望郷ツアー鶴見編 祭りの夜の夢を訪ねて




 年に一度の姉との望郷ツアーシリーズ第2弾、

 今年の夏は母の田舎、鶴見散策に出かけました。


 ちなみに、最近読者になっていただいた方のために軽く説明すると、

 去年は、姉と私が子供の頃に住んでいた東逗子を、20年ぶりくらいに訪問しました。


 今回はその思い出の続きです。

 東逗子に住んでいた当時、姉と私と母は須賀線で横浜に出て、

 横浜から京浜東北線に乗って鶴見まで、よく里帰りをしたものです。

 (正確に言うと、母の里帰りに付き合ったものです)

 特に夏のお祭りの頃― 潮田神社例大祭の6月になると、祭り好きの母は必ず

 待ってましたとばかりに里帰りをしました。

 母は6人兄弟でしたので、兄弟それぞれが子供を連れて帰省すると、

 けっこうな賑わいになりました。

 当時おばあちゃんは鶴見の家にひとり暮らし、日頃寂しいおばあちゃんの家は、

 祭りの時だけは里帰りの親族が溢れてぎゅうぎゅうです。

 昼間の神輿や山車や盆踊りが終わったあとも、夜遅くまで兄弟でお酒を飲んだり、

 花札をしたり、祭りの宴が続いたものでした。


 
 おばあちゃんの家があった土地は、今は人手に渡って

 親族の誰も住んでいません。

 ほんの1年前、おじちゃんが売ってしまいました。

 おじちゃんは、お嫁に行った娘さんとその旦那さんと、一緒に住むことになったそうです。

 母たち兄弟には事前に何の相談もありませんでした。


 
 子供の頃出かけたあの懐かしい家は、建て替えて、とうになくなっていました。
 
 そして去年、ついに土地も人手に渡ってしまった。

 女手一人で6人兄弟を育てたおばあちゃんが、どうしても手放すまいと守り抜いたあの場所、

 おじいちゃんとの思い出の家も、土地も、もうありませんが、

 姉と私の記憶の中で、鶴見の田舎― 母の田舎でありおばあちゃんの家があった場所は

 とても懐かしいところです。

 こちらも20年ぶりくらいになるのでしょうか。その鶴見へ、姉と2人で久々の訪問をしたのです。

 

 まずは横浜駅、京浜東北線のホームの一番後ろで集合です。



姉発見

久々だね!



 姉は結婚して子供もいて忙しい身なので、2人きりで会うという機会もなかなかありません。
 
 (昔はよく横浜で待ち合わせてショッピングや食事をしたものです)

 去年の東逗子ツアーぶりです。

 このツアーは、なので、姉と私の子供時分の記憶を巡るノスタルジックツアーであると共に、

 姉と私の年に一度のデートでもあるという、

 そう、姉という友をなくした私の青春時代のノスタルジックツアーも兼ねているのですね。

 家族や仕事や様々なものから許され与えれた貴重な1日! ぜひ楽しみたいと思います。


 さて、近況をマシンガントークで報告し合ううちにあっという間に鶴見に到着です。

 横浜の京浜東北線のホームは横浜線も乗り入れるので、子供の頃は間違えて

 横浜線に乗り、戻るにもなかなか電車が来なくて、不安になったこともあったそうです。

 (私は記憶がありません、姉と2人で訪れた時だそう)

 鶴見に行く、ということはとても大きなプロジェクトでした。

 が、この年になるとさすがにそんなへまもありません。あっけないくらい無事到着。

 恒例の記念撮影です。



きたよ~鶴見


線路がいっぱい 昔はこの辺に黒い電車が?

鶴見線、いまだ健在


 鶴見駅のプラットホームに降り立って、構内の階段を上ると、目に付くのが鶴見線です。

 鶴見線の黒い電車が子供心に怖かった、と姉。

 母と3人で、夜に鶴見駅に到着すると、いつもホームに黒い車両が止まっていたそうです。

 チョコレート色の電車と言われた1両編成のクモハ12でしょう。(下の写真)



クモハ12の車両 「鶴見線入門」より クリックでサイトへ



 鶴見線は、鶴見から扇町まで、横浜・川崎市内の京浜工業地帯を走る短い路線で、

 主に、工場の従業員が通勤に使用しています。

 京浜工業地帯には、かつて日本の産業そのものだった重厚長大型産業、

 鋼鉄、造船、電機、ガラス等の工場群が広がっており、

 大正2年に、民間資本によって、鶴見区東南の東京湾の百数十万坪が埋め立てられ、

 多くの工場が誘致されたことから始まりました。

 戦後に繁栄した工業地帯のピークは昭和40年代前半だそうです。

 48年のオイルショックによって下請けの中小企業が倒産の憂き目にあい、

 京浜工業地帯も陰りを見せ始めました。
 
 
 工業地帯と共に栄えた鶴見本町通の商店街も、その頃から徐々に停滞し始めました。

 おばあちゃんちのすぐ傍の商店街です。母と私たちが主に里帰りしていたのは、

 ちょうどオイルショックの前後なので、隆盛の時代の最後の輝きを、手放すまいと

 必死で追っていた時期でしょうか。


 また、鶴見の町の中心部からは、港の工場の背の高いクレーン

 (あのキリンによく似たやつ)が容易に見られます。

 この日も、鶴見駅から私たちが住んでいた本町通に向かう潮風大通りの途中で、

 道の先に、3台の大型のキリンが見渡せました。

 町中に浮かび上がるキリンは、怪獣映画や戦隊ものに出てきそうなサイズで、
 
 ちょっぴり不気味です。今にもゴジラか大型ロボットみたいに動き出して、

 昭和の陰りの残る工業地帯の町をぺしゃんこにしてしまいそうな存在感を示していました。

 姉は大きな物体に対する恐怖症があるそうで、夜の鶴見線同様、

 こちらも怖いとのたまっていましたが。


 

鶴見線をパチリ。
今は小奇麗な車両です。

 鶴見線の反対側には駅ビルが続いています。(現在はシャル鶴見)
 
 昔よくこの駅ビルで、おばあちゃんへのお土産の「ハーバー」を買いました。

 ありあけという会社の船の形を模した焼き菓子で、横浜銘菓として有名でした。



駅ビルのありあけのハーバー売り場

 駅ビルを出るとすぐにバスロータリーがあります。

 母に(歩くのはやだから)バスに乗せてとせがんで、大抵はバスに乗りました。

 鶴見駅から潮田町2丁目のバス停まで徒歩で2km、15分程度の距離ですが、

 子供の頃はとても遠く感じたのですね。

 ロータリーのど真ん中に獅子頭共用栓を発見しました。

 近代水道の始まりである英国製の共用栓、横浜開港とともに敷かれ、

 隆盛期は600あまりの共用栓があったそうですが、現在残っているのは僅かだそうです。

 駅前の貴重な一個を潰せなかったのでしょうね。こちらも記念に撮ってきました。






 下の写真はバス通り(潮風大通り)に続く駅前の道です。

 京急鶴見駅の前に広がる駅前商店街を通らずに、かつて里帰りの時に乗ったバスが

 走る道を歩いて行きました。潮鶴橋を渡って、潮田町から本町通3丁目を目指します。

 (おばあちゃんの家は3丁目にありました)


 ちなみに、駅前商店街は、鶴見銀座商店街と呼ばれていて、こちらを行くと、

 第一京浜の国道から、潮見橋を渡って、本町通の1丁目にたどり着きます。





 「鶴見いちご地下路」なるものを発見。近道と地下道をかけているのでしょうか。

 昔はこんなのなかったなぁ。






 いちご地下路からまた地上に出て、潮鶴橋から鶴見川を渡る前あたりです。

 エジプトの遺跡っぽい妙な大きめの石のオブジェが多数あります。

 (下の写真もその一つ、比較的小さいもの)



鶴見川と潮鶴橋をバックに


潮鶴橋の上で 
(後ろに潮見橋が見えています)

 潮田町2丁目のバス停あたり。歩道橋の先に生花店があります。

 金子生花店さんです。こちらでおじいちゃんにお供えする菊の花をよく買いました。

 



 

 金子生花店さん、外観はずいぶん変わりましたが、「花」の文字は一緒です。

 おかげで、(当時と全く変わらなく感じて)懐かしさ倍増です。確か、当時は白い看板に

 黒い毛筆体の文字で書かれていたと記憶しています。

 「花」の書体にこだわりを感じます。恐らく先代の書体ではないかと想像します。

 代は変わっても、花屋を開いた先代(初代?)の文字を受け継いでいる、

 といったところでしょうか。


 金子生花店さんから100m程進んで、次は潮田神社入口の交差点を

 本町通方面に曲がります。すぐに真宗大谷派の明正寺さんが現れます。







 鶴見の町の花である百日紅が綺麗に咲いていました。お参りをしようと門をくぐると、

 境内の右手の茂みには飛び回るスズメの群れ、セミが3匹しきりに鳴き、

 アオスジアゲハが2頭、悠々と泳ぐように飛んでいきます。

 門を隔てて途端の騒々しさに驚かされます。ここだけは、別世界です。

 昭和の高度経済成長や、工業地帯と繁栄を共にした町の名残も、

 綺麗に整備された、少し無機質な近代の街の印象とも離れて、

 静寂の中、生き物たちが夏を謳歌しています。彼らはいるべき場所を心得ているようです。


 明正寺さんの前にはいろは食堂さんがあります。ここで食事を取りたかったのですが、

 残念ながらお休みでした。

 幼い頃の祭りの夜、もしくは翌日のお昼に、いろは食堂さんのラーメンを食べたものです。

 おばあちゃんが大好きで、よく出前を取ってくれました。いろはのラーメンは美味しい、

 美味しいと、呪文のように聞かされました。

 姉の記憶では、普通のラーメンではなくて、タンメンだそう。

 「いろはのタンメンは美味しかったねぇ」 

 残念そうにつぶやきます。おばあちゃんの呪文がまだ効いているのですね。

 営業はしているのでしょうか。いろはのおじさんとおばさんは元気でしょうか。

 食べたかったなぁ。

 



 いろはさんの前をまっすぐ歩くと、おばあちゃんの家(があったところ)に到着です。

 母と私と姉は夜に鶴見に着いて、バスに揺られて、金子生花店でおじいちゃんの

 菊の花を買って、店じまいしたいろはさんの前を通って、銭湯の隣の床屋さんの、

 その横手の路地を、3m程歩いて、おばあちゃんの家の扉を開けました。「こんばんは」

 いつもお線香と油が混じりあったような独特の匂いがしたものです。

 当時、おばあちゃんの家の、道に面した区画が床屋さんだったのですね。

 その昔は、若いおじいちゃんとおばあちゃんが花屋さんを営んでいたところです。

 おじいちゃんは戦争がそろそろ始まろうとしていた頃に、誰も花など買わない(買う余裕のない)

 暗雲の時代に、わざわざ花屋の商売を始めたと聞きました。

 今は新しい住宅が建っていますが、その横手を覗いてみると、ほんの少しだけ、

 舗装された住宅脇の空間に、当時の路地の面影が残っているようでした。



 

当時の床屋さんは今は移転しています


 昔はこの辺はたくさんの路地がありました。路地を通って本町通商店街に遊びに行くのが

 楽しみでした。もちろん、もらったばかりのお小遣いを握りしめて行くのですね。

 下の写真、古い住宅がいまだ立ち並ぶ一角の貴重な路地で猫を見つけました。


すりすりしてきます

かぎしっぽの野良でした


 下の写真はお祭りの神輿と山車が出た自治会の事務所です。ここが出発地点でした。

 こちらも今は新しい建物になっています。

 (恐らく左のシャッターの奥に神輿が入っていると思われる)






 失われた路地を求めて、住宅の隙間を撮ってみました。(下の写真)

 この辺りの本町通りに通じる路地から、いつもパンを焼いているいい匂いがしたものです。

 木村屋パン屋さんのパンの工場の匂い、残念ながら木村屋さんも今日は定休でした。



木村屋古田のパン屋さん(看板)、久しぶりに食べたかった

本町4丁目交差点あたり


 本町4丁目の交差点に「たまや」というおもちゃ屋さんがあります。

 懐かしいですね。当時のままでした。お小遣いを握りしめて向かうのは、

 大抵たまやさんです。たまやにはたくさんの種類のリカちゃん人形が置いてあって、

 あれもこれも欲しかったのですね。お小遣いが足りないときは見るだけで満足していました。







 このたまやさん、今でも多くのおもちゃの在庫を抱えています。

 中にはずいぶん古いものもあり、コレクターが見たら喜ぶようなレアなおもちゃも

 あるのではないか、と思いました。

 


  ちなみに、このたまやさん、私にとってはリカちゃん人形の思い出ばかりが鮮明ですが、

 帰宅してから母に訊ねたら、「お祭りの提灯、置いていた?」と。

 昔はお祭りに使う提灯をずらりと並べて売っていたのだそうです。

 商店街の町並みや屋台や神輿の提灯が店に満ちて、それはいい風情だったそう。

 (あれだけあったんだから)「今でもあるでしょうね、提灯」

 母は懐かしそうに、確信を持って、そう言うのですが、あったでしょうか。

 覚えていません。子供の時の当時ですら記憶にありません。

 よく見てくればよかったです。「あったよ!」と頷いてあげたかった。




 たまやさんを通り過ぎて、今度は島津書店さんへ向かいます。

 ここは、私が確か小学生の時だったでしょうか、生まれて初めて文庫本を買った

 本屋さんです。夏目漱石の「吾輩は猫である」、分厚いその文庫本を買って、

 大切に、頁をめくって読みました。

 (今でも持っています、悲しい事があったときは大抵この本を読んで笑います)


 島津書店さんの中はまったく変わっていませんでした。たまやさんと同じく、

 昭和40年代~50年代で時間が止まっているようです。


 


 当時と同じ「吾輩は猫である」を買おうと思ったら、売り切れていました。

 この機会に、新しい1冊に買い換えたかったのですが。同じ漱石ということで、

 1冊だけ残っていた漱石の文庫本、「硝子戸の中」というエッセイを買いました。






 店主のおばあちゃん、「いらっしゃいませ!」、「ありがとうございます」

 と元気に声をかけてくださいます。本屋の主人って無愛想な人が多いのですが、

 珍しいです。お年は85歳だそうです。毎日元気でお店に立っています。

 娘さん3人を国立大学に行かせたそう。本屋の子供だけあって? みんな頭がいいのですね。







 呉服の丸星さんの入口にお祭りの写真がたくさん飾ってありました。

 懐かしくてつい見入ります。赤ちゃん用の「子供じんべい」も可愛かったです。



(じんべいを)猫に着せようかな、と姉

 本町通3丁目から1丁目に向かって歩いていると、右手に本町観音がありました。

 本町2丁目に40年住んでいるというおじさんが観音様の前で休憩していて、

 「写真撮ってよ」

 




 沖縄県の生まれだそうです。休憩しなよ、と缶コーヒーを買いに行ってくれました。

ご馳走になった缶コーヒー


 
 おじさんは私たちに向かって、沖縄弁を混じえて歌うように言い続けます。

 「人間は素直で誠実なのが一番」

 「腹黒いのはダメ~」

 また、始終にこにこして、「なんくるないさ~」といった調子。(こちらは言ってませんが)


 本町観音のお参りを終え、世間話が一通り終了すると、

 潮田神社は行った? 行ってない? 

 じゃー行ったほうがいいよ、ちょっと遠いけど。案内してやるよ、

 と自転車を漕ぎ始めました。



本町観音から潮田神社に向かう一同

潮田神社到着

 おじさんは、潮田神社に到着すると、「じゃあ!」とあっさり帰っていきます。

 私と姉は顔を見合わせて、「導かれたね」

 「そうかな?」

 「そうだよ」

 おじさんに会わなかったら、潮田神社まで足を伸ばしませんでした。


 潮田神社は鶴見区の最大のお祭り、潮田神社例大祭の拠点です。ここから毎年

 各町内会の多数の神輿が出陣し、町内や神社付近を練り歩きます。

 そう、母と姉と私が帰省した、あの例のお祭りですね。

 来られて良かった。よくここを見ないで帰る気になれたものです。


 



見覚えがないと思ったら、30年ほど前に社殿を造営したそうです




 神社の隣には潮田公園があり、この公園で行われる盆踊り大会も記憶にあります。

 母は幼い頃から日本舞踊を習っていて、踊りが大好きだったので、

 こちらもよく連れて来てくれました。





潮田公園 盆踊りの櫓が残っていました




 千と千尋みたいな古めかしい銭湯を見つけました。今時珍しい木造です。


残念ながら定休日です


 かつておばあちゃんちの真横が銭湯だった、という話はしましたっけ?

 おばあちゃんちと銭湯は、だから記憶の中でセットになっているんですね。

 鶴見に来る前から、銭湯に入って帰りたいなぁ、と思っていました。 

 事前にこちら(下のリンク先)を見て、本町通の「潮田湯」さんに目星をつけていました。


 ※潮田湯 (横浜市鶴見区本町通) [銭湯]  


 来るときに潮田湯さんの場所はチェックしたので、一番最後に寄るとして、

 とりあえずは本町通に戻ります。そろそろお昼を回って、お腹が空いてきました。

 いろは食堂さん、昔は午後から店を開けることが多かったので、

 もしかしたら空いていないかな、ともう一度店の前まで行ってみました。

 が、やはりシャッターは締まったままです。今度の今度こそ諦めて、

 来た時と同じように、おばあちゃんちの前を通って本町通へ向かいます。



かつて銭湯だった場所はいま空き地です

おばあちゃんちの前の通り 正面のマンションのところ、
当時は本町通に続く路地だったのだけれど・・

振り向くと、さっきのお寺(明正寺)さんが
見えます


 本町通では傘とはきもののお店を見つけました。浜田屋さんです。

 この店かは覚えていませんが、昔お祭りの時に、母に下駄を買ってもらいました。

 舞妓さんが履くような底の厚いものです。歩くとぽくぽく音が鳴るので、心が弾んで

 嬉しかった。下駄の音を響かせながら、夜の本町通を母と姉とで、手を繋いで歩きました。

 (実際は手は繋いでいないかもしれません。そういう祭りの夜のイメージが残っているだけです)


 そこで、記念に当時のような下駄を買おうと、ショーウィンドーを探します。





ちょっと違うけど近いかな?

後ろに鼻緒が

 浜田屋のおばあちゃん― 鶴見本町通の店員さんは、島津書店さん、たまやさん、

 浜田屋さん、とおばあちゃんばかりです。店は昭和の当時のまま、お客さんの対象も、

 当時のまま、年を老いた私たちと、もっともっとその上の、私の母の世代です。


 懐かしくて、タイムスリップした感じがいいのですけど、もう少しどうにかしないと、

 商店街として生き残れるのか疑問を感じました。定休日ばかりなのも気になります。

 「土日開けないでいつ開けるのよね?」と姉。

 
 私には趣味でお店を営んでいるように見えました。おじいちゃん、おばあちゃんたち、

 そもそもいっぱい売る気なんてありません。

 だから日本の商店街は廃れたのか。これでは大型店との競争に敵うはずもないけど。


 でも、なんて言いながら、小気味いいくらいに予想を裏切ってくれる浜田屋のおばあちゃん、

 やる気なさそうな割に、意外とやり手なんです。

 
 希望の下駄ではなかったのですが、つい買ってしまいました。

 「これ一足しかないから、お安くしますよ。清水の舞台から飛び降りたつもりで・・」

 (値札の5200円をじっと見る)

 「清水の舞台から飛び降りたつもりで・・」

 (この間に木目の下駄も勧めてくる)

 「千円・・」

 (私)「え?千円ですか?」

 (おばあちゃん)「千円まけます・・」


 ですよね。千円もまけてくれるなら安いし買おうか、とさっさと買ってしまいましたが、

 後から思うと、完璧に値下げ交渉に負けた感があります。

 おじいちゃんとおばあちゃんは、ああのらりくらりと見せかけてかなり強者なのかもしれない。

 私はふと、七人の侍、という映画の、百姓を思い出してしまいました。

 映画の中で、誇り高い七人の武士は(村と百姓を守るために)ぼろぼろ死んでいくのですが、

 弱者として虐げられながら、頭を下げながら、武士を利用して、百姓たちはしたたかに

 生き抜いていく、という物語です) 


 商人と農民じゃ話が違うのでしょうけど、いや、今のグローバル企業とか言うのは、

 あれは完璧に武士(ソルジャー)の方ですよね。もう商人の域は超えていますよね。

 だったら、農民型の商人もありかな、と。

 おじいちゃんとおばあちゃんのしたたかな商売、そういう日本の(意外とやり手な)ビジネス、

 いや、どこまで通用するのか、ぜひ期待しています。

 


では、悩んでるふうで、と
私のポーズを指示するおばあちゃん
(買うのを告げたあとなのに)
裏の木の部分にき、き、き、と
ハンコが押してります
(木製だから?謎)


 下駄を買ったあとはやっとご飯です。そば処長寿庵さんで一休み。

 こちらも古そうな店です。平日だし、人通りも少なかったし、ありがちなガラガラかと思ったら、

 意外とお客さんが入って来て、食べ終わって出る頃には満席に近かった。

 お味の方は、お蕎麦屋だというのに、いろは食堂のラーメンの未練もあって、

 タンメンを頼んでしまい、そのせいでしょうか、決して、非常に美味しいとは
 
 言えませんでしたが、いや、普通に美味しかったです。






こちらもタイムスリップ型のお店
レア物の懐かしい洋服がいっぱいです



 本町通1丁目の商店を過ぎるとすぐに潮見橋にぶつかります。(写真下)

 ここを渡ると、もう鶴見の町とはお別れ。母と姉と私は、祭りを終えて帰るだけでした。

 そのせいか、幸福な記憶の場所と、現実の場所との境目の象徴として、

 この潮見橋は、大人になってからもよく夢に現れました。時々、人生を辛く感じる夜に、

 鶴見の祭りの夢を見るのです。

 そこは彼岸(夢)と此岸(うつつ)のまるで境みたいに。

 黄泉の国に沈むみたいに。神輿や山車に乗った私は、この橋を渡れません。

 閉じ込められて、夢の中で、どこにも行き着けない私は、祭りのために戻ってきた人たちと

 一緒に、本町通を練り歩いているのです。





鶴見川を見つめて

 
 
 おじいちゃんと、おばあちゃんは、元気でやっているでしょうか。

 もう二度と鶴見本町通に来ることはないかもしれません。

 ここにはもうおばあちゃんの家は何も残っていないのですから。


 「それでも魂はまだこのあたりにあるのかな?」と私。

 「もうとっくに天国に行っちゃってるんじゃない?」と姉。



幼い頃のお祭りの写真


おじいちゃん 出征の時でしょうか
(かつて花屋だったお店の前で)


 本町通一丁目から引き戻して、目星をつけていた潮田湯に行きました。

 営業は15時からだというので(その時14時半でした)、本町観音の前で

 おしゃべりして時間を潰します。カルピスソーダを飲みました。

 なんとなくカルピスが懐かしい。(ソーダの方だけど)

 ノスタルジックツアーなので、子供の頃を思い出して。


本町通2-50の潮田湯さんへ まだ閉まってます

カルピスソーダで休憩

 散々とりとめもないことを話したあと、16時過ぎに潮田湯さんへ向かいました。

 造りは近代的?なコンクリート仕立てですが、中身にあるものはけっこうレトロです。

 番台風のフロントにマッサージチェアに体重計。牛乳石鹸を100円で購入。ケロリンの桶。

 富士山の絵もあれば完璧でしたが、やっぱり造りは近代的?なステンドグラス風に

 鮮やかな暖色系のタイルです。





牛乳石鹸100円とタオル200円 牛乳石鹸はレアな赤箱


 いい湯でした。さっぱりして気分爽快。やはり古い町に銭湯はよく似合います。

 この銭湯文化はいつまでも続いて欲しいものです。


 姉と私は潮見橋を渡って帰りました。

 駅ビルのシャルで鶴見カレーパンとマンゴジュースを飲んで。駅前のサルビアホールで

 開催中の「本当のフクシマ写真展」を見て。署名をして。

 懐かしい旅は終わり。現実を噛み締めながら帰途につきます。







 さようなら。おじいちゃん、おばあちゃん。

 ありがとう、姉。また来年の夏に会いましょう。








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