伊勢神宮から熊野古道へその⑤  ~自然崇拝のメッカ、紀伊山地の霊場、参詣道を行く!~ 熊野速玉大社編 浄土からそしてまた穢土へ





伊勢、熊野を巡る旅も、そろそろ終わりに近付きました。

熊野速玉大社が最後の一社です。







熊野古道は世界遺産に登録されています。
私たちが歩き、残した道が、尊い遺産として世界に認められました。


本宮から新宮行きのバスに乗って速玉大社に向かいます。

またしても熊野川沿いの昨年の台風被害の跡を目にします。

工事中の看板ばかり。ここは橋の中間がすっぽりなくなっています。
「まけるな和歌山、がんばろう熊野川」と書いてあります。目頭が熱くなりました。

バス停権現前で降りて熊野速玉大社へ。鳥居が見えました。

最後の一社。感動しました。もしかしたら全部は巡れないかもしれないと思っていた。

手力男神社と八咫烏神社。ひとつの鳥居の奥に並んでいます。

新宮の聖地世界を描いた参詣曼荼羅。

これが見たかった。熊野権現の象徴の御神木、なぎの大樹です。

拝殿。後ろにイザナギを祀る速玉宮とイザナミを祀る結宮があります。

熊野神宝館。武蔵坊弁慶の像があります。

拝殿。カラフルで綺麗ですね。

拝殿。緑も綺麗。

熊野恵比寿神社。境内の右手奥に新宮神社と並んでいます。

新宮神社。瓦に丸金の文字が。拝むと金運が付くように思われました。

ここにも世界遺産の石碑。「紀伊山地の霊場と参詣道」です。

新宮神社の屋根。瓦の文字の丸金をズーム。

神木のオガタマノキ。美しかった!




ところで、熊野速玉大社の公式サイトには、熊野三山の主神とその御利益が書いてあります。

速玉大社の主神は、速玉大神と夫須美大神です。過去世の救済・当病平癒をしてくれる神(速玉大神=薬師如来)と現世の利益を与えてくれる神(夫須美大神=千手観音菩薩)です。

熊野那智大社の主神は、夫須美大神。現世の利益を与えてくれる神(夫須美大神=千手観音菩薩)です。

熊野本宮大社の主神は、家津美御子大神です。来世のご加護を与えてくれる神(家津美御子大神=阿弥陀如来)です。

熊野詣は明治の神仏分離令のお陰で廃れてしまった、熊野信仰は神仏習合的である、とは聞いていたけれど、公式サイトの主神の説明として、はっきりと仏様の名前が書いてある。

速玉大神は薬師如来の化身であり、夫須美大神は千手観音菩薩の化身であり、家津美御子大神は阿弥陀如来の化身であるということです。

よくよく考えると、とても不思議ですね。まがりなりにも神社です。日本書紀や古事記と由緒のある、古来からの日本の神々ととても縁深い処です。ご祭神はイザナギ、イザナミだと思っていました。

「御祭神は熊野速玉大神(いざなぎのみこと)・熊野夫須美大神(いざなみのみこと)」

こちらもよくよく見ると、イザナギ、イザナミはカッコで括られて書かれているだけでした。あくまでも、主神は仏の化身である大神たちなのですね。


やっぱりアニミズムこそが日本なのでしょうか。熊野信仰は習合的、ではなくて、神仏習合そのものの代表的な例であるかもしれません。

そもそも熊野詣のブームは浄土信仰との繋がりが強まったことから起きました。熊野は浄土とされていました。だからみんな熊野を目指して、古道を歩いた。

み熊野ネットさんの「熊野入門」の記事も面白いです。熊野速玉大神がイザナギに、熊野夫須美大神がイザナミに同定されたのは近年であり、彼らは熊野版のイザナギイザナミだと言いきっています。



み熊野ネット「熊野入門」
(ゴトビキ岩が男性、那智の大滝が女性のシンボルであるなど、驚きの見解がたくさんで面白かったです)

熊野速玉大社公式サイト

浄土 (ウィキペディア) (熊野は聖地と言うより浄土の方が似合うようです)




そうそう、本宮バス停横の食堂いっぷくさんで、隣り合わせた青年と、速玉大社で再会した話を書こうと思っていたのでした。

まったくロマンスとは程遠いお話ですが、なぜか旅から戻ってから、からちょくちょく思い出します。そうすると、決まって、心が温かくなるのでした。

彼とは同じ店に隣り合わせ、その後同じバスに乗ったものの、前回紹介した会話のほかには何も語り合うことはありませんでした。お互い人見知りな性格なのでしょう、勘違いバス騒動で心の距離が近まったことを感じても、その後、また一気に離れ(離し)ました。挨拶することもなく、別々に店を出て、別々にバスに乗り、そして私は権現前バス停で降りました。

一期一会はあっけなく終わりました。旅先で人と親しくなるというのは、男女の別なく、ハードルが高いように思います。本来は逆であるかもしれませんが、私は会社や趣味や地域やソーシャルメディアや、お互いが普段居合わせる場所が同じであるほうが語りやすい。
ぶっつけ本番で、何の後ろ盾もヴェールもなく、身体や心や、肉体と魂だけで人と関わり合うことの方が難易度が高く感じる。
まだまだなんだなぁ、と実感します。


それでも、速玉大社を巡っている時、まるで追いかけて来たかのように、その青年が現れた。
(何のことはない、速玉大社に行きたかったのに、ドジなので、権現前のバス停で降りずに、終点の新宮まで行こうとしていたのです)

「(私が降りるのを見て)そうか、新宮まで行かなくていいんだ、と思って・・」

次の停留所で降りて歩いてきたのだと言っていました。
その時、たまたま私の方は、速玉大社で居合わせた恋人同士の旅行者に当てつけられていました。

こちらは一人身なので、彼らに対して、肩身の狭い思いをしていた。
八咫烏の神社の前で、撮りたいものが重なったのです。譲っても動きません。二人で並んで待っている。私は急いで写真を撮って、その場を去りました。もっとゆっくり見て、撮りたかった。それで、その後も少しだけ不愉快でした。境内で彼らの姿を見かける度に、また同じ被写体に出くわしたら、写真を撮るタイミングや心の余裕を、彼らに譲らなければならないような想いに捕らわれていました。

そんな時、ドジな青年が現れて、「あれっ!」という感じのノリで、一度離れた距離がまた一気に近付きました。旧知の知り合いのように、滑らかな会話を始めた時は、だから、正直ホッとしました。

女一人よりは、男の連れがいる方が心強く感じることは多々ありますが、この時は特にそう思いました。
くすくす笑いながら、時折こちらを見ていた女の子も、その後、神妙な面持ちになって、もうこちらを見ることはありませんでした。

青年と私は会社や趣味の場やソーシャルメディアで普段出会う人たちよりも共通項がたくさんあることがわかりました。
そうして青年が現れたタイミングが、救世主ふうで、あまりにも都合が良かったものですから、いつもの癖で私はこんなふうに考えました。

時々、偶然が必然のようにうまい具合に重なることがあります。偶然にしては出来過ぎていると感じます。そんな時は、もしかしたら。

八百万の神々や守護神や、そんな肉を持たない者どものその霊魂のひとつが、誰かの空蝉に身を宿して、私の前に姿を現わしてくださったのではないか。
私の旅を手助けしてくれているのではないだろうか。

だから、そんな瞬間の写真旅行の一期一会を、特に大切にしているのでした。

彼は大阪から来た旅行者で、登山が好きで、まとまった休みが取れたので、三日前から熊野古道を歩いているのだと言いました。
一昨日と昨日が大雨で、雨が降りしきる中、一人で古道を歩いていたそうです。
2日間、最悪でした。でも、3か目に晴れた。今日はもう帰る日だから、最後に、良かった。
そう言って嬉しそうに笑いました。

一人旅では自分を撮ることもなかったでしょう、と彼のカメラで写真を撮ってあげました。私も撮ってもらいました。それからこれから那智のお滝に向かうというので、現地でもらった大門坂のパンフレットをあげました。こちらもとても喜んでくれました。

速玉大社の境内をぐるりと巡って、同じ写真を撮り終えると、どちらともなく、並んで、権現様に背を向けて、鳥居の方へと向かっていきます。

「これから勝浦に行こうと思います」と青年。
「私は新宮から帰ります」と私。
ここでお互いの道が分かれます。さようならは言いませんでした。

ちょうど新宮行きのバスが来ました。
「あっ! 新宮行き!」と叫ぶと、「まぁ、いいですよ。どうせ急ぐ旅でもないし、ゆっくりと行きます」
と自分が乗るバスでもないくせに、悠然と見送ります。
「そうですね・・」と私の言葉も乾かないうちに、今度は勝浦行のバスが来ました。「あっ! 勝浦行き!」
青年は今度は飛び上がりました。バスが目の前の赤信号で停車するのを確認すると、直ぐ回れ右をして、次のバス停に向かって駆け始めました。

笑ってしまいました。最後まで、愉快な青年です。

振り向いて、最後に手を挙げて、大きく降りながら、やはり大きな声で言いました。

「ありがとう。本当に、どうもありがとう!」


それはこちらの台詞です。だけど、とても、嬉しく感じました。




のんびり散歩しながら新宮駅に戻ります。海側の駅前です。

神倉神社のお燈祭りの像があります。
速玉大社の門前町新宮。駅に着きました。

JR紀勢本線で多気(三重県伊勢方面)に戻ります。

車窓から青く煙る山々を眺めて。

愛おしい景色です。さようなら、どうかまた見れますように。


お腹が空きました。駅の売店で購入したさんま鮨。

約3時間半をかけて多気駅に到着。

多気駅の景色。日が沈みました。日没とともに、霊場を巡る私の旅も終わりです。




多気駅で時間が余り、ホームの端まで歩きました。長い線路でした。回送電車なのか、無人の車両まるで棄てられたようにぽつりと停まっています。東の空は真暗です。車両の反対側の、隣のホームの向こうに続いている田園風景も、もはや見え辛くなっていました。

星はまだ見えません。薄黒い山の影と、微かな田んぼの稲穂の緑。信号機。裾野の町の灯り。
豊かな自然の、懐かしい風景。とっくに失われたと思っていた景色が目の前に広がっているのでした。日暮れ直後の旅の最後の景色を味わい、耳を澄ますと、カエルの鳴き声が響きます。

子どもの頃、私の住んでいた町には田んぼがありました。
今時分の夜には、必ずこのカエルの鳴き声を耳にしました。

幸せだなぁ。

ふと幸福感に満たされました。私のもとに、一人、二人の、人が来て、ホームの先端へ、続く線路に向かって歩いて行きます。構内にはアナウンスが響きました。

「〇番ホームに名古屋行き快速電車がまいります・・」

旅路の終わりを告げる電車が、ホームに滑り込んで来ました。







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