夜明け前の福島旅行編② ~猪苗代湖から喜多方へ~
ひと月近く経って思い出すのは、やはりあの福島の大晦日の夜の不思議のこと、心の中に据えられた小さな灯火のような思いのことです。
ともすればそれは吹きとび、消えてしまいそうでありながら、決して心の中心から離れることはありませんでした。
この思いが愛から来るのか、義務から来ているのか、今でも疑問ですが、今となっては、こうして何事もなく旅日記を書けるのもすべて、あの温かい灯火のおかげ― 感謝せずにはいられません。
福島旅行2日めは受難の連続でした。猪苗代湖の駅レンタカーで、今回の旅の相棒の軽自動車に乗り込んだあたりからそれは始まりました。
まず、とても大きな問題として、私には車のカーナビがさっぱり使いこなせなかったのです。
私はもう2年近くもカーナビを使っていませんでした。最近スマートフォンでのナビに慣れきっていました。「独自路線」の車のカーナビの、なんと原始的なことでしょう。場所名だけでは目的地をはじき出してくれません。仕方なく電話番号を調べて、目的地を登録したつもりが、おそらくその目的地が判断できかねたのでしょう、今度は代表の町役場に着いてしまって驚いてしまいました。
いちいち住所を調べる(もしくは旅行前に記載してあったメモを見る)ことの手間といったらありませんでした。地図も詳細すぎて方向がわかりづらいため、広域すると、今度は出発地点(現在地)や目的地が画面から消えてしまい、正しく表示させるのに苦労しました。2年前まで当たり前に使っていたものが、こうも不便に感じるとは意外でした。
あまりにイライラしたので、私はスマートフォンのナビを見ながら、ホンダを走らせました。そうしたら、あっという間に予備の電池の残量まで減ってしまいました。それでまた軽いパニックに陥りました。スマートフォンの中には旅に必要なデータがたくさん入っていたのです。これが見れなくなったら、シャレになりませんでした。
次に、ホンダはノーマルタイヤでしたので、次第に強く降り始めた雪が心にのしかかりました。のちに高速道路を走るとき、この思いは最高潮に達します。雪のために思いがけずハンドルを取られるため、私はできる限り運転席のシートを前に出し、浅く腰掛けて、背筋を伸ばして、両手でしっかりとハンドルを握り締めて走り続けました。
それから、パニックしながらやっとたどり着いたタロカフェ(TARO CAFE)さんが定休日でした。
タロカフェさんは猪苗代湖と磐梯山の絶景を見渡せる人気のカフェで、スイーツもとても美味しいそうです。越後街道(国道49号)沿いにある店ですので、すぐにわかるだろうと(その頃はまだ)割と気楽にホンダを走らせていましたが、駐車場と別のカフェの後方に少し奥まっているため、意外とわかりづらいのでした。うっかり見落として、越後街道近辺を3往復程ぐるぐると回りました。
タロカフェさんの前で、吹雪で真っ白の猪苗代湖を見つめて、途方に暮れます。
このあと喜多方に行く予定でしたが、このまま猪苗代湖を後にするのも残念でした。どうせタロカフェさんが開いていても、これでは何も見えなかったことでしょう。それでも、私は切実に休息のひと時を求めていました。このままでは猪苗代湖の良さを伝えることもできません。今にも切れそうな携帯の電池のことも、雪のことも、気がかりでした。
最後の力を振り絞るかのような消灯寸前のGoogleマップを見つめます。猪苗代湖畔(志田浜)のすぐ近くに「猪苗代湖の白鳥およびその渡来地」との記載があり、白鳥に出会えないものかと漠然と思いました。私は白鳥が好きでしたので、せめてその姿が見たくなったのです。
志田浜は湖水浴場としても有名で、駐車場の周りにはレストランやホテル、軽食の販売所、キャンプ場もあり、一年を通して多くの観光客・家族連れ・カップルたちが訪れます。また、志田浜からは会津磐梯山もよく見え、景勝地としても知られています。
私はこの志田浜で、この日初めての休息と、穏やかなひと時をやっと得ることができたのでした。
タロカフェさんの前で途方に暮れます |
志田浜のレイクサイド磐光 本来ならこの向こうに磐梯山が・・ |
猪苗代湖に向かって鴨の行進 白鳥が見当たりません |
白鳥に会えずまた傷心です レイクサイド磐光ホテルの食堂で 普通のカレーを食べました |
車から降りると吹雪にさらされて、すぐに頭や服が雪で真っ白になりました。志田浜の駐車場に車を止めて、レイクサイド磐光のレストランに駆け込みます。
窓から猪苗代湖が見えましたが、鴨ばかりで白鳥は見当たりませんでした。私はまたしてもがっかりして、ふとギャグみたいだなぁと思いました。運のないことが続くと、まるで喜劇のネタみたいに思えてくるのでした。
食堂でせめて福島らしい食べ物を摂りたく思いましたが、喜多方ラーメンはこのあと本場で食べる予定です。結局、消去法で無難なカレーライスを食べて、そうしながら窓の外の猪苗代湖を見つめます。
温かいラーメンにすれば良かった。この雪だと、喜多方まで走るのはしんどいでしょう。ラーメン屋さんもすべて閉まっているかもしれません。試しに目的の1軒に電話をかけたら、今日は休みとのことでした。このまま今夜の宿である郡山のホテルに行って、大晦日の夜をのんびりと過ごしたくなりました。天気予報は明日も雪です。はたして、初日の出が見れるものでしょうか。
福島の旅の目的すら見失いかけた時に、思いがけず、私は窓の外に白鳥を見つけました。驚いて立ち上がりました。鴨の群れの中に一羽だけ泳いでいます。急いでカメラを持って雪の中に飛び出していきました。
雪の向こうに白鳥が一羽だけ見えました (良かったら拡大してみてください) |
近寄ってみます 駆け足で逃げていってしまいます |
遠くから写真に撮ります 食事の邪魔をしてしまいました |
佐藤氏の勧めで、着雪した木々を撮りに行きます |
途中、ホンダが動かくなってしまいました |
磐梯山の絶景スポットのはずですが、何も見えません |
雪まみれで戻ってくると、レストランの職員のご婦人に声をかけられました。
「白鳥がいたもので」と答えると、少し意外そうな顔をして、(食事をしに)出かけているでしょうとおっしゃられました。「白鳥がいるよ!」後ろの席の少年が叫びます。「ほら、あそこにいるよ」。「あら、ほんとだ。見れて良かったね」と母親と笑い合っています。
磐梯山は雪景色の彼方です。相変わらずの降りですが、少なくとも、白鳥の姿を見れて、今ここにいる意味を見いだせました。お腹もいっぱいになり、充分休んで、この間にスマートフォンの充電も出来ました。私は元気を取り戻して、レストランの中を歩き回って、土産品を眺める心の余裕ができました。
お土産屋さんの一角で、関都の写真家で町議会議員の佐藤悦夫氏の写真を展示していました。福島の自然の、見事な写真ばかりでしたので、ゆっくりと眺めて、楽しませていただきました。
ちょうどご本人がいらっしゃって、貴重なお話を色々とお伺いすることができました。
「今、撮るなら、木がいいよ。今なら、いい具合に着雪しているから、チャンスですよ」
時間が経つと凍ってしまってあまり美しくないそうです。それで、私はレイクサイド磐光をあとにして、木々を撮りに出かけました。喜多方に向かう途中、田畑に木々のある林を見つけるたびに車を止めて、熱心に撮り始めるのでした。
・佐藤悦夫後援会
ところで、レイクサイド磐光は、国道49号沿い、猪苗代ICから10分程度のところにあります。芽吹きの春には湖畔を吹き抜ける爽やかな風を、夏は湖水浴にキャンプ、トレッキングを、秋は素晴らしい紅葉を楽しめることができると言います。季節を変えてまたぜひ訪れたいと思います。
今度こそ、会津磐梯山の勇姿と紺碧の猪苗代湖の景勝を目にしたいものです。
・レイクサイド磐光
・猪苗代観光協会公式サイト
林を見つけると、ホンダを置き去りにして撮りに行きます |
着雪した木々 |
視界が悪くなってきました |
田んぼの向こうに小さな林と鳥居が見えました |
近づくと祠が |
正面に回ってみます |
正面の鳥居 |
木々の間に小さな祠が |
熊野宮神霊とあります 熊野信仰系の鎮守社のようでした |
振り向いて鳥居を出ると |
雪の中の私の足跡が続いています |
田んぼの雪 |
この日の受難の始まりだったカーナビの件に話を戻します。志田浜での休憩のあと、私はこの使えない(と私が思うところの)カーナビを全面的に信用することに決めました。いつまでもグーグルマップに頼るわけにはいきません。多少の不便は当たり前と思って、必要な情報を与え、カーナビが導き出すルートを忠実に進むことにしました。
猪苗代湖畔から喜多方のルートを検索すると、カーナビは高速道路を走るルートをはじき出しました。思わず眉をひそめます。私は免許を取ってから20年あまり、高速道路を走ったことがありませんでした。急ぐ必要がなかったことと、合流地点でうまく乗れるか自信がない・・というより怖かったこと、このふたつが大きな要因でした。幸い、カーナビは他のルートも提示してくれましたので、私は迷うことなく高速道路のルートを避けました。
夜が近いていました。この日の日没は16時39分でした。着雪の樹木を撮って満足した私は、今度は辺りが暗くなる前に、1枚でいいから列車の写真を撮りたいと思いました。
磐越西線の新潟~会津若松間はSLばんえつ物語号が走る区間で有名です。多くの鉄道ファンに愛されているスポットでした。出発前、愛好家のWebサイトで、喜多方~山都間でのSLやあいづライナーの写真を見ていました。素晴らしく撮られていたので、あんなふうに磐梯山を背景に列車を撮りたいものだと願っていたのです。
喜多方駅の近くに、濁川架橋がありました。私はそこでカメラを構えて列車を待ちました。日没が過ぎて、刻一刻と露出が厳しくなりました。頼む、来てくれ、と願いましたが、電車はなかなかやってきません。すっかり日が暮れて、断念しかけた時、ふと私は発想を変えてシャッタースピードを長くして撮ることを試みます。それでも列車は現れません。雪の濁川を見つめます。寒さのあまりぴょんぴょんと何度も足踏みしました。
限界でした。もうだめだ、早く温かい喜多方ラーメンを食べに行こうと断念した時、突然、喜多方駅方面から列車がやってきました。これには驚いて、慌ててシャッターを切ります。
何とか、列車らしきものが1枚撮れました。鉄道ファンが見たら首をかしげるような写真であるというのに、私は嬉しくて飛び上がらんばかりでした。あとは喜多方ラーメンを食べるだけです。こう冷えると、まさに夢に見る思いでした。1軒も空いていないかもしれませんが、その時は来る途中で見かけた夜10時まで営業しているという路面店に行くつもりでした。
今思うと、高速道路を使うべきだったのかもしれません。大急ぎで、車を止めてあった場所へ戻ると、相棒のホンダはピクリとも動きませんでした。それまでも何度か止まっていたので、またかと思って処置しましたが、今度ばかりはタイヤを押しても水をかけても、うんともすんとも動きません。
雪の夜の喜多方で、車の中に閉じ込められた私は、またしても、途方に暮れます。2012年の終わりが刻一刻と近づいていました。
濁川架橋で日暮れを迎えます |
やっと撮れた1枚 |
ホンダが動かなくなった原因はわかりませんでした。エンジンはかかっています。バッテリーが上がったわけではありません。運転席のマルチインフォメーションディスプレイを見ると、ハンドルマークの警告灯が黄色く点灯していました。説明書を取り出して調べると、エレクトリックパワーステアリング(EPS)警告灯とあります。点灯した時の処置をしても変わりがなかったので、ここで始めてレンタカーの代理店に電話を掛けました。
現状を伝えると、担当の郡山営業所から折り返しの電話がかかって来て、1時間半位でこちらに来るとのことでした。喜多方からどこに向かうところかと訊かれたので、この後は宿泊先の郡山に行く予定だと伝えてありました。動かないなら車を置いて行くしかない、というようなお返事をいただいたので、私はがっかりして、てっきり(車を置いて)一緒に郡山まで行くものかと思いました。
救助が来るまでの辛抱だ、それでも取りあえず安心した私は、空腹を思い出しました。まだ喜多方ラーメンを食べていなかったのです。夕暮れ時、一時止んでいた雪がまた降り始めていました。雪まみれの相棒に声を掛けて、私は一人歩いて喜多方駅へ行くことにしました。ごめんな・・
相棒のホンダが動かなくなったことで、ついに私の受難続きの旅はここでジ・エンド、明日替えの車を借りたとしても、もう初日の出を見に行くことはできません。せめて、喜多方ラーメンを食べて、絵を残さなくてはと思いました。まだ私は磐梯山も、猪苗代湖も、タロカフェさんも、福島の素晴らしさを誰かに紹介できるような絵を、何一つまともに撮れていなかったのです。
前回、サクラのいたユースホステルに泊まったお話をしました。その時、私は自分の道についてしみじみと考えさせられました。あのホステルのようなアマチュアの「ヒューマン」ではなくて、「プロ」にならなくては生き残りが厳しいだろうと実感させられたばかりです。プロならば、この受難続きの旅を楽しいものに変えて、さも温かな喜多方のラーメンの絵を撮ることでしょう。
「どうしました?」隣りの家のご主人が雪かきをしていました。夜道、雪まみれの姿にカメラと三脚を担いで歩いている私に声を掛けて、事情を話すと、言いました。
「車を見てあげましょう。困った時はお互い様ですよ」
2人でホンダのところへ戻りました。ところが、今度は車のキーがないのです。
「落としたならば、この雪では、埋もれてしまって出てきませんよ」
一緒に探しましたが、ついにキーは出てきません。この時、また郡山の営業所から電話があり、キーを落としたことを伝えると、ではスペアキーを持っていきましょうという話になりました。なんとも救われました。ホンダに荷物を残していなかったことも幸いしました。
隣のご主人にお礼を言って、今度こそ喜多方駅へ向かいます。方角はわかりましたが、少しでも近道をしたくて、Googleマップでナビすると、とんでもなく雪の積もったさみしい歩道を容赦なく歩かされました。両足ずぶ濡れで喜多方駅に辿り着きます。クリスマスイルミネーションで煌めいていました。
喜多方駅 |
喜多方駅にあった会津まほろば街道の絵地図 心に染みました |
喜多方駅 ストーブが暖かいです |
煌めく駅と対照的に、駅前周辺は消灯していて誰一人いないではありませんか。大晦日ということもあるのでしょう、それでもまだ18時半をまわったばかりでした。喜多方ラーメンは無理でも、何かしら店が開いているだろうと思った私は甘かったのでしょうか。またしても、プロ失格、喜多方ラーメンの絵を撮ることができませんでした。
眩い喜多方駅に誘い込まれるように入っていくと、構内には朝の猪苗代湖駅と同じようにストーブが置いてあり、とても暖かいのでした。服を乾かしながら、キオスクで今日の夕飯を探します。パンくらいしかありませんでしたので、せめて地元を応援する意味を込めて、よく駅の売店にある駒田屋本舗さんのみそぱんを食べたく思いましたが、残念ながら売り切れていました。それでも、ストーブで体を温めていると、かなり気持ちが回復してきました。私はすべてを楽天的に考えることにして、車の代理店担当者からの連絡を待ちました。紅白歌合戦が始まるまでにはホテルに帰りたいものでした。
構内に「会津まほろば街道」の絵地図がありました。「ここ会津は1500年の歴史と文化がいまも色濃く残るまほろばの里です」
大和朝廷の時代から北方の窓口として、農作物や文化の交流が盛んに行われたと記されていました。「まほろば」という言葉が私は好きで、いつか青森編を書いた時にも、地上のユートピア、理想郷としての「まほろば」に深く感銘した記憶があります。ここも、青森と同じように、大いなる自然の恵みにより栄えてきた私たちの「まほろば」なのだなぁと思うと、何やら大切なことを思い出したかのように懐かしく、嬉しく思えてくるのでした。
20時が近づいた時、不意に立ち上がりました。ザックと三脚を担いで、ホンダのところへ戻るために、歩き始めました。明るくて暖かいこの場所で待っていたほうが賢明だという思いが過ぎりましたが、なぜかそれでも戻らなくてはいけないと思ったのでした。今すぐホンダのところへ戻らなくてはいけません。
夜の喜多方を歩き始めました。来た時と景色が違って見えて、道を見失い、またGoogleマップのナビのお世話になりました。雪深い道を示され、せっかく乾いた足がまた雪に埋もれます。雪を踏み、雪に滑りながら、やっと車を置いた場所のすぐ近くのスーパーまでたどり着くと、ちょうど携帯電話が鳴りました。
「今どこですか? 現地に着きました」
郡山営業所の担当者からでした。「今すぐ戻ってきてください」
鍵がなくて車で待てないのは分かっているはずでした。雪から避難している私を迎えに来て、郡山まで運んでくれる、という当初描いていた想像からすると、予想外の突き放された、ただならぬ気配を感じました。
私は意外に思ったものの、すでに覚悟を決めて、歩き始めていましたので、あっさりと返します。
「すぐに着きますよ。近くにいますから」
ここで諦めたら本当にジ・エンドです。絶対見れないと誰が笑おうと、それでも日の出を見に行かなければいけませんでした。
ホンダを置いてきた駐車場に3人の男たちが立っていました。雪まみれの私は西部劇のヒーローのように、颯爽と登場します。一番ガタイの大きな1人が車の中に入り、エンジンをかけて、「全然なんでもありませんよ」と驚いたような顔をして言いました。
「さっきは確かに動かなかったのです。ここのEPSの警告灯が着いて、発進できませんでした」
「そうですか」と不審そうです。
彼らは代わりの車を運んできてくれたのでした。同じメーカーの同じ色の同じ車種でした。
動くのならば、変えてくれなくてもいいと伝えると、さっきは不審そうな顔をしたくせに、慌てて手を振って、
「いえ、でもまた何かあると困りますから」
失くしたキーはあとで請求書を送らせてもらうかもしれないと言われて、ここで初めてキレました。
時間を無駄にしてしまったこと、寒い思いをして待っていたこと、喜多方ラーメンを食べ損なってなんのためにここまで観光に来たかわからなくなったこと、半ば自分のせいであることをつらつら並べて、本来ならばレンタカー代を返していただきたいくらいだ、と強気に出ました。その上で、キーをなくした弁償代はそれらと相殺していただけると助かります、とお願いしました。
「あくまでも希望ですが、考えていただけるとありがたいです」
「わかりました、検討しますので・・」
3人はそのまま、あっさりと、ではこれで、と帰って行きました。彼らが消えると、あたりはまた真暗になり、雪の夜の闇の中に、私とホンダ2号が残されました。
ライトをつけて、カーナビを設定します。これで初日の出を見に行ける、早く帰って、体を休める必要がありました。少しでもいいから紅白歌合戦も見たく思いました。(年の瀬らしい雰囲気を味わいたかったのです)この時間ならば道は空いていることでしょう。
ところが、ホンダ2号のカーナビは、高速道路をゆくルートしかはじき出しませんでした。前のホンダのカーナビと違い、ひとつのルートしか提示してくれません。道を選ぶことができませんでした。これはたまたま喜多方から郡山までの道のりがひとつのルートしかなかったというわけではなくて、どこの道も、翌日になっても同じことでした。そういう不思議なカーナビでした。
その時はそうとも知らず、私は焦って、半ば気が狂ったように、必死になって別のルートを探しました。どうして、こんな疲れた1日の最後の、しかも吹雪の夜に、人生初の高速道路を経験できるというのでしょうか。
何度設定しても、ホンダは高速道路しか示しません。今度の相棒はどうしても私を高速道路に連れて行く覚悟のようでした。たとえそれが最短のコースであり、最善の選択であろうとも・・
私は恐怖で身を震わせました。
カーナビから始まった受難は、今まさに山場を迎えていたのでした。
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