ローソンVS.三吉橋通り商店街 生き残るのはどちらだ?!



 イングレスというゲームは新たな局面を迎えたようだ。
 というよりむしろ初めからこれが目的だったのではないか、と思える程の、しっくりした感じ。なんだろう。ローソンの全店舗が一斉にゲームのポータル(陣取り拠点)になったことについて、感慨深く、さもありなん、と感じている。
 
 これからこんな企業が増えるんだろうなぁ。ゲーム頼みの町興しじゃなくて、企業興しみたいな・・


Google運営のゲーム「Ingress」がローソンと提携か。リアル課金が加速する?




 震災復興を理由にしての経済至上主義。大義名分的な綺麗ごと。ゲームの世界まで、現実の世界と同じになってきた。いやいや、さもありなん。むしろ違っていたほうがおかしいのかもしれぬ。

 こういう無礼なやからにどうやって反抗したらいいのだ? 現実だって対抗できた試しはない。いつだって、蹴落とされてばかりである。石巻から帰らなければならなくなったのはなぜだ? そんな強大なやからたちのためではないか。幸いなのは、これがセブンイレブンではない、ということくらいか。大好きなセブンならば、ポータルを殺るのも気が引ける。外資系の匂いがプンプンするローソンならば、多少は罪の意識も薄れるというもの。そうだ、殺っちまえ、ローソン。(ごめんなさい、ローソンよく利用しています) 経済至上主義の覚醒者たちに対抗するには・・・ なんて難しいことを考えていたわけではないが、一眼レフとスマホを持って散歩に出たら、ばったりと答えが落ちてきた。いやいや、なんと横浜に出かけるところだという我が老人の父と母に偶然出くわしたのである。

 「三吉演芸場にお芝居を見に行くの」と母。
 「おとうさんは野毛山動物園で待ってるんだ」と父。

 ありゃま。今でも行くのかの野毛山動物園。先日、横浜散歩の記事で、かつて父と姉と野毛山動物園に行ったという話をしたが、現在でも父は、母を待つ時間の暇つぶしに野毛山動物園を利用しているらしい。

 「行くか。野毛山動物園」

 私は固まった。この日はイングレスというゲームの二周年記念のボーナスタイムの最終週末である。レベルアップを賭けて、激戦区へと出かけるつもりだった。野毛山動物園で子供時代の感傷に浸っている場合ではないのだ。行かない、と断りかけて、ふと気を変えた。こういう時に、自分の都合を優先させるとどうもうまくいかない。過去の経験から学んでいる。逸る気持ちや利己心を抑えて、行動の妨げになると思える相手(もしくは事柄)と向き合い、ペースダウンしてじっくり付き合ってみると、これが思ったよりもうまくいく。誰かと一緒に遠回りをしたほうが、我が道を足早に行くよりも結局は早く目的地に着いた、とでもいうような結果をもたらすのである。

 「駅でばったり出会うなんてあることじゃないし、じゃあ、行こうか」

 私は再び野毛山に向かうことになった。

 








 野毛は歴史のある街である。広重の浮世絵の時代から描かれている。(今では横浜といえば・・のあの)関内でさえ、まだ海の底だという江戸の昔から、堂々と、宿場町から見渡せる野毛山が描かれている。「横浜今昔散歩」によると、江戸前期の横浜は、野毛と山手の山に囲まれた釣り鐘状の入り海だったそうだ。




※図解で解る横浜の今昔。面白かったです。



 三吉演芸場で母と別れたあと、父と一緒に野毛山へと向かう。・・・と思いきや、父は私が写真を撮っている間に、さっさと先に歩いて見えなくなってしまった。今どこよ? 携帯に電話をかけると、

 「目的地は野毛山だから」

 と・・・。どの道から来ても構わない、写真を撮ろうがゲームをしようが好きに散歩してきな、と言わんばかりに言い放つ。ゆっくり来なよ、野毛山で待っているよ、と。

 ならば、と私は写真を撮りながら、イングレスをしながら紆余曲折して(この場合は本当に歩く道が曲がりくねっていたという意味)、野毛山にたどり着いた。動物園に行く前にまずは頂の公園へ行って写真を撮るのだ。前回訪れた時は夜だったので、あまり良く見られなかった野毛山配水池と近代水道の父、ヘンリー・スペンサー・パーマーの胸像もじっくり見る。ちなみに、野毛山の配水池は老朽化のため1995年に施設としての役割を終えている。新しく移行された現在の配水池は、野毛山芝生広場の地下に設置されているのだそうだ。







 
 現在の横浜の景色を堪能して、動物園前に行くと、父の姿は見えぬ。あたりをウロウロしてから電話をすると、「着いたか? 今どこ?」

 「ライオンのとこ」とつい口から出た。ちなみに、本物のライオンではなくて、入口傍の募金箱のあるライオンの像の前にいたのだが・・

 「じゃあライオンのところへ行くから」と父。
 「ああ、じゃあ私も(本物の)ライオンのところに行くね」
 とライオンで集合が成立する。何十年ぶりかの、懐かしい親子ライオン対面となった。













 その後は、順調に野毛山動物園を一周して、親子散歩は終了。帰りはまた母を迎えに三吉演芸場に向かうのだ。で、またしても父はいつの間にか消えていて、ああ、じゃあ目的地の三吉演芸場に集合なんだろうな、と勝手に了解して歩いて行ったら、意外にも後で残念がられてしまった。

 ウィンズ横浜で、人生の敗残者の群れを見せたかったのだそうだ。彼らを眺めながら親子でお茶を飲みたかったのだとか。何のこっちゃ。何の教訓を垂れたかったのだか。いやいや、父と母が亡き後、そういう群れの一人には決してならないように、くれぐれも身を引き締めて生きていきたい、と思う。


 野毛から三吉演芸場までは昭和風の商店街を幾つも超えていく。芝居さえ見られれば幸せ、という母と、要のところ以外はご自由にどうぞ、という随所随所に自由なスタンスの父のおかげで、親子散歩を楽しみながら、私のレベルアップのカウントダウンは順調に進んでいた。心の余裕も出来たので、和菓子屋、下駄屋、包丁問屋、・・・と昭和の商店を面白おかしく眺めて、意外に感じている。こういう店は閑散としているかと思ったら、この芝居小屋が文化の町では、案外活気づいているのである。

 ふぅん。意外なものだ。浅草もそういえばそうだったな・・

 大衆演劇は、明治以降、政府公認の歌舞伎とは大きく一線を隔てられてしまったが、それでもこの現代、その改革派の旅役者の芸を見られる場所は限られている。浅草同様、三吉演芸場のあるこの町は、とても貴重な場所なのである。

 ならば、この独特の習わし、(今では伝統とも呼べるもの)を生かした古き店たちを応援してもいいのではないか? 芝居を見終わって、満面の笑みで演芸場から出てきた母と、その母を野毛動物園で待っている年老いた父と。彼らと一緒に並びながら、劇団の役者さん・・・ 帰る客たちを見送るために出てきた・・ 彼らの華やかな笑顔を眩しく眺めて。まだ若い彼らでさえ、この町にこれだけの貢献をして、その伝統を支えて生きているのだから。

 








 本当はそんな立派なことを考えたか知らぬ。
 ただ、ふいに、昭和風の商店街が愛しくなって、次から次へとポータル申請をしていったというだけの話である。

 敵が企業興しならば、こちらは文化興しである。いや、そういった経済への貢献もあるということ。その道を選ぶことこそが、レジスタンスの名にふさわしいような気がしたというだけの話である。

 見てろよ、未来のローソンたち。なんて、笑。





 伊勢佐木町は冬の装い。関内も山下もイルミネーション。

 私のレベルアップまで、あとポータル5つ。カウントダウンをしながら横浜の夜を一人歩く。
 商店街の蕎麦屋で食事をしたあと、父と母は二人で帰っていったのだ。その後ろ姿を、私は随分感慨深い思いで見つめたものだ。あと何回、こういう姿を見れるだろうかと。そしていくら深く愛着を覚えようと、その彼らも、ただこの宇宙で偶然出会った魂に過ぎぬと。

 カウントダウン。ラスト1。最後のひとつは、これも、偶然なのだろうか。神奈川県庁の前に立った。
 「キング」※のやつを獲れば、上がりである。

 

 ※神奈川県庁の建築はキングと呼ばれている。










 長く感じた一日だった。最後に、ポータルとポータルを繋ぐように歩いて、横浜開港の道・山下臨港線プロムナードの陸橋の上に立った。(開港の道は、桜木町を起点に山下公園、港の見える丘公園まで続く遊歩道になっている) この夜はどうしたことか、それともいつもなのか、・・あれはベイブリッジではないようだった・・ まるで港から天へと繋がる滑走路のように、ポータルとポータルを繋ぐラインが長く伸びて輝いているのだ。なんとその綺麗なことか。美しい青い星々に見とれながら、港の帳をどこまでも歩いていく。

















 ☆おまけ☆

 野毛山ソフトは美味しいですヽ(´▽`)/





 ライオンさん、また来ますね!



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