東京散歩編 スカイツリーと稲荷と調和




 東京の夜をうろついている。中でも千代田区、中央区がお気に入りで、時折、墨田区まで足を伸ばす。

 これはイングレスというゲームのおかげで、ポータルと呼ばれる(ゲーム上の)パワースポットから次のパワースポットまで、ほんの100~200メートルの距離をただ歩いているだけなのであるが、ふと振り向くと、

 思えば遠くへ来たものだ

 的な、ものすごい距離を歩いている、というわけである。


 夜な夜な東京を歩くようになって気がついたことがたくさんある。とりわけ、東京の人のお稲荷さま好きには驚かされる。ここまでとは知らなった。ポータルを回らなかったら一生気がつかなかったかもしれぬ。江戸時代の頃から、江戸の町の至る所で見かけられるものとして、「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」とまで謳われていたそうだ。そんなにお稲荷さまを作ってどうするんだ、とツッコミを入れたくなるが、おそらく一家に一台という、今で言えば車感覚で、各家(町家、武家)が稲荷を所有したのではないかと思われる。ちなみに、本来は穀物・農業の神だが、現在は産業全般の神として信仰されているそうだ(ウィキペディアより)。

 お稲荷さまも、ここ最近の参拝者の多さに驚かれているかもしれぬ。


 「貴方たち、私のことなんて忘れてたんじゃなかったの???」







 今夜も稲荷を巡りながらの東京散歩は続く。まるで宴のように。今宵はどこへ行こうかな。稲荷は幾つ出会うかな? と。
 いや、それでも、流石にスカイツリーは途中から電車に乗った。

 なぜスカイツリーかといえば、石巻で出会ったある青年のおかげである。ある日、青年は愛知からスカイツリーをゴールにして旅に出た。その旅がなんと車いすに乗っていく、という代物だったから驚きだ。若い彼(いや、年知らないけど)は苦労をしたのか、横浜で会った時にはガリガリに痩せていて、それでも、マスコミに幾度も取り上げられたこと、明後日にはスカイツリーにゴールできることの喜びを語ったものだ。
 私は彼がゴールした日の夜にスカイツリーに出かけてみた。現代の東京の天辺。まるで「ダイアモンド富士」みたいにそびえるスカイツリー。久しぶりだ。しかも夜に、これほど近くまで来たことがあっただろうか。現代のダイアモンド富士は一枚では写真に収まらぬ。上下分割して撮るか、天辺もしくは人物を入れるのを諦めるか・・ それでもめげずに記念撮影をする人の多さよ。集う人々の多さに、カップル率の高さよ。平日の夜だというのに、大した盛り上がりだ。この夜をきっかけに育っていく関係・・ えにしはどれくらいあるのだろう。確実に日本の未来に貢献している存在なのだなぁ、としみじみと実感させられた。

 ここまで来たのだから、ぜひこやつを自勢力の青色に染めて帰ろうとそっと心に決める。
 













 東京散歩の唯一の欠点は、一眼レフを持ち歩けないことである。

 わたくし、仕事 の休憩時間と勤務後にひたすらうろついているので、馬鹿でかい一眼レフなんて持参してはいないのだ。そんな余裕がないのである。スカイツリーのような夜景なんかを目の当たりにすると、きちんと綺麗に撮ってあげたくてうずうずする。だが、今のところ、重たい充電器にWi-Fiにお弁当に水筒持って通勤するのが精一杯。もう少し体力がついたら、必ず、一眼持参で通勤し、満員電車の荒波をかいくぐり、東京散歩を満喫し、解像度のましな写真をゲットして、さらにその写真をフォトショで加工し、クオリティーを上げて、絶対ブログにアップしてやろうと思っている。

 なんだか写真も体力もイングレス頼みのようになってきた。随分貴重なゲームだ。人生のクオリティーを上げるためも欠かせぬ。


  皆がイングレスをすれば随分良い世の中になるだろう。忘れられていた神々も喜ぶことだろう。

 ところが、そうもいかない。世の中には自由に散歩をできない人がたくさんいるのだ。

 ええ、ええ、時間がなくて。不自由で。でも、本当に? あの車いすの青年はそれを証明するために、愛知からやってきたのかもしれぬ。今となって思えば。


 「誰でもさ、同じなんだよ。行こうよ、さぁ、一緒にさ」












 そうだ、誰でもイングレスができる世の中だ。もっとましになることができる世の中だ。


 神田川沿いの橋の建築美に気がついたのも東京散歩のおかげである。明治から昭和初期に建築された優美なデザインの橋が多く、そもそも神田川自体が作られたものなので、おそらく先人たちは何よりも景観を重視して街をデザインしたのだろう。しみじみと感嘆させられる。いや、そうじゃない。何かを美のためにないがしろにしたのではなくて、経済の成長も、国力を上げるのも、当時は美とセットだった。美と調和したものだけが生き残った。今の日本が見失ってしまっているものが、神田川に残る橋が象徴する時代までは残っていた、といったほうがいいかも知れぬ。江戸の昔から日本には美があった。独自の美しい建造美が残っていた。


 ・日本は醜い ぼくのweblogさんより



 神々も、一緒に行くべき弱者も全て、日本は切り捨てていったのかもしれない。それは言い過ぎだろうか。うん、調和が欠けてしまったことだけは確かだ。



















 唯一の希望は、日本の古い建築を積極的に商業施設に転用しようとする動きがあることだ。中でもただ転用するだけではなく、調和的に活用することにより街自体を美しく作り替えようとする人々の努力があること。例えば、旧万世橋駅跡や、昌平橋の袂の神田川高架橋下の倉庫。東京散歩の時に驚かされた。若い(デート中らしきカップルの)青年が「なんだこれ、かっこいいなぁ」、と感嘆の叫びをあげている。まだまだ高架橋下という一部に限られているが、ここから発展して、東京の景観がより良くなってくれることを願うばかりだ。

 ちなみに、万世橋駅は東京駅で知られる武士、建築家の辰野 金吾 (1854年10月13日〈嘉永7年8月22日〉- 1919年3月25日)がデザインした。昔の日本人は本当にすごかったものだ。こんな美しいものをよくぞ作った。幾万というお稲荷様を祀るいにしえの彼らには頭が上がらぬ。


 ・国鉄万世橋駅
 ・神田川高架橋レストラン













 東京散歩もそろそろ終わりだ。今日もよく頑張った。東京スカイツリーを獲って、ひとりごちる。なんとまぁ、心地よい風であることよ。天辺まで撮れないというのに記念撮影する人は耐えぬ。笑い声がさざ波のように聴こえてくる。若い、神社になど目もくれぬお洒落な男女を尻目に夢想する。
 誰でもが、この場所を訪れることができる時代が来ますように。かつてのように。
 美しく調和された時代を夢見て、帰途に就く。



 「ねぇ、貴方。もっとポータルを増やしていかなきゃね?」








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