花も富士もない旅路の ~初夏の檜洞丸を訪れる~


『檜洞丸のブナ林(山頂の木標より)
 この付近の林は、初夏の新緑、秋の紅葉、冬の樹氷などに加え、シロヤシオ、トウゴクミツバツツジ、バイケイソ、マルダケブキなどが花を添えた美しく、多くの登山者に愛されてきました。しかし近年、ブナが次々に枯死するという異変が起きており、自然環境が大きく変化しています。これは、私たちの生活に起因する大気汚染などが原因ではないかと言われています』


 たぶん塔ノ岳山頂の尊仏山荘で写真を見てからだ。私は檜洞丸に魅せられた。


 初夏のシロヤシオとトウゴクミツバツツジの頃、この山は一番にぎわうと言う。幻想的な富士と花々の写真を何度も眺めた。行ってみたいものだ。
 5月の最終日曜にシロヤシオの開花期に合わせて山開きが行われる。三脚を抱えた私は人々の邪魔になる。山開きの前、花が咲いたばかりの頃を狙って出かけてみようと決めた。ずっと前から決めていた。
 久しぶりの山だった。私は緊張して富士急湘南バスに乗った。玄倉でバスが折り返すと、東を向いて走っていた車体が西を向いた途端、富士が見えた。私は身を乗り出して、バスの車窓から大げさに富士を眺めている。乗り合わせた人々は皆登山の装備を身にまとっていたが、私の行動に見向きもしない。大声で教えてあげたかった。
 富士が良く見えますよ。

 前回、あれは去年の夏だった。檜洞丸に登った時は朝からあいにくの雨だった。しとしとと小雨が降り続け、それがふと山頂近くで止んで、壮大な雲海とともに富士が顔を見せたのだ。期待していなかっただけにあの景色は嬉しかった。私は自分の幸運をかみしめたものだ。


 今日は午後から曇ると聞いているが、急いで登れば、山頂でシロヤシオとトウゴクミツバツツジと富士のあの夢に描いた光景が拝めるかもしれなかった。私は座っているのがもどかしくなった。終点の西丹沢自然教室に着くと、登山カードを書いて、早々に登り始める。コースを良く見て、時間割を決める。ゴーラ沢出合まで30分、展望園地は1時間、石棚山コース合流点まで1時間、山頂付近で写真を撮るのが30分、頂上には1時に着いて、昼食を撮って帰途に着く。余裕を持って決めたつもりだ。それぞれの地点まで、早く到着すれば、写真を撮る時間が増える。圏外になった携帯電話を取り出して、何度も時間をチェックする。
 
 ゴーラ沢出合までは3人の婦人たちと一緒だった。前に足の悪い単独の年配者、後ろに二人組のやはり年配者。私はリーダーシップが皆無なのか、この組み合わせが妙に性に合った。先頭の女性が岩場を登るたびに立ち止まって、両手を使って足を持ちあげている。後ろの二人は世間話や山の景色の見事さを語りあっている。前で詰まるので、後ろからせかされてもこのペースは私のせいではなく、逆にペースアップして、二人組を導くこともしなくていい。まだ急登りもないので、新緑の見事さを味わいながら、久しぶりの山道を楽しんでいる。
 ところが、前の女性が気を使って、道を避けた。「若い方はどうぞお先に。私はこんななので・・」
 がっかりした。彼女は、遅いペースに後ろが苛立っていると感じてしまったのだろうが、それともプレッシャーだったのかもしれないが、私はしどろもどろに礼を言って、追い越した。後ろの二人組も続く。こうなって来ると、遅く歩いても、早く歩いても責任が生じてくるので、どうもやりづらい。
「のんびり行きましょ。頂上にたどり着けば、山は良いというものではないわ」
 二人組の一人がきっぱりと言った。その声を背中で聞いて、安心をする。左手には東沢、涼しげな水の流れを感じながら、樹林帯を行く。ふと時計を見ると、ずいぶん押しているようだ。二人組も気が付けば大分後ろに離れていた。私はペースを上げることにする。つい先ほど抜かしていった男性ハイカーに標準を当てて、彼を追いかけるように、行く。
 そうしながら仕事のことを考えている。私は良く、自分が無能と思われたくないばかりに一生懸命やり過ぎて、周りをあおってしまうことがある。部下ならまだしも上司をあおる。ペースを乱された彼ら年配者や経験が上の者は私をやりづらい相手、もしくは無能と判断し、全くの逆効果になったりする。山を行く時は抜くこと、抜かれること、人々のペースについて、いろいろと慎重に考えるものだが、評価が絡むと忘れてしまうのだろうか、上手く出来ない。私は前方の男性を追いながら、職場でもこんなふうに、私よりも力のあるもの(ペースの速いもの)をただ追いかけて行こうと考えている。あおらないようにひっそりと、普通に楽々と歩いているように見せかけながら、心に気概を灯して追っていくのだ。
 ゴーラ沢出合には、彼のおかげでタイムテーブル通りにたどり着いた。沢を渡ると、ここから石段の鎖場の急登りが始まる。気温が上昇していた。汗をかいていたが、水を飲むと体力が落ちる。私だけかもしれないが、体がだるくなり登りにくい。私は急登りの前の休憩で口の中を濡らす程度の水を取って鎖場に挑んだ。ここからの同行者は数名の登山グループだ。私の沢渡りを手助けしてくれた方々である。彼らのあとを置いて行かれないよう付いていく。
 後ろには若い20代の男女、山登りが趣味の恋人同士だろうか。7名で団子状態になって登っている。前のグループがペースダウンすると、私は木々を眺めて、それから落ち葉を拾っている。まだブナの葉はない。目標と決めた男性グループが意外と遅く、私の体力が余ると気付いたころ、私は初めてブナの葉を見つけた。はっとして顔をあげ、辺りを見る。左手の斜面近くに細い若木のブナがサンゴジュのように幹を密集させて立っている。青々とした葉、ブナの新緑を見るのは今年初めてであった。


左・今年初めてのブナ  右・背の高いブナの木が見え始める


 私は人々の邪魔になる三脚を取り出して写真を撮るのは頂上付近(のシロヤシオとツツジと富士の絵)と決めていた。なので、記念すべきブナの写真は携帯のカメラで撮らせていただく。この初ブナを見てから、足元の落ち葉はブナばかりになるのだった。ブナ林か?と思って顔を上げると、確かに大きなブナらしき木はあるが、天を見ても葉が識別できないほど背が高い。地衣類がまだらに付く白い幹が特徴のブナだが、意外と幹だけではカエデ類やニレ科やシデ類と見分けがつかないことが多い。特に深山の中の木はわかりにくい。必ず葉っぱを見るのだが、背が高い木だと葉が遠いし、隣の木の葉と重なったりで一瞬ではわからないのだ。(なので落ち葉を確認しながら歩いているのだ)目を細めて良く良く見ると確かにブナである。多分この葉の厚みのある成木のブナが辺り一面にブナの葉を落としているだけで、ブナ林と言う景観とは程遠い。もう少し先に行くと、背も低いし、老木でも成木とも思えない若いブナたちがブナ林を形成していたが、こちらは逆に足元にはブナの葉は全く落ちていなかった。葉が薄く、落葉も少なかったのだろう。
 私は面白く思いながらブナの葉を踏んで歩いていく。辺りはコナラにアセビにヒメシャラ、ハルニレの新緑、もしくはカヤかモミか(もしかしたらメタコセイヤ?)の濃い緑の常緑樹。そして、ときどきブナ。背の高い彼が現れると、圧倒されて、馬鹿のように顔を上げる。男性グループたちがブナの木の下で何と小さく見えることか。
 休憩しようか。の掛け声とともに、彼らは私と後ろのカップルに道を譲るのだ。今更ながら、「こんにちは」を言って、お先にとかスミマセンとかまたしどろもどろに呟いて通り過ぎる。少し登るとすぐに展望園地だった。タイムは上々だ。初顔のハイカーに何人も合流する。ベンチには前から座っていた方々、富士を撮っていると、後から後からやってくる方々。後続組はたぶん一本後のバスで来たのだろう、こちらは若い方々が多かった。学生のグループと言ったところである。
「だめだ、上手く撮れないなぁ」
 と呟いている。若者の一人が富士を一生懸命撮っているが、コンデジではうまく映らないようだ。今日の富士は曇り空にうっすらと浮かび上がり、全くはっきりしない。まるで空に溶け込むように淡い線を描いている。携帯で上手く撮れない私は、リュックを開けて一眼レフカメラを取り出して、コントラストの設定を変えてPLフィルターを回しながら撮ってみるが、やはりこちらも携帯の絵とほとんど変わり映えがしない。しかし、このために写真愛好家用に作られたリュックを開けたことで、山男たちが食らいついてきた。
「面白いね~ 背中が全部開くんだね」
「どこのメーカー?」
 ミレーだのノースフェイスだのでは確かにこんな作りはないだろうな、と可笑しく思いながら、「カメラ用なんです。機材を入れられるように開けやすくなっていて」と説明している。



左・真ん中あたりにうっすらと見える富士  右・トウゴクミツバツツジが道道に見え始めた。頂上を期待させる。

 展望園地に辿り着いた時、この後の休憩地点でもそうだが、休んでいる人々の中に入っていく時、私はずいぶん気を使ったつもりだった。挨拶をして、邪魔しないように人々の輪に加わっていく。上手く言えないが、今までのように、人々が休む場所だから、私も当然そこで休んでいいのだ、とは思えない自分がいるのだった。私がある場所で休憩をしようと願うこと、そこに人々がいること、その方々が私が加わることを良しとして、私も彼らといても苦にならず、私たちみんなが一緒に休憩を取ること。そういうことは、意外と当たり前のことではないのではないかと思われて来た、とでも言うのだろうか。これは職場とか、趣味の教室とかで考えるとわかりやすいが、誰しも人は、労働力と引き換えにお給料をもらっているからとか、授業料を払っているからとか、だから当然というわけではなくて、その場に居させていただくということなのではないかと。そんなふうに思えてきたと言うか。この地球に生まれ落ちて、今生きているのも、同じことなのではないかと、少し大げさだがそんなふうに感じられてきたのだ。


 そう思うと今ここに、彼らと一緒に休憩しているのはずいぶんとありがたい話で、
「たぶんアウトドア用のメーカーではないから」
 などと答えて、感心してくれる方々が周りにいると言うのも、ずいぶん貴重な出来事なのだった。
 私は楽しいひと時を過ごして、ではお先に、と声をかけてまた山を登り始める。若者の集団は後ろに置いてきた。しばらく行くと、また前に別のグループと出くわしたが、こちらとの同行も短かった。お喋りしながら(本来のペースよりも)ゆっくりと進みたい彼らは、「人が来たよ~避けて避けて」とあっさり道を譲ってくれるのだった。
 前を行く人で二人組だが休憩のために止まったので、挨拶をして通り過ぎると、一言も返事をしてもらえないということもあった。 または前を行く人で明らかにペースが遅いが、道を譲ろうとは決してしない。負けん気を出したのか、一生懸命進んでいく方。後ろの同伴者から「人が来たよ、避けてあげて~」と大声で叫ばれて、今気付いたかのように道の脇に退いて、挨拶もそこそこ、ということも。私もその一人だが、いろんな方がいて、いろんなケースがある。山登りは人生の縮図のようで面白い。
 山と、あとはドライブか、私は山登りと運転を見ればその方の生きざまや人生がありありと浮かびあがってくるような思いがする。
 私は今の会社のことを考えた。山を登りながら、今のあの場所が与えられたのも、あの職場の人たちと偶然乗り合わせたことも、すべてが当り前の偶然というわけではないのだろうと。もしくは今の私の家族のことを考えた。私が一番生きやすいように、すべて導かれたのではないかと。自分が人生の中心で自分の都合よく考えたら、すべて、彼らは私のためにあるのだ。私のために乗り合わせてくれた人々だった。もしも問題があるならば、それは越えなければいけない、越えられるはずの試練であろう。私はずいぶんペースを上げていたようだ。若者は遠くなった。いつもは手を使い上半身を使って全身で登るものだが、今日は腰から下だけでサクサクと登っている。身体が飛ぶように軽い。若者が道を譲ってくれたわけではなくて、私の力が増したような思いがして来ている。しかしもしも、たとえば神が私のために、私が最も生きやすいようにと与えてくれた人々や場所や機会であるならば、今までの人生のつまずきや挫折は何だったのか。数多くの失敗は。それとも、あまりにも、何度も私が転ぶので、今こう身軽に進めているのは、神が見かねて、レベルを下げてくれたということなのだろうか。それとも、知らずに私の適応性が増したのか。
 2キロを過ぎたころから、立ち枯れのブナが多くなった。倒木も多く、まだ土に返れぬ彼らが無残に転がっている。そしてこの頃からハエが出始めた。ぶんぶんとまとわりついてうるさい。手で払うと、手の甲にぶつかるので、気持ち悪くて仕方がない。このハエは、まさか倒れたブナのせいで発生したのか。こんな山の上に、これだけのハエが集まるのだ。良く見ると、青く緑に光って、けっこう大きいではないか。それとも鹿が死んでいるのか。動物の死骸があると言うことか。
 私は崖沿いの柵を眺めた。鹿除けのためのフェンスだ。丹沢に多く発生するシカの食害で、ブナたちも深刻な被害を受けている。木肌が丸裸のものさえあった。しかし、もしもこれらのハエが動物の死骸、鹿の死骸から集まったものだとしたら・・・ 土に返った鹿が、その肉が養分となって土に吸収されていくところを想像した。ブナの張り巡るされた木の根がそれらを深い土の底から吸い取っているところを思った。昇るたびに、ブナの木は化物染みてくるのだ。木肌は黒くなり、もしくは朽ちかかり、根は何本もの足のように地上に迫り出して、延びている。それらのブナが、もしくは、夜中にふいに枝を動かして、食べ物を求めてさまよう鹿をふいとつまんで、山の谷底へ放り出す。そんな黒い闇の中の幻想を思った。それとももしくは、このハエは私だけにまとわりついているのか。若者の周りにはなかったではないか。
 私は苦笑いをしたものだが、ふと自分がすでに亡骸になっていて、ハエに見抜かれているような思いまでしてくる。なるほど、私のためのものであるはずだ、私はすでにこの世になくて、自分で自分にとって都合のいい世界を想像してるだけなのだ。だから、幸せを感じているのかもしれない。
 
 待ちに待った石棚山コース合流点が近付いた。この少し前に、大室山を見渡せるベンチがあり、その辺りからツツジのトンネルが始まるのだ。
 しかし、シロヤシオがわずかに咲いているだけだった。
 夢に描いたトウゴクミツバツツジと富士とシロヤシオの絵は現れず、どこまで登っても現れず、あきらめきれない私は三脚を取り出して、カメラに付けて担いで山頂まで登ったものだが、このときの同行者の老夫婦が、石棚山コースから降りてきた男性と会話を始めて、そうしてついに現実を受け入れた。
「あっちも全く咲いていませんでしたよ」
「そうですか。あちらもじゃあ仕方ない。去年来た時はもっと咲いてましたがねぇ」
「今年は一週間、いや、二週間遅いかもしれませんね」
「せっかく登ってきたのに・・・残念ですね」
 最後の言葉を発した婦人は、この後三脚を担いで歩く私に声をかけた。
「これじゃ写真に撮れませんね」
「ええ、残念です」
 私は彼女の言葉を繰り返した。

 
右・シロヤシオの花  左・頂上付近のベンチから。大室山を見渡す。僅かに咲いているシロヤシオ。

 富士は、せめて山頂の富士はと思えば、お昼を過ぎて、さらに曇り空に溶け込んでいた。肉眼で確認するのもやっとなほど、私が必死で写真に撮っているとあとからやって来た登山者が不思議そうに通り過ぎていく。


「良いカメラですね~」
「ええ、でもあんまり綺麗に出てないんですよね」
「あれ~富士があったんですか!」
 私が撮っているのが富士だと知って驚く始末だった。
 一週間後、あるいは二週間後、山開きのあとにもう一度来ようか。たとえ人が多くて、多少の迷惑をかけたとしても、トウゴクミツバツツジの紫とシロヤシオと富士の純白が空に重なるところが見たいものだ。
 山頂には大勢の人々、私は彼らの隙間に入れていただいて、一人おにぎりを食べている。まるで体が自分のものではないように軽かった。何人もに道を譲ってもらった。若者の足手まといになると思った日々さえ遠く感じた。
 だけど、花は見れないのだ。見たくて見たくて、仕方がなくて、ここまで登って来たというのに、空前に調子の良く感じる私の前にはついに現れなかった。
 私は山頂のブナを眺めて、彼の根元に腰を下ろしていた。小さな若葉をたくさん纏い、その姿を10メートル先から男性が写真に収めている。耀く若葉を見上げる顔がまぶしい。こんなことでがっかりしたら、ブナに失礼だな、と私も顔を上げた。今日はずいぶんたくさんのブナを見たものだった。
 すべてが上手いようにはいかないよ。調子に乗りすぎるなよと、まるで釘を刺されたようだ。
 生きているのだから。
 私は三脚をリュックに仕舞い、それでも裾野に咲いていたトウゴクミツバツツジを今度は一眼で撮ってやろうと首にぶら下げたまま駆けだした。2時間後のバスに何としても乗ってやろうと。焦って、急いで、何度も滑り腰を打ちながら。地を這うようにぶざまに進んでいくのだった。

ブナと山頂の標。ここでみんな記念撮影していた。
シロヤシオもトウゴクミツバツツジも咲いていない山頂付近。 右上に微かに富士が見えている。