山陰旅行編① 神話の出雲市から石見神楽の大森へ
さて、遅くなりましたが、11月の三連休に山陰地方に旅行に出かけた話をしたいと思います。
今年は古事記編さん1300年の年です。古事記といえば、その神話の多くの舞台は島根県です。
中でも出雲の国の「国譲り」のお話は有名ですね。
国譲りについて、少し説明すると・・
そもそも古事記とは・・から始まってしまいますが、
記紀(古事記と日本書紀)は、まとまった形で現存する日本最古の典籍です。
神々の創世を記した神代記がよく読まれています。
日本神話の大きな特徴は、天上世界と地上世界の対立がどのような過程を経て乗り越えらえ、統合されて、調和ある秩序を獲得していったのかを記した物語であるということです。
私たちの国は天上世界と地上世界の分離と対立から始まったのです。
神代天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまを中心とした天上の神々が住む国、高天原(たかまのはら)と、大国主神(おおくにぬしのかみ)さまが治める出雲を中心とした地上の神々が住む国、葦原中国(あしはらのなかつくに)、この二つの分離、対立なくしては世界はあり得ませんでした。
大国主神さまは、地上世界の出雲の国を造り上げた神様です。散々苦労して造った葦原中国を天照大御神さまに譲り渡しました。これが「国譲り」です。
大国主神さまの国譲りによって、地上世界と天上世界は統一された秩序を初めて得ることになるのです。
大国主神さまは私たちの世界の秩序のために、自分が領有・統治する国を天上の神へ信託したのですね。太っ腹で献身的な、日本人らしい神様ですね。
ただし、大国主神さまは国を譲り渡すときにひとつだけ条件を出しました。
立派な神殿を出雲に建てて欲しいといったのです。
この神殿が出雲大社です。
旧暦の10月、日本中の八百万(やよろず)の神々がいなくなります。神がいない月と書いて、神無月、出雲だけは神在月、神々は出雲の国の神殿にお集まりになられます。
大国主神さまが天照大御神さまに「国譲り」をなさったとき、申されました。
「私の治めていますこの現世(うつしよ)の政事(まつりごと)は、皇孫(すめみま)あなたがお治めください。これからは、私は隠退して幽(かく)れたる神事を治めましょう」
この「幽れたる神事」とは、目には見えない縁を結ぶことであり、それを治めるということはその「幽れたる神事」について全国から神々をお迎えして会議をなさるのだという信仰がうまれたと考えられています。
幽世とは目には見えない、耳には聞こえない神や霊魂の世界のことです。神事とはそのような神の働きのことを言います。
大国主神さまは国譲りによって神々の世界を治める存在となられたのです。
出雲市駅 |
私が古事記に興味を抱いたのは、神野志隆光著の「本居宣長『古事記伝』を読む」というシリーズを読み始めた時からです。
本居宣長が国学を広めたときの古事記伝と、現在の古事記との違いをわかりやすく記してくれています。
さらに、高森明勅著の「はじめて読む日本の神話」を読みました。
古事記伝も、古事記も、はじめて読む・・も、すべて言っていることが違います。
解釈の違いや物語の捉え方によって同じ物語がこれほど異なる意味を持つものなのか、と驚かされ、ますます記紀の深みを知り、好きになりました。
古事記編さん1300年の記念の年に、八百万の神々が集まる神在月の時に、出雲の国へ行きたいものだと昨年からずっと思っていました。
日本最古の書、記紀に登場するくらいですから、出雲大社は日本でもっとも古い、由緒を持つ神社です。八百万の神々にお願いしたら、願いも絶大に叶いそうです。
山陰旅行の計画を話したところ、青森旅行で出会った某氏が、島根に行くなら・・と石見銀山の観光を勧めてくれました。
そんなこんなで、いろいろな書物やご縁やその影響から、今回の旅が始まったのです。
出雲に降り立つと雨が上がっていました |
私は願い事を託しに出雲の国へ向かいました。
今回も電車で行きたく思い、JRのフリーパスを探しましたが、ちょうど良さそうな「山陰満喫パス」は二人縛りがあり、一人旅では使えませんでした。
※二人で旅行される方にはお勧めです。こちら→山陰満喫パス
なので、夜行バスで行くことにしました。うまい具合に、新宿駅西口から出雲市駅行きのバスが三連休の前日の夜に出ていました。こちらを利用させていただきました。
待ちに待った旅行の日、天気予報では、島根県は雨続きです。
私は神迎祭と神在祭に行く予定でしたが、思わず雨で中止になるのではないかと懸念しました。
出雲大社のスケジュールを何度も見直し、過去の誰かの旅行記を探します。どうやら中止はなさそうでした。
また、運に恵まれたのか、夜中じゅう降り続いていた雨が朝方には上がりました。降り立った出雲市は、名前通りの曇り空に包まれています。出雲らしい天気です。
雨ガッパ(正確にはSIERRA DESIGNSのマウンテンパーカーです)の私は拍子抜け、リュックとカメラを抱えて、出雲市駅へと向かいます。
出雲市駅には神話の神々の物語がたくさん描かれていました。
出雲市駅の神話の神々の絵 |
奥は八俣遠呂智(ヤマタノロチ)です。高天原を追放された須佐之男命(スサノオ)が、櫛名田比売(クシナダヒメ)をもらいうけることを条件に、娘たちを食い尽くしては村を騒がしていた8つの頭を持つ大蛇の怪物を退治しました。
神話の国、出雲に来たのだなぁとここで実感しました。
神々をお迎えする神迎祭までまだ時間があります。石見銀山を先に巡りに向かいます。
ちなみに、神迎祭とは、神在月に八百万の神々が出雲にお着きになる際の神事です。旧暦の10月10日にの夜、八百万の神々は、龍蛇神に先導されて、出雲大社の西の稲佐の浜に現れます。それから1週間、大国主神さまの元で会議をされ、旧暦の10月17日に出雲大社をお発ちになるのです。
さて、出雲市駅から快速に乗って仁万(にま)に向かいます。石見銀山にバスで通じています。
しばし、出雲市駅で時間を潰します。隣のホームに、特急やくも(リニューアル車両)が滑り込んできました。
奥に見えているのが特急やくもです |
また、私の真横には奥出雲おろち号が止まっていました。
おろちは、八俣遠呂智(ヤマタノロチ)のことです。先ほど駅の入口の絵で見ました。高天原を追放された須佐之男命(スサノオ)が退治した8つの頭を持つ大蛇の怪物ですね。
おろち号はJR西日本で大人気の2両編成のトロッコ列車です。おろち号は臨時列車なので、4月から6月の週末とGWと紅葉シーズンしか走っていません。だから乗れる機会はとても貴重です。同様に見れる機会も貴重です。この日も満席とアナウンスが流れていました。
・奥出雲おろち号
奥出雲おろち号 |
運転席が2階部分で横向きでした |
10時半、仁万に到着です。田舎の駅らしく、駅校舎になごみます。
仁万駅 |
ここからバスに乗ります |
約20分で大森代官跡バス停に到着です。
大森代官所跡 現・石見銀山資料館 |
近くの城上神社をお参りします。
・石見銀山みてあるき
大森地区は石見銀山遺跡の中心部です。銀鉱山を算出した仙ノ山一帯には間歩(まぶ)と呼ばれる坑道をはじめ、採掘に関連する遺構がたくさん残っています。大森の町には幕府領だった江戸時代から戦前までの建物が残り、銀山を管理した武家の家と民家が混在した町並みを見ることができます。
予定ではこの後、熊谷家住宅、観世音寺、旧河島家、五百羅漢を見て、石見銀山公園から遊歩道へ入ります。遊歩道を45分程歩いて、かつて銀鉱山を産出した坑道、龍源寺間歩(まぶ)へと足を伸ばすつもりでした。
五百羅漢が近くなった頃から、音楽が聞こえてきました。。
祭囃子のような、おめでたい音色です。観光バス乗車所方面から聞こえてくるようです。何か祭日のイベントをやっているのだろうかと頭をかすめましたが、私はわずか2時間と少しで、石見銀山を端から端まで歩く計画を立てていたものですから、聞こえないふりをしました。
ただの、BGMかなにかだと思って、五百羅漢で有名な羅漢寺をお参りします。
・羅漢寺 (世界遺産です)
ところが、期待の五百羅漢は撮影禁止でした。私は羅漢さまを撮るのが好きでした。
羅漢さまは悟りに達して、人々から尊敬を受けるにふさわしいものをいいます。まだ仏とされていないせいか、庶民的な面相や姿態の像が多くてとてもユニークです。
石見銀山の五百羅漢は、表情や姿態が豊かで、観光者向けの写真を見た時から惹かれていました。福光村石工、坪内平七一門の手によって二十余年の歳月をかけて完成されたそうです。
下調べが足りず撮影禁止とは思いませんでした。このブログにも羅漢さまの写真を載せたく思っていました。それで、がっかりしてしまいました。
天候も冴えず、そもそも夜行バスの席が悪くてうまく眠れず、機嫌があまりよくありませんでした。また、そういう時に限って、露出がどうしてもいいように合わせられず、苦しめられていました。
撮影できない五百羅漢さまを見終わったあと、意気消沈して遊歩道へと歩き始めました。すると、先ほどの駐車場方面から、まだ、祭囃子のような明るい音楽が聞こえています。
ずいぶん長いイベントだなぁ、とのん気に思いました。
次の瞬間、ここで初めて、私はその音楽が耳に入り、その意味を想像して、はっとしました。何かはわからないけれど、祭日のイベントが行われているのだ。この石見銀山の、今ここでしか見られない地元の世界がそこにあるのだ。
(そして、それは祭日の観光者向けの石見銀山スペシャルなのだ)
私が日本全国を旅しようと思ったのは、その土地土地の文化や共同体を見たいと願ったからでした。顔の見える風景に、人そのものを感じたいと願ったからでした。
本末転倒、ではありませんが、疲れやスケジュールに追われて、みすみす大切なひとつを見逃そうとしていた自分に気がつきました。
私は音楽に向かって、走り出しました。
城上神社 |
城上神社 |
白上神社 突然陽が差し始めました |
立派な縄です |
幹におみくじが結びつけてありました |
石見銀山の懐かしい景観 |
銀鉱山だったので、銀のいろいろなものが売られています |
観世音寺 |
観世音寺からの眺め |
榮泉寺 |
懐かしい建物を使ったお土産屋、カフェ等があります |
石見銀山で栄えた商家、熊谷家住宅に入ります |
熊谷家住宅 |
先祖は毛利家の家臣でした 武家っぽいですね |
奥に進むと商家(酒造業)らしい姿、酒造展示していました |
こちらは土間です |
台所 |
勘定場 |
熊谷家を出て、こちらは昭和風の店 |
こちらは大正末期 銀山ヴィレッジ・理容館アラタさん |
銀山川 |
羅漢寺 |
羅漢寺 |
音楽は石見神楽(いわみかぐら)のお囃子でした。
石見神楽 演目は天神です |
石見銀山公園に仮設のステージが作られ、観光者や地元の家族連れ(に見えました)が熱心に眺めています。
鮮やかな衣装をまとった舞手は、剣を持って激しく立ち回っていました。
私は近づいて、最前列の空いた椅子のひとつに腰をかけました。
煙幕が上がって、舞手は2人から4人に増えました。大太鼓の奏者が掛け声を上げて盛り上げています。大迫力でした。
石見神楽は神楽の様式のひとつです。そもそも収穫期に自然や神への感謝をあらわす神事として神社において夜を徹して朝まで奉納されるものでした。島根県西部(石見地方)と広島県北西部(安芸地方北部)で伝統芸能として受け継がれています。日本神話などを題材とし、演劇の要素を持っているそうです。地元では「舞(まい)」「どんちっち」(囃子のリズムから)とも呼ばれています。
中でも特に激しい舞として知られている演目が「天神」です。私が見た演目は天神でした。
天神は、藤原時平の中傷から大宰府に左遷された菅原道真が、死後、天神となって時平を成敗する、というお話です。
舞手は若い青年ばかりで、彼らが懸命に、激しい舞を舞っている姿にも、心打たれました。
石見神楽の写真が大量にあり、実はまだ整理が終わっていません。次回、山陰編の続きは、石見神楽の写真から始まり、神迎祭と、できれば神在祭までを、お届けしたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
山陰の旅はまだまだ続きます!^^
☆出典☆
・神々が出雲に集う神在月 (出雲観光協会HP)
・はじめて読む日本の神話 (高森明勅)
・ウィキペディア石見神楽
・出雲の国譲りとは
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