鉄道に乗って東北へ出かけよう! その⑤ ~青池の津軽三味線~





 十二湖から川辺まで乗車したリゾートしらかみ「青池」は、一生忘れられない列車になりそうだ。ここで私は不思議な感覚を味わったのである。

 中学生の頃、友人は私のことを「ミュータントじゃない?」と評したことがある。彼女は当時人気のガンダム(アニメ)に入れ込んでいて、その主人公たちがミュータントなのだと教えてくれた。
 今思うと、あれは「ニュータイプ」の概念のことを言っているのだろう、私の記憶違いか、それとも彼女がわざと間違えたのか、しかし確かに、なぜそう評したのかは覚えている。当時、私は宇宙の意識とひとつになることができたのだった。(そして彼女もそれができた)

 こういうことができる人間は私だけではなくて、意外と多いのだな、という感想しかなかった。それが貴重だったのかは、今でもわからない。
 時間にしてほんの1、2分、またそこに行きたいと願った時に、意識を集中させると、不意に自我が消滅して、大いなる宇宙に吸い込まれていく、そして溶け合った意識体として銀河をゆらゆらと漂っているような感覚に浸るのであった。
 この感覚が最後に成功したのは、中学2年生の時だったと思う。思春期が深まってからは、どう意識を集中しても、二度とそこに行き着くことはなかった。

 しいて言えば、「青池」での感覚は、それに似ている。違うのは私があちらに行くのではなく、あちらが私に訪れたような感覚。私は生まれて初めて、私の中に別の意識体を見たのだった。

 難しいことを言っているようだが、いや、ただ青池の中で津軽三味線の音楽を聴いたという、それだけの話なのである。
 リゾートしらかみは次の目的地である川辺へと向かっていた。私はそこからタクシーに乗って田舎館村役場の展望台から、田んぼアートを見ようと思っていたのだった。
 
 リゾートしらかみ「青池」は昨年5月、初めてF子さんと会った時に、―その時私はレンタカーで訪れていた― 日本海沿いを走る私の隣を併走してくれた電車である。追い越したり、追い抜かれたりを繰り返し、私はずいぶん楽しんだものだった。
 ああ、いつかあの電車に今度は私が乗っていたいものだなぁ、そう思った。

 そんなことを思い返しながら、海岸線沿いの景色を眺めて、時折、せわしなく前列に移動した。横の座席には、20代後半くらいの青年が座っていて、青年はカメラを膝に抱え、車窓からの景勝を愛おしむように撮っていた。その邪魔とならないように、ちょうど空いていた前列へ、見所を促すアナウンスが流れて、青池が走る速度を緩める度に、行ったり来たりしていたのである。
 窓際の席だったら言うことがなかったが、それでも青池に乗れたことは私にとって大きな喜びだった。リクライニングシートの座席は座り心地がよくて、足を伸ばしても、前列の座席までまだまだ30センチから50センチは余裕がある。飛行機よりもよほど贅沢な気分になる。また、五能線のなんと眺めのいいことよ。日本海と白神の山々の狭間を、豊かな自然を従えて悠々と走っていくのであった。
 


リゾートしらかみの車中 座席の感覚が広くて、足を伸ばしても余る

車両の全面にモニターがあり、線路を走っていく様子が映し出されている

五能線からの眺め 大戸瀬駅 - 北金ヶ沢駅間で徐行運転をしてくれる

次の目的地川辺駅に向かって、ススキ広がる日本海沿いを走っていく

千畳敷駅で10分ほど停車した

太宰治の小説「津軽」の大戸瀬(千畳敷)の記述が記念碑に記されている

千畳敷海岸




 途中、太宰の小説「津軽」に出てくる千畳敷で停車して、鰺ヶ沢を超えるとついに日本海とお別れだ。津軽半島の根元辺り、五所川原で切り返し、内陸の弘前へと南下していくのである。

 海の景観が終いと近づく頃、次の鰺ヶ沢駅で津軽三味線の演奏者が電車に乗りますとアナウンスされた。

 ・・とイベントスペースで生演奏を行います、津軽三味線の音色をお楽しみください・・

 青年の横から滑り込んでゆくホームを見やると、三味線の黒いケースを抱えた女性奏者が2人佇んで、青池を待っている。彼女たちは私の5列程先の乗車口から乗り込んで、乗車口すぐのイベントスペースで演奏の準備を始めるのだった。

 私ははっとした。リゾートしらかみでこんなイベントのサービスがあるとは知らなかった。しかも、それは私が乗っている車両で行われ、私は通路側の座席にいたから、天井部に備え付けられたモニターからではなくて、高いシートの横から身を乗り出して直に、彼女たちのすべてを見ることができたのだった。
 さっきまで通路側の座席であることに少なからず不満を抱いていた私だったが、なんという計らいだそう。私が自分が思いがけず幸運であることを知った。

 津軽三味線の音色が大好きだった。生演奏を聞かせてくれる店に一度は入ってみたいと思っていた。演奏が始まると私は熱心に耳を傾けて、聞き入るのだ。
 ところが奏者の演奏はどこかずれていた。音がではなくて、気持ちが、演奏に対する情熱のようなものが感じられず、そのせいで、あまり上手とは言えない音楽を奏でているのであった。
 乗客は演奏者の彼女たちを写真に撮った。年配の女性はコンデジで、初老の男たちは一眼レフで、後から後から席を立ち、私の横をすり抜けて、イベントスペースの正面から不躾に、彼女たちを撮るのだった。私はその一連のお決まりの行動にもどかしさを感じた。

 もしかしたらそのせいかもしれない、私には彼女たち・・特に私の座席からよく見える若い方の彼女の表情が曇って見えて仕方がないのだった。
 おそらく今日と同じように、彼女はいつもどこかで津軽三味線を引いているのだろう。しかし、今まで、その情熱に値する聞き手は存在しなかった。いや、そうではなくて、もしかしたら不本意ながら、この仕事を始めたばかりで、自らの情熱を傾ける経験が足りなかっただけだとしても。
 表現は悪いが、動物園のサルを撮るような・・ まるで自分たちの旅のために彼女たちが撮られることが当然であるような乗客たちの様子を見ていたら、思わず若い彼女の哀しい気持ちが伝わってきた。

 不思議な体験をしたのはこれ以降のことであった。初めは、私の中にある想念が浮かんできたのだった。自分の存在が祈念するためのものであるという仮説的な意識。前回訪れた青森旅行の際に不意に浮かんだものと同じだった。あれは、ある老舗・・ 創業100年の刃物店を訪れた時のことだった。

 ラジオから音楽が流れている。けれど誰もいない。
 禅林街のパンフレットには、3代目の職人が弘前城下の商家街の鍛冶業の商店を守り、全国の果物生産者のために貴重な一品を納めていると書かれてあった。私は鍛冶文化の伝統を守っている様子が見たくて、その店まで歩いて行った。少し遠く感じられて、また、道がわかりづらかったので、刃物店を見つけたときはとても嬉しかった。
 ところが、期待したものと店はまったく違ったのだ。ガラスにはひびが入り、商店の中は埃だらけで、まるで錆びているかと見間違う鍛冶業の道具が無造作にあちこちに置かれてあった。

 私は哀しい気持ちになった。廃墟のようだったのだ。しばらく店の前で待っていたが、いつまでも懐かしい歌謡曲が鳴り響いているだけだった。奥に部屋がわずかに見えて、人影があるようにも感じられたが、その者が仕事をしに出てくる気配はなかった。
 それでも、なるべくいまだ生き生きと伝統の刃物店が息づいて見えるようにと、また実際そうであるようにと祈りを込めて、外観を撮り始めた。角度を変えて、何枚も撮っていると、かすかに鍛冶屋の、刃物を研ぐ音が聞こえてきたのであった。
 私は驚いて、店に近づいた。陳腐な歌謡曲は消え失せて、DJが何かを語り始めていた。そしてついさっきまであれほど人気の感じられなかった作業台に、今は1人の若者が佇み、当たり前のように、仕事をしているのだった。さっきまでそこにいたように。いつもそうしているように。
 なんとありがたく感じたことだろう。私はその様を見つけて、心を震わせた。去る前には思わずその姿に掌を合わせた。いてくれてありがとう。伝統を守ってくれてありがとう。

 その時、ふと思ったのであった。青年が顔を上げて、店を去っていく私の方を見ているような気配を感じたのであった。私が何のためにここを訪れたのか、まるで知っているかのように。
 もしも、見るものがいなかったらどうだっただろうか。伝統文化を見たくて写真を撮りに来るものが今いなかったら、この青年はこの場に現れただろうか。
 不思議な考えだけれど、人は気にかけて見てくれるものがいるから頑張れるのだろう、どうでもよく思われたら諦めてしまうこともある、だから、自分が旅をしてこうして巡っていることがとても重要なことのように思われたのだった。

 津軽三味線の音色が続いていた。生命力を感じる力強い音。けれどどこか哀しい運命を背負った旋律。私がこうして旅をして彼女の前に現れたのは、とても重要なことではないだろうか。
 私は一眼レフカメラを持って立ち上がった。望遠レンズはザックの中だ。換えるのを待てなかった。熱いものに突き動かされて、演奏者の傍まで近づくと、人物のスナップにはあまり適さない広角のレンズで手当たり次第に連写を始めた。
 
 



イベントスペースで津軽三味線の生演奏が始まった

津軽三味線の生演奏 このあと津軽弁の昔語りもあった

川辺駅に到着 ここで不思議な体験をした青池とお別れだ。

「さようなら、青池。」 リゾートしらかみを見送る 



 前にしゃがみ込んで見上げるようにして、津軽三味線を引く様を撮る。
 次の瞬間、私は彼女の心が、ぱっと輝くのを感じた。もっと輝きますように、晴れ渡りますようにと、願いを込めて連写する・・ そう言いたいところだが、実際は無心だったと思う。思い浮かんだ想念のその心象にただ突き動かされているようだった。

 あまりに夢中に撮りすぎて、終いにはカメラ(の書き込み)がフリーズしてしまった。急いで席に戻って、また熱心に聴き始めた。
 彼女は笑顔を輝かせて、津軽三味線の演奏を続けるのだ。2曲続けて楽しませてくれたあと、今度はもう1人が津軽民謡を歌い、若い彼女が1人で弾いている。乗客たちは拍手喝采、楽しそうに聞き入って全員で手拍子をした。歌い手の1人は3号車の通路に飛び出して、乗客たちに順番にマイクを向ける。あちらこちらで照れくさそうな喚声や笑い声が起こった。

 私は奏者の若い彼女が、楽しそうに弾いてくれていることが嬉しくたまらなかった。時々、偶然目が合うと、その嬉しい思いを、思いの丈を込めて、自らの笑顔で伝えるのだった。
 窓の外には山々、そして田園風景が駆け抜けてゆく。今、去年のあの日に、ああ、今度は乗りたいなぁ、と思った「青池」にいて、自然の景色を眺め、情熱的な津軽三味線の音色を聴いていた。










 私は自分が幸福感に満たされていることを感じた。今実際に感じなければならない分量を超えて、必要以上に、幸福であることを感じた。
 それは、今までの人生の中ではありえないことだった。
 津軽三味線と津軽民謡が続いている。乗客たちは皆笑顔で手拍子をしている。青池の宇宙の中で、笑顔の私は、泣いているのだった。
 不思議な感覚はピークに達していた。何もかもが、ギフトであるように感じられた。

 旅をすることの目的を明確に理解したのは、この時が初めてであった。







※その⑥に続きます。今夜か明日の朝にアップします。また見てね~^^

 
 津軽三味線いいですね。もっとじっくり聴いてみたいと思いました。




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