誰かこの絶滅危惧種の「ポケモンGO」つくれや 〜山田まつりに行ってきました〜





祭り好きだ。というより神フェチだ。パワースポットに行くのが大好きである。もちろんブームの前からだ。む、・・と、思う。ちと自信がないが、遺伝子に古代日本の神観念(これがまたすごいのだ)が組み込まれているような思いがする。つまりこんなふうに。普段の生活と自然の八百万の神々が融合しているところ、そういった空間や瞬間に出くわすと、身震いするほどの感動を覚えるのである。なんだこれ。こいつらみんなシャーマンか。と感動のあまり畏敬と、・・憧憬の念さえ湧いてくるのである。

で、山田祭り※である。



※岩手県下閉伊郡山田町にある山田八幡宮と大杉神社の神幸祭。

山田祭りで湧き上がってきた自分の感情をどう伝えようかな、と考えていたら、意外なところで同じような感動を味わった人の記事を読んだ。全く関係ないゲームの話である。それはこんな内容で、要約すると、「ポケモンというゲームが自分の世界の現実になった」。大好きだった一人遊びのゲームが、ついに、なんと20年の時を経て、父や母らという家族と、この自分が住む町や町の人々や、そして全世界に通じる人々という、リアル社会の空間に融合するものとなった。みんなで楽しむ、現実としてのゲームになった。ゲームが現実になる。一人がみんななる。どうだ、これが2016年という世界だ。

ゲームができないお母さんとポケモンGOの2か月 (詳細は元記事参照願います)


私はこの少年の感動と切なさ、泣きたいほどの幸福感が痛いほど理解できた。読んで、ほっこりする、という感想だけでは終わらなかった。そこには長い間一人でポケモンと対峙してきた(もしかしたら記事の少年は若そうだから違うのかもしれないが)、私だったらだ、20年間、この現実を尻目に、たった一人で(もしくは狭い子供社会で)ポケモンと対峙してきた孤独な少年の、報われるというよりは、昇華される思いが手に取るように伝わってきた。私は日本という国が大好きだ。だが、日本は偉大なポケモンというゲームを生み出した、だけに終わってしまった。それを現実と融合するする力がなかった。ポケモンGOはゲームの性能(?)としては日本のポケモンに劣るかもしれない。だが、やはりすごいもんだな、と思う。一人の人間の長年の思いを昇華させるのだから。おとん、おかんという家族と、地域社会という相反する世界とを、すんなりと融合させるのだから。全世界と繋げるのだから。どうしてこれを始めに日本が作れなかったのか、と思うと一抹の悔しささえ感じるのである。

また話が逸れた、で、山田祭りである。

山田祭りのシャーマンたちは、私に長年の思いを昇華させてくれるような感動をくれたという話である。


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2016年、9月18日に山田八幡宮例大祭があった。そして、翌19日に大杉神社の例大祭だ。
私は山田八幡宮の宵宮祭や、翌日のお祭り広場の催し物(神楽や八木節など)、大杉神社の陸上渡御を見たことがあったが、八幡宮の神輿還御の瞬間を見たことがない。また、「おしおこり」と呼ばれる大杉神社の神輿の海上渡御を見たことがなかった。この二点は絶対見たいものだと常々思っていた。
それ以外も、祭りは素晴らしいのだが、特に見たいと思っていたということだ。正確に言うと写真に撮りたい。私にとってカメラは、少年にとってのポケモン(ゲーム)に似ている。世界と融合する唯一のツールなのである。何年とってもへたくそだが、まぁいいのだ。鳥肌が立つあのシャーマンたち(と、神と融合する町の人々)を撮ることが私の神への供養・・ちょっと違うな、奉納?なのである。

うん、まぁ、またしてもうまく言えないが、長年の義務のような感じでもある。ので、ガンガンする頭痛の合間に、一眼レフと一脚とミラーレス一眼を抱えて撮りに行ってきた。

以下、へたくそな写真をぺたぺた貼り付けるので、山田町民のシャーマンぶりを少しでも感じ取っていただいて、パワーを授かっていただけたら幸いである。私の報われ歩合もポケモンばりに上昇するかもしれない。
いや、真面目な話、たとえ山田から東京やら地方に就職していても、山田祭りとなれば集結していたという山田の人々。お祭り大好きなこの町の人たち。だが、震災があり、泊まれる部屋がなくなったことから、お祭り時の帰省も随分減ってしまったという。もし山田祭りを見逃した元山田町民の方がいたら、少しでもお楽しみいただければ幸いです。

※掲載上サイズを最小にしています。もし元の写真を欲しい方いたら上のContactタブからメールください。

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私の2016年山田祭り、まずは宵闇祭の日に、近くの家に虎舞が訪れたところから始まった。部屋にこもってブログを書いていると、何やら外からピーヒャラと音がする。猫はうるさいのか押入れに入ってしまった。カメラを持って家を出ると、直ぐにお隣の奥様(よくしていただいている)が出てきて、そのまま一緒に虎舞を追いかける。少年少女が丈の長い黄色い法被を着て、祭囃子を奏でながら歩いていく。太鼓の乗った小さな神楽の山車を曳いている。彼らは新築や今年改装した家の前で止まっては、少年たちは威勢良く虎舞を踊り、少女たちは見守るように笛を高らかに鳴らし、太鼓を叩いて、家の人々を祝っている。祭りの始まりだ。お祭りの夜の笛の音は、ワクワクする胸の高鳴りと、そして幼い日の郷愁とを感じられずにいられない。ぽっくりの音を高鳴らして、母と姉と手を引いて歩いた鶴見の夜、あの商店街でのお祭りを思い出しながら、山田町で迎える今年の祭りを思った。



※大杉神社から見下ろした現在の山田の町。復興の工事が進んでいる。



翌日、18日の朝は、大杉神社にお参りに行った。

小高い丘の上にある大杉神社本宮。復興途中の市街地の後ろに、鯨山(くじらやま)が浮かび上がる。車の音。神社を飾るために人々がやってきた。その中の一人、大杉神社総代の武藤清さん、山田の町を見下ろしながら、山田町の大杉神社の起源をお話ししてくれた。



大杉神社となった修験者の「嶋の坊」はひどく酒癖が悪かったという。大槌町から山田の関口の奥にやってきた嶋の坊は、時折酒を飲んでは大暴れをして町の人を困らせていた。最後には町の人々に撲殺され、大島(オランダ島、山田湾の小島)に葬られた。それからというもの、山田湾では不漁が続くことになる。嶋の坊の祟りだと考えた漁師たちは、大島の遺体を掘り起こして、柳沢の山に移し、合祀して大杉神社として祀ることとなった。




元宮の前で撮って欲しいと武藤さん。神社(拝殿)ばかり撮っていた私、言われて初めてお宮の存在に気付いて恥ずかしい思いをした。




被災した旧大杉神社。こちらもお祭りの飾り付け、幟が上がっている。





翌日の朝、今度は大杉神社の下の工事現場から奥宮の小高い山を見上げる。一足違いで海上渡御に向かう神輿が降りてきた。




蓬莱橋の上から。海上渡御の準備ができている。紅白の幕が神輿が置かれるところ。大漁旗を掲げた漁船が待っている。この興船に神輿を乗せて、山田湾口の海の神(あんばさま)を奉った明神崎に向かうのである。




山田八幡宮の佐藤宮司、魚賀波間神社の宮司ら神職の方々と山田町の佐藤町長。山田町の有名人たち。佐藤宮司は山田町のどこの神社に行ってもいらっしゃる(ような気がする)。また、山田町の佐藤町長は、町役場で夜な夜なゲームをしていると、ワンコと散歩をするご本人にばったり出会ったりする。





北浜の旧大杉神社から出てきた神輿の様子。
巡行は八幡大神楽の神楽衆や八幡鹿舞、山田境田虎舞の虎舞衆らと一緒に、騒がしくも華やかだ。



旧大杉神社近くの漁業場へ通じる門から神輿らがやってきた。




きゃーと言って追いかける女性衆の後ろにくっついて、そのまま神輿が渡御にでる岸壁へ。


男衆が岸を清掃。



佐藤宮司登場。





全員で海に向かって黙祷の後、宮司が海に向かって白い御幣(神具)を振り祓い清める。塩を撒く。
関係ないがこの黙祷の時、シャッター音がパシャパシャなって、ちょっと腹が立った。高そうなカメラを持ったおっさん。お前も黙祷せんか、という感じ。




ついに神輿が海へ。





男衆に、神楽衆、虎舞衆らの熱気が高まる。








やたら前に出るおばさん、・・もとい(失礼)、ご婦人のカメラマンがいたので、後ろにくっ付いて負けじと撮りまくる。

途中、海の深いところに進んだところで男衆が足を滑らせ、神輿が沈みかかる。一瞬の悲鳴。男衆が慌てて応援に飛び出す。手を引いて引っ張る。神輿を守れ! 頑張れ! 応援の歓声が沸き起こる。





ずぶ濡れになった男衆。ドキドキした。これで終わりかと思ったら、また海に入り、先ほどと同じように岸のはじまで渡ってから、上がり、岸を駆けて戻ってくる神輿の男衆。神楽、虎舞衆がそれに続く。3回ほど繰り返して、時間です! の声が聞こえ、やっと終了。見ている方がつらい、若者の歯をくいしばる顔に、なんと神輿を担いでいる中にはどうみても60代を過ぎたご年配の方までいる。濡れた服は交換できるのか、神聖なものだからそのままだとかいうのか。当日は結構寒かったので、輿船を見送る男衆の中にはガタガタ震えているものもいた。朝イチからこれだけ全力投球をして、これでこのまま夜の21時に還御するまで巡行を続けるのだろうか。あまりにも長すぎるようだ。自分の体力と照らし合わせて、他人事ながらヒヤヒヤものである。







自分ならできない、という前提があるせいだろうか、彼らの姿になおさら心打たれるのである。
時間がきて、神輿をもう輿船に移さなくてはならないという、その最後のクライマックスに、男衆たちの熱気のピークが訪れる。神輿を掲げ、高い声を上がる。全身ずぶ濡れで、必死の形相である。海に入り、奉納の場所へ戻ってきて、また海に入り、戻り・・・ 行ったり来たりを繰り返す。ふと何のために・・と疑問さえ浮かんでくる。自分ならできない。朝早くから夜遅くまで。男のメンツか。地域社会の掟か。ただの義務感か。祭り好きのDNAか。地域の愛か。大漁祈願に、商売繁盛祈願か。色んな想像が掛け声とお囃子と相まった熱気の中で浮かんでは消え浮かんでは消え、最後にストンと、ああ、と単純な答えに納得してしまう。

神輿の神様を守ってるのだなぁ。

彼らが担いでいるのは、ただの「お神輿」という物体ではなくて、担がれたこの中にちゃんと神という存在がいることを心の底から理解しているのだ。男衆も町民たちも。だからの熱気なのだ。





海上渡御に向かう男衆。



今年の輿船の大杉丸に黄金の神輿を乗せる。




見守る男衆の中に寒さのあまりガタガタ震える人たちも。


これからまだ夜遅くまで巡行があるというのに、大丈夫だろうか。



神輿の乗った大杉丸。(明神様へ向かうのだ)後ろは山田町の名山、霞露岳。


冒頭の身震いするほどの感動を感じたのは、この海上渡御の熱気のクライマックスである。これからまだまだ続く長い戦い(巡行)も鑑みず、全力投球で神輿を掲げる男衆の中に、神を思う心を見たように思ったのだ。何を言ってる、祭りなど全国どこでもあるし、どこでも見ている。そう言われればそれまでである。誰でも大変だし、神輿の神を思っている、誰でもそうだと言えばそうなんだろう。それでも、あの1日にかけた山田町の彼らの思いと熱意は、いつもと少し違うふうに、私に感動を与えてくれたのは事実なのである。確かにあの時感じられた。担ぐ人。見る人。声をあげる人。彼らが一つになって作られた空気。ちょっといつもと違う一瞬。なのに、だから、生活に神がいる。神観念が当たり前に融合している。そんなふうに、感じられたから。
ポケモンと同じであった。これが、2016年だ。これが、山田町だ。
私の孤独が昇華された一瞬だった。






最後に、話は戻って、前日の山田町の様子をお届けしたい。18日は山田八幡宮の巡行のクライマックスを見に出かけたのだ。一脚を持って、神輿や神楽を追いかける。





休止中の山田線を渡る神楽。




同じく神輿の男衆。




そして、お祭り広場に現れた神楽衆に虎舞衆。


神輿も登場する。ぐるぐる回って大迫力だ。




そして、ついに還御である。神輿らは山田八幡宮へと向かっていく。




参道の石畳の階段を神輿が登ってくる。ずっと待っていた人々から歓声が上がる。
掛け声が激しくなる。お囃子が遠くで聞こえる。担ぐ人も、後ろで支える人も、皆一生懸命だ。







まるで中二階のような神社の広場で、神輿がぐるぐる回っている様子。もう人がいっぱいで見ることができない。全員この還御の瞬間に立ち会いたくて今ここにいるのである。神輿の男衆は、この後、また階段を登って本殿の前にたどりかなくてはならない。神を連れての最後の大仕事だ。男衆の一人が倒れたらしい。さっと人が避ける。神輿は傾きながら、急階段を少しずつ登っていく。よく見えない。だが、周りの吐息で伝わる。何度かきわどい状況になりながらのようだ。前にいた浴衣の少女がはらはらしながら見守っている。そして、耐えきれずに喝を入れる。「行け!」

行け。行け。負けるな。最後だ。頑張れ。








無事に階段を登り、本殿の前にたどり着く。と、大きな歓声、・・というより安堵の吐息が漏れるようだった。不思議なのは、その後だ。あれだけ必死だった前方の人たちが一瞬で散った。
まだまだ儀式は続くであろうに、彼らは知っているのだ。祭りは終わった。
神は無事に届けられ、帰還した。





そうだ。人々は祭りの・・いや、今年一年終わりを知って、ぞろぞろと帰っていく。

じきに神社は360日近くの元の姿に戻るだろう。私が一人でゲームに訪れる時の、あの見慣れた寂しい神社となるだろう。だが、今はもう少しだけ。まるでエンディングの余興のように、鹿舞が踊り続ける。神楽衆が笑う。男衆がお酒やお札をもらい長い1日を讃えられている。あと少しだけ、そうだ、この思いを楽しもう。










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