お鉢平カルデラを右手に見ながら外輪山の稜線を歩く。北鎮岳へと向かっていた。中岳分岐(青年らと別れたところ)から中岳までは登山者も多く、夫婦連れや女性一人の登山者とよくすれ違ったが、北鎮岳手前の北鎮分岐までくると、さすがに人が少なくなった。北鎮岳に登る人はそう多くないようである。北鎮分岐から西の雲の平に逸れて、お鉢平カルデラ沿いに黒岳へと向かうようだ。
雲の平というのは、お鉢平カルデラの外輪山に広がっている緩やかな溶岩台地のことであって、旭岳からこの雲の平を通って黒岳まで縦走するのは、表大雪の代表的な登山コースとなっている。(どうやら北鎮岳ははしょられることが多いようだ)
大正10年に大雪山に登った紀行家、大町桂月の登山ルートは、ほぼこの逆である。層雲峡の、それまで誰も登ったことのない、前人未到の黒岳沢ルートから登頂した。雲の平を通って北鎮岳、白雲岳、旭岳へと縦走を重ねた。
そうだとは明記されていないが、「見渡す限り波状を為せる平原也。」と「凌雲岳を右にして」という記述から、彼が登頂後に目撃した「御花畑」は雲の平辺りだったのではないかと想像している。(そのもう少し手前の桂月岳のすぐ前辺りを言っているのかもしれないが)
そうなると、私も桂月の逆を貫いて、北鎮岳から雲の平を通って、黒岳へ向かい、黒岳からロープウェイで下山したほうがよほどいいのである。桂月を偲べるし登山コースもよほど楽なのである。
出発前にこの点は悩んだものだった。桂月もいいが、夢路のドライブと謳っているように、私にはコルトという道連れがいる。黒岳に下山したらコルトが置き去りになってしまう。車を旭岳ロープウェイの駐車場から層雲峡ロープウェイの駐車場へ回してくれるサービスもあるようなのだが、検討した末、黒岳に登るのは翌日にして、この日は北鎮岳から旭岳へ戻るコースを選んだ。(というわけで、私の3日目の地熱発電の地をめぐる白水沢遡行には、黒岳登頂というおまけが義務付けられていたのであった)
しかし、雲の平方面が気になって仕方がないのだ。「見渡す限り波状を為せる平原」が。また、桂月はこうも記している。
「この雲の平のみを以てするも、数十万人を立たしめて、なお余あるべし。」
行ってみたいものだ。北鎮岳から見る雲の平は、高山植物の緑の絨毯が敷き詰められていて、また綺麗なのである。前回登場した青年が、余裕があれば行ったほうがいい、と勧めてくれた「お鉢平展望台」も雲の平方面であった。
それで、つい向かってしまった。余裕があるどころか、北鎮岳に着いたのは、予定を押しに押した12時直前だというのに。
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お鉢平を右手に見ながら北鎮岳へ
後ろにちらりと見えているのが白雲岳 |
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ウラシマツツジの紅葉と後ろは比布岳 |
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中岳(標高2113m)に11時12分到着 |
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北鎮岳の頂上へ |
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中央に高山蝶のコヒオドシ そろそろ越冬地を求めて
下山するはず 道中何羽も見かける 随分元気づけてもらった |
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11時32分 北鎮岳分岐到着 |
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7月24日の落雷で破壊された分岐道標
後ろに旭岳が見える |
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もうすぐ北鎮岳山頂 山頂直前はゲートのように石が積み重なっている
鳥居の結界を連想させられる |
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北鎮岳(標高2244m)11時55分到着 |
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道標の先に黒岳が見える(黒岳まで4.1㎞) |
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雲の平とお鉢平展望台方面 |
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いつもの黒猫人形 ついに北海道までやって来た |
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やっぱりあっちの緑の平原が気になるので行ってみることに |
北鎮岳山頂に到着して放心する。旭岳からの縦走で思ったより疲労していたらしい。時間は押していたが、十分な休憩を取って体を休める。予定では15時には旭岳ロープウェイに戻れるはずだったので、遅れても約2時間程の猶予があった。景色を見ながら食事を取った。雲の平の先に桂月岳、黒岳が見える。
山頂には3、4組の登山者たちが休憩していた。写真を撮っていた一人に声をかけて記念写真を撮ってもらうと、それが合図のように携帯の電池が切れた。外部との接触が途絶えると、ふと心もとない気持ちになった。私はリュックを背負って下山し始めた。
北鎮分岐の手前で、30代程の女性二人連れの登山者に追い抜かれる。彼女たちがまた颯爽と軽快に歩いていくのだ。さっき、北鎮岳の山頂で出会った二人である。彼女たちは山頂の写真を撮る私の横でこんな会話をしていたのである。
「写真に撮るより自分の目で見たほうがよほど感動するよね」
「うん、こればかりは登ってみないとわからないね」
「神々の遊ぶ庭ー ・・だっけ? まさにそんな感じ」
「ほんとだね。すごいよ。この景色は」
私は驚きをもって彼女たちの会話を聞いていた。胸をときめかせてここまで来た私だったが、頂の大きさ以外何も感じることができなかったのである。ましてや、神々の遊ぶ庭、ここにありけり、などとは口が裂けても言えなかった。そうか。これが一般の人たちの感想なのだな。これが神々の遊ぶ庭の光景なのだ。確かに広くて美しい。『富士山に登って、山岳の高さを語れ。大雪山に登って、山岳の大(おおい)さを語れ』。桂月が言うように、このように大きな頂は見たことがなかった。早朝から旭岳に登って縦走を続けていたから、見慣れすぎて感覚が鈍くなってしまったのかもしれない。それより「御花畑」に過剰な期待をしすぎていたのかもしれなかい。そもそも、花のない時期なのだから当然ではないか。神々の遊ぶ庭ここにありけり。
打ちひしがれたように北鎮岳を下って行った。眼下には雲の平の色鮮やかな平原が広がっている。行ってみよう。タイムリミットぎりぎりまで行ってみよう。私は吸い寄せられるように雲の平に進路を変える。決意した直後に、あの神々の遊ぶ庭を目撃した二人組に追い抜かれ、後を追うような格好になったのが癪だった。どうにか追いつきたいものだと思ったが、足がいうことを聞かず、礫地の下り坂を滑っては転ぶばかりである。二人の背中はみるみる小さくなっていった。
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ハイマツ(手前)とナナカマド(中央) |
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展望台を目指して(中央は烏帽子岳) |
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もうすぐ展望台 |
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雲の平方面
ここまで来ると黒岳に向かったほうがよほど早い |
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ここもウラシマツツジの紅葉 |
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前方のお鉢平
(左から北海岳、松田岳、荒井岳、間宮岳) |
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後ろの雲平方面
(左から凌雲岳、桂月岳、黒岳) |
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波状の平原 |
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北鎮岳(右)と北鎮分岐(中央)に戻る |
北鎮分岐から砂礫を100m程下って行くと、緩やかな丘陵の尾根が右にカーブするように続いていた。桂月の表現を借りれば「波状の平原」の、その波の高いところである。道なりに歩いて行くと、突き当りが小山のように突起していた。
これが展望台だろうか。どう見ても登れる道がないが。
あとでwebで調べたところ、展望台はこの小山を通り越して、奥手の並びにあったのだ。小山を登る必要はなかったのである。が、明らかにここは尾根の突き当りであり、この尾根の下(波の低いところ)から続く黒岳へ向かう道にはもう一歩も進みたくないと思った私は、ここが展望台であってもなくても、ここを終点とすることに決めた。
植物が生えていない所を慎重に選んで小山を登り始める。標高約2020mの地からお鉢平を一望する。後ろの凌雲岳と平原を一望する。紅葉が始まりつつあり、お鉢平の側面も、平原の彼方も鮮やかな緑に、オレンジ、赤が所々に混じっていい風情だ。しかし決定的に黄色が足りない。出発前に私がイメージした神々の遊ぶ庭は、黄金に輝く黄色の紅葉が大雪山の大地を覆っているはずであった。私はそれが見たくて出発日も慎重に選んだはずである。2か月も前から予約するからいけないのだ。今年の夏は暑かった。直前に申し込めばもう少しは日にちをずらせたはずである。
神々の遊ぶ庭を目前に、文句ばかり言っている。
二人組が黒岳方面に消えていったあとは、もうこの広い山頂には人っ子一人見えなかった。携帯も途切れている。朝はあんなに眩くぎらついていた太陽も青空も息をひそめ、空は薄雲に包まれて精彩を欠いているのだった。幸い、寒くは感じなかったものの、吹きさらしの礫地は荒野のように荒々しく感じられる。
私は疲れと物足りなさとさみしさを覚えながら頭の中で時間を計算しているのだった。分岐まで戻って14時、間宮岳に15時、旭岳に16時、姿見駅に17時半、ちょっと厳しくなってきた。
急がねば間に合わない、と気持ちは焦るものの、どうも足が動かなかった。特に登りとなると、疲労感が激しくて、少し進むとすぐに立ち止まり、また少し進んでまた立ち止まりを繰り返している。桂月の旭岳を登った際のやり方である。氷砂糖(の代わりの飴玉)を持ってくるのを忘れた。明日の白水沢行きには忘れないようにしなくては。今のこともおぼつかないのに、頭は先へ先へと向かう。旭岳に登るのに100回も立ち止ったという桂月、この分では、私は200回は立ち止まりそうである。困ったものだ。立ち止まるのは同じでも、前人未到の黒岳沢ルートでの登頂を成功させ、大雪山の山々を縦走するという偉業を成し遂げたのは、やはり彼には仲間が付いていたからだろうか。
桂月は大雪山に登るにあたって、山登りの猛者を3人選んで、路伴れにしたのである。また、塩谷温泉の名を売るために、桂月を層雲峡からの前人未到のルートに誘致した塩谷忠(北海タイムス記者)の一行も同行していた。
そのせいか、私が桂月の「御花畑」の情景を思い浮かべる際に、どうしても欠かせないのは、人であった。彼は単独ではなくて、誰かと一列に並んで道を歩いているのである。天上のごときその大雪山を広大な平野を。
猛者求む。やはり旅(=人生の縮図)には、嘉助のような豪傑な路伴れ(案内人)と、塩谷のような名プロデューサーが必要だ。桂月がいくら才覚があったとしてもひとりじゃだめだろう。そうだ。私の旅にも早急に取り入れないといけない。散々文句を垂れて、畏れ多くも自分と桂月を重ね合わせては都合のいいことを考えていると、それまで誰もいなかった平原を、雲の平方面から歩いてくるものがいる。小さな老人であった。
あとで聞いたところによると、老人は若い時から大雪山に親しみ、毎年大雪山のお鉢めぐりを重ね、定年退職してからは北海道中の百名山をことあるごとに登っているという豪傑には違いなかった。が、それにしても初めて見た時は嘉助とは程遠い小さな老人だったのである。
彼は猛スピードで私を追い越していくと、何を思ったか、私があそこまでいったら絶対休憩しよう(一服しよう)と目印にしていた礫地の道の中央の黒い岩にどかりと座り、悠々と休み始めたのである。私は心の支えにしていた休憩と一服とを奪われて、少々腹を立てながら、老人の横を通り越した。
「どちらからですか」声をかけるのである。
「神奈川です」
旅人に声をかけるときは、どこから来たかをまず訊ねるというマニュアルでもあるのだろうか。恋人と付き合うときは、男性経験は? 会社に入れば、出身大学は? 転職すれば、前の職場は? それより、疲れていませんか? 今何をしていますか? 今何を求めていますか? そんなことのほうがよほど重要ではないか。私は老人の凡庸さをやはり腹立たしく思いながら、立ち止まって話を始めた。座りたくて仕方なかったが、老人は自分だけ悠々と「私の岩」に座って、どうぞとも言わない。彼はお鉢平を巡って来たところなのである。始発のロープウェイ(つまり私と同じ便)に乗って、荒井岳、松田岳、北海岳、黒岳と巡って来たところだった。これから旭岳にまた登って姿見駅からロープウェイに乗るのだ、というと、彼は、いや、それは大変だと言って代替案を提案した。
「中岳から裾合平に下ったらどうですか」
旭岳まで縦走して下るよりも、中岳分岐から下って裾合平から姿見駅に行ったほうが楽だというのである。距離はそう変わらないがその方が高低差が少ない。旭岳からだと最終のロープウェイに間に合わないかもしれません。自分も中岳から裾合平を通っていくのでお供しましょう。快く言うのである。
老人は初めの一声こそ凡庸だったが、私の道を訊ね、私が疲れないように気遣って、私の欲するものを無償で提供してくれたのである。後で思い返すとこの老人との出会いがなかったら、私は完全に最終ロープウェイに間に合わず、夜の旭岳の麓の森の中をヒグマにおびえながら、歩いていたことだろう。まさに地獄で仏とはこのことだったのである。
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ハイマツの実がなっている |
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北鎮分岐まで戻るのが遠く感じる |
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石の影にダイセツタカネフキバッタ発見
よく見ると片足がないようだ |
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13時49分 北鎮分岐に戻って来た 黒岳、桂月岳をバックに |
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小さい体ながらまさに豪傑、現代の「嘉助」だった |
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14時半 中岳分岐に到着 姿見駅まで5.7㎞ |
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右手に当麻岳を見ながら下っていく
この北側の山々が風を遮ってくれるそう |
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標高を100mも下ると植生ががらりと変わった |
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ナナカマドも赤ではなく黄色く染まっている |
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チングルマの綿毛が目立つようになった 中央左が中岳温泉の峡谷 |
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旭岳が近付いてきた |
老人・・ ーいや、本当は老人と呼ぶのは申し訳ない豪傑なのであるが、歳に似合わず、ということで敬意をもって呼ばせていただくー 老人には悪いが、私のペースは散々だったのである。疲労がピークに達したのか、足は思うように動かなかった。酔っぱらいのように千鳥足で、すぐによろめいている。初めは老人が前を歩き、私が後ろに付いていたが、しばらくすると(わかりやすい道になった辺りで)彼は私の後ろを歩き始めた。自分のペースではきついだろうというのである。よく女房にも早くてついていけないと怒られるので・・ と照れくさそうに白状する。中岳分岐まで来たときに、ここからは一人でのんびりと行くので、どうか先に行ってくれと頼んだが、譲らないのである。まるで、困ったものを置いてはいけない、とでもいうような決意を滲ませて、大丈夫ですよ、を繰り返す。
「中岳分岐から最高に時間がかかった時でも3時間でした。あの時は膝をやられたかなんかだったかな。今が14時半だから最終のロープウェイは間に合うでしょう」
老人までヒグマの巻き添えにするわけにはいかない。私は必死で歩き続けた。幸いなのは景色ががらりと変わったことであった。外輪山稜線から100m下った程度で植生もがらりと変わるそうで、荒涼とした地とは程遠い、豊かな植物が地を染め始めたのであった。鮮やかな緑に、オレンジに、赤に、黄色!
やっと黄色が出てきた。その帯の絨毯の綺麗なこと。前方に裾合平、右手に当麻岳と安足間岳、左手に熊ヶ岳、旭岳。カラフルな峰々の山腹が広がっている。遠くの景色もさることながら近くの、道の両脇もいいのである。ハイマツの緑は茂り。高山植物の花の跡に。チングルマの綿毛。時折、道と交差するように渓流が姿を見せる。
老人は景色を見まわして、遠くの山脈を指さしながら自分が登った山の数々を教えてくれた。残念ながらそれらを私は覚えていないが、確か十勝岳や石狩岳という有名どころだったと思う。一つ覚えているのは、阿寒岳には雄阿寒岳と雌阿寒岳があるのだということ。夫婦の山の話が印象に残っている。また、彼は「天気が良くて良かった」と頻りに言った。毎年お鉢めぐりをするときは、天気のいい日を慎重に選ぶのだそうだ。
「前から計画した旅行だとそれは難しいでしょう。神頼みしかできません。へぇ、たまたま今日に当たったんですか」
2か月に申し込んだ旅の、旭岳に登る一日が、老人が大雪山に登るために慎重に選んだ一日と重なった。私は自分の運がとてもいいということに初めて気が付いた。文句ばかり垂れていたが、天気のことと言い、嘉助老人の登場と言い、神頼みすらしなかったというのに、神は随分優しいものである。
「明日から雨ですからね。今日が最後ですよ」
いや、そう運が良かったとばかり言ってはいられない。明日はこの旅のメインイベント、白水沢遡行が待ち受けていた。私は渓流登りのガイドブックと、白水沢の現地の映像をようつべで見て、これは死ぬな・・と何度も自分の無謀さを呪っていたのである。旭岳登頂よりよほど、神頼みであったはずだった。
雨となれば渓流の水も増し、流れも速くなることだろう。
運というものは、やはり誰しも均等に与えられているものらしい。
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北海道最高所の温泉、中岳温泉が見えた(左手) |
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15時中岳温泉(標高1850m位)に到着
左が温泉で右が渓流 |
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いい湯だぁ~
温泉に浸ってみるみる疲れが取れる |
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テンションも上がってご機嫌に |
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ここが源泉だそう |
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山の中腹の温泉、眺めも良かった |
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登行再開 姿見駅まで裾合平を行く |
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チングルマの綿毛 |
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ここにも石の跡が |
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溶岩台地にチングルマの綿毛が広がる |
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ピントが合ってないが 花を見かけるとつい撮ってしまう |
峡谷の急下りを降り切ると、渓流の隣に温泉が現れた。北海道で一番高い所にあるという中岳温泉である。ここで10分ほど休んで足湯をした。すると、不思議なことに、足の疲れが取れて、歩きが楽になったのである。引きずるような足取りも見違えるようだった。この後、ロープウェイの姿見駅までほとんど走るように進んでいくことができたのであった。温泉にわずか数分浸るだけでここまで疲れが回復するとは思わなかった。さすが秘境の湯である。
また裾合平の景色というのが素晴らしく、雲の平とよく似た溶岩台地の広い平野に(違うと言えば湿地帯であることくらいだろうか)高山植物がびっしり茂り、大雪山系の峰の中腹の紅葉を惜しげもなく見せてくれているのである。海原のようなチングルマの綿毛の群生が木道の両端に広がっている。傾きかかった陽に透かされて、それらが時折輝くのであった。
この綿毛がすべて花だったら、これが花の時期だったら、どんなに美しいだろうか、と想像した。それでも染まりかけた山と白い綿毛の群生というコラボレーションもそう悪いものじゃない。悪いものじゃない。これはこれでいい。
素晴らしいと思う心を、もっといいものあるはずだ、こんなことで感動するのは田舎者だ、と否定しながら、それでも感動を抑えることができない。嘉助老人と並んで道を行く自分の姿が俯瞰したイメージとなって現れて、それが桂月が御花畑を歩く姿と重なった。
いや、違う。こんなところじゃないはずだ。彼の御花畑はここではないはずだ。もっと花の時期の、山の頂の、天上の世界のはずだ。
何度掻き消しても、歓喜の思いは抑えきれず、私に告げるのである。神々の遊ぶ庭、ここにありけり。
裾合平分岐までやってくると、私の感動はやっとおさまった。姿見駅まであと2.9kmと標識がある。中岳分岐から姿見駅は5.7kmだったので、途中中岳温泉に寄ったとしても、3km弱を1時間半で歩いてきたことになる。どうやら間に合いそうではあるものの、まだ半分も行程が残っているのだった。その現実に、少なからず驚いて、感動してばかりはいられなくなったのである。
景色も広大な湿地の平原からさも山岳地帯の巻き道風に変わってきた。旭岳の山頂が見える。今朝姿見駅から見た形 ー東西に二峰あるーが入れ代わっている。それで、まだ旭岳の裏側にいるのだと知った。道々、私は旭岳の山頂を眺めて、二峰が入れ代わる(朝見た正面からの姿になる)のを今か今かと待ちわびた。
噴気孔の煙がたなびく様子が見えた頃、ようやく姿見駅も近付いてきた。旭岳経由で戻るより、裾合平は標高差は少ないものの、それでも小さなアップダウンが連続してあるのである。温泉で生き返った足が、また千鳥足になり始めた頃、姿見駅に到着した。17時10分、最終より1本早い、17時15分のロープウェイに乗ることができたのであった。
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15時58分、裾合平分岐到着 姿見駅まであと2.9㎞
最終ケーブルカーまであと1時間半、どうやら間に合いそうである |
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第3展望台に戻って来た |
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旭岳の二つの峰がやっと「正位置」に |
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姿見駅ももうすぐだ |
「写真を撮るので、先に行っていてください」
嘉助老人は姿見駅に向かって走り始めた。
「先に行って、ロープウェイを待ってろと止めてますよ」
私のためにゆっくり歩いていたのだろう、水を得た魚のようにぐんぐん走って見えなくなった。私は第三展望台の縁に仁王立ちして、眼下の景色を眺める。
第三展望台からはトムラウシ山、十勝岳連峰、天人峡方面と、その雄大な山脈と紅葉の彩りが見渡せるはずである。それでも、今目の前にある山々が、何という山なのか私にはわからないのだ。ただ、その青々とした山々が、美しい、と思っただけである。
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17時15分の便に間に合った |
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ロープウェイからの眺め |
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ロープウェイからの眺め |
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旭岳の山頂が小さくなっていく |
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さようなら旭岳 |
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コルトが待っている |
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さてホテルへ帰ろうか |
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大雪旭岳源泉公園に立ち寄る |
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大雪山の源水 明日の白水沢遡行のためにいただいていく |
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夕飯は食べられず スーパーでトウモロコシを購入
(この絵はトウモロコシがスーパーに並んでいるところ) |
その④白水沢編に続く