神の使いの猫の話。
こんにちはー
うちの猫、慢性腎不全末期のミーちゃん、今年の1月に余命1年と言われて、10ヶ月が経ちました。
7月頃に、飲まず食わずで吐いて下痢して、これは1年もたないか? という危機的な状況になりましたが、その後持ち直して、元気に過ごしていたところ、またしても12日の火曜日の夜に吐いて下痢をして、そうして、緩やかに症状が悪くなっていきました。
飼い主的にショックだったのは、おやつを食べなくなってしまったこと。
今まで、食欲がなくても、おやつは食べてくれたのですが、
不思議なもので、ミーちゃんがいるだけで、私は幸せな気持ちになる。ミーちゃんはおとなしい猫で、ほとんど泣かないし、一緒に暮らしている間、ほとんど一人で寝ていたような猫なんですけれど、それでも、私に与えてくれた幸せは計り知れないほど大きかった。
いるだけで、人を幸せにする存在って、もう天使のようですよね。
私なんて、いるだけで、誰かを不快にしたり、不幸にしたりするのにね。
私なんてというより、人間がそういうものなのかもしれませんが。でも、猫は違う。猫がいるだけで、不快になるという人は(たまにはいますけれど、)ほとんどいないと言っていい。人間のそういう人ほど多くはない。人間ならば、いるだけで人を幸せにするというのは、とてつもなく難しいことで、何かしら相手や全体の利益になること、役に立つことをしなければならない。いや、義務ではないでしょうが、相手を思いやる気持ちを、何かしら行動をもって、示さなければならなかったりすると思うのですが。
ミーちゃんは、生きてくれているだけで、幸せにしてくれるんですよね。かわいい寝息や、いびきを聴いているだけで、満たされてしまう。
猫は人間よりも低俗な生き物のように語られていますが、(人間のペットという・・)もしかしたら、人間よりも神聖な、神の領域に近い動物なのかもしれないなぁ、なんてミーちゃんの寝顔を見ていて思ったりします。
どう見ても、天使さんにしか見えません。
※植物連鎖で、人間は一番下の階層なのではないか、と考察するブログ。植物連鎖のみならず・・?
私も次に生まれてくるときは、人間として修行を積んで、猫として生まれて来られるように、徳を積んで、頑張ろう。なんて思いました。
偶然の出会いがあって、天使のミーちゃんがウチに来てくれて、7年間一緒に過ごして生きてきたことは、人生の奇跡でしかないような思いがします。
ありがとうね、ミーちゃん。
もう少し一緒にいたいから、ご飯食べてね。
というわけで、今日も最後まで読んでいただきどうもありがとうございます。
素敵な時間を過ごせますよう。
願いを込めて。