーにしたり、試行錯誤するが、上手く写し取れない。
地上と私の住む町とまるで繋がっていた大野山。そして、その山頂から見た、天と繋がる富士の山。
私はこれらがいい前兆であるような思いがした。
これから始まる、登山の旅にとって。今年からの私の生活にとって。
結界がない、ということは、自由に行き来ができ、より高いところへも成長できるような思いがした。
しかし半面、何か物足りなくて、仕方がなかった。
あの厳かな、空気が変わる瞬間が恋しくてたまらない。
沢は必ずピークかコルに突き上げるように。山には必ず尾根と沢があるように。
裏表一体で形成されたあの富士山の美しさが目に焼き付いて離れなかった。
もう少し地図読みの勉強をしたら。そうだ、沢のことをもっとよく理解したら。
きっと今度は深い、深い、山へと旅立とう。
いつかのようにつがいの鹿にまた会いたいものだと考えていた。