ガーッ、ペッ!おじさんはマムシか蚊トンボにでも生まれ変わってしまえ。
私は道ばたに唾を吐く男の人が大嫌いである。
ガーッ、ペッ!
あの奇声を耳にすると、悪寒が走るほどである。
なぜ、ティッシュか、ないならハンカチか、それもないなら自分の手のひらに吐き出さないのか。公共の道に白い唾の泡、もしくは黄色い痰を吐き出して、その上をもし次に歩いてきた私が踏んづけたらどうしてくれると言うのか。想像するとぞっとする。自分の一瞬の不快感を取り除くためなら他は何も考えない、身勝手極まりない人間に思えてくるのだった。
ところがある日、最愛の彼氏と楽しく町をデートしていたとき、彼が、ガーッ!ペッ!とのたまったのである。
私はぎょっとして横をみた。彼は道端に自分の一部を吐き捨てて、涼しい顔をしている。
父親も同じだった。幼い頃から父と出かけるときは車が多かったので、気が付かなかったのだが、これもぎょっとしたものだ。年老いた昨今、父と歩く機会が増えて、彼のガーッ、ペッ!を目の当たりにしてしまったと言うわけである。
もちろん彼氏も父親も、彼らのそれだけではない違う側面(尊敬できる一面、私は自分を棚に上げて自分よりも精神レベルの高い人格者的な男が好きである)を知っているので、「道に唾を吐いた=幻滅=即嫌いになる」と言った簡単な図式にはならなかった。だけどずいぶんがっかりさせられたものだ。
この事実と、それから長年「ガーッ、ペッ!」おじさんを見続けた経験から判断すると、男の人はある年齢に達すると、誰でも喉に痰が絡まりやすく、それは生理的な現象で、もちろんそんな彼らがテッシュやハンカチを几帳面に持ち歩くわけもなく、またそうした男特有の生態に反したやからではない限り、だれしも必ず道ばたに唾を吐く生き物だと言うことである。
人間社会で人格者だとか思慮深いとかそう思われていても、お金持ちであっても、それは関係なく、頭の良さにも関係なく、彼らはガーッ、ペッ!を発するのだ。
問題は、すでに、発するか発しないかではなく、どのように発するか、にかかっている。
どれだけ上品にスマートに、ガーッ、ペッ!が出きるか、なのだ。ここで、私が見た最悪の、ガーッ、ペッ!を紹介したいと思う。
画像・江ノ島の海(文章とは無関係です)
ある日のことだった。夕刻、会社帰りに私は駅の構内付近にいた。最近ホームや構内は禁煙なので、改札の横の、構内から外れた、一般歩道の脇で、一服をしていたのだった。
その場所はこれから電車に乗る人たちの暗黙の喫煙所と化していて、常に4~5人の人々がぽつぽつと立ってはもくもくと煙草をふかしている。いつものように私の3メートルほど先にもおじさんが立って一服をしていた。
すると、おじさんがすたすたとこちらに向って歩いてきた。私が立つすぐ後ろはマンション、道との間に3メートルほどの生け垣があった。カナメモチ(赤くないようだったからもしかしたらマサキとかウバメガシかもしれない)が茂っている。
一日の疲れを癒すべく放心して煙草を吸っていた私はおじさんのダッシュに気が付かない。視界にぼんやり入っていたかいないかといった感じだ。するとおじさんは私が聞いたこともないほどの大きな奇声を発して、私のすぐ耳元でやったのである。
「ガーッ!ペッ!」
例のあれだ。私は体をびくんとさせて、000000コンマ1秒ほどの最速速度、かつ全反射神経を駆使して瞬間のおじさんを見た。
おじさんの白い痰唾が弧も描かず、真っ直ぐに発射されていた。それは生け垣に向かって飛んでいって、カナメモチをざわつかして消えていった。
私は一瞬にして頭に血が昇った。ハンマーを掴んで、涼しい顔をして何事もなかったように去っていくおじさんの、その後姿の脳天に振り下ろしてやりたかった。
道ばたに吐くならまだいい、風が吹き、砂が舞い、人々や車が通り、雨が降って、いつかは風化して消えても行こう。しかし、木々に直接吐くとは何事か。
樹木や生け垣などの木々がどれだけ私たちを助けてくれているのか、彼は知らないのだろうか。
目にも優しい緑、心を癒してくれたり、ヒーリング効果もあるが、それ以前に、地球温暖化の危機が迫る現在、彼ら木々がどれだけ私たちが排出したCO2を吸収してくれているかわかっているのだろうか。
いやいや、そんな正論以前に、それ以前に、木がかわいそうだった。じじいの痰唾を吐きかけられるなんて、いったい彼が何をしたと言うのだろう。
道ばたに吐くのは、道ばたがコンクリートだったりするので、あまりかわいそうとか酷いとかは思わないのだ。しかし一応木々は生き物ではないか。何でそこに唾を吐きかけるのかなぁ~ その神経がサッパリまったく理解できない。頭がおかしいんじゃないかとさえ疑ってしまう。
それとも、生き物に吐きかけても別に酷くも何ともない、自分の唾は汚くない唾だと思っているのか。
ならば、自分で飲み込んでしまえ。喉が詰まって無理なら顔面に塗りこんでパックにでもしたら良い。唾は乾くと固まるので、きっと効果があるだろう。おじさんのしわも薄くなり、美肌効果があると言うものだ。
写真・江ノ島の巨大タブの木(文章とは無関係です)
それが、私が見た史上最悪の「唾吐きおじさん」であった。
彼を超える人物にはまだ遭遇していない。
それ以来、私は自分がとても緑を愛していると言う事実を認識した。唾を吐く男は嫌いだが、許せる。生理的な現象だから仕方がないと思う。しかし、木々に唾を吐く男は、何があっても許せないのだ。
写真上・江ノ島タブの木
写真下・江ノ島銀杏
(文章とは無関係です)
森で瞑想することの心地よさに気付いた私は、最近近場の森を渡り歩いている。
「マイブーム森」とばかりに闊歩しているが、そもそもブームとは無関係に私の目的、いや使命とさえ思える事柄は一貫していて、七福神の神社を巡っている時の願いと森を愛する想いは一緒なのだった。
世界遺産の白神山地のブナ林だって70年後には10分の1に減少、100年後には消滅すると予測されている。
地球上からすべての緑が消える日もそう遠くはないだろう。
その前に私は緑を見ておきたい。この目で見ておきたい。たとえ、無力で、彼らが滅んでいくことに何の堰き止めも出来ないとしても、もっと愛してあげたい。
彼らとの記憶をたくさん残しておきたいのだ。
私の緑への傾倒は日に日に増して、新興宗教の信者のようになっていきそうで不安ではあるのだが、まぁ、いい。
辛い日々を乗り越えられる、その力となるのは記憶だけだ。
今頑張れることのその源が、友との楽しい思い出であるように。
私はたくさんの木々との記憶を抱えて、破綻し混沌とする世界に蘇える。次の生への準備をしているのだった。
写真・江ノ島の夕景とニオイシュロランの木
(文章とは無関係です)