鉄道に乗って東北へ出かけよう! その③ ~青池のリベンジ~




 年配の男がこちらを見やり、腰を浮かしている。
 十二湖駅構内に備え付けられた木製の椅子に荷物を置いて、快速電車のタイムテーブルを調べていた。そこに私たちの声を聞きつけたのだ。
 紺のスラックスに白いシャツ、ノーネクタイ― 手入れのされていない白髪交じりの髪の毛、小柄でくたびれた様子。後で聞いたところK氏は取引先へ最後の挨拶をするために訪れていた引退したばかりの社長さんだった。
 が、この時は、とても高級住宅地に家を持つ身分とは思えない。後で私は名刺を見て飛び上がるほどに驚いたものだった。

 「いや、秋田から新幹線で今日帰るんですが、秋田行きの急行が来るまで時間が余りまして。よろしかったらご一緒していいでしょうか」

 私とF子さんは、K氏が最後まで言い終わる前に、
 「あら、じゃあ一緒に」
 「どうぞどうぞ」

 気持ちよく向かい入れてくれてありがたかったと、帰宅してからK氏からメールが届いた。感情を表情にも声にも出さない方らしく、まったく気が付かなかったが、この時の私たちの対応がよほど嬉しかったようだ。
 秋田行きの快速急行が到着するのは11時台と16時台、現在が9時なので、じゃあ2時間ほどガイドしましょうかとF子さんが尋ねると、一緒でいいですよと事も無げにいう。私が乗車する弘前行きのリゾートしらかみが到着する13時まで、一緒に観光することになった。

 F子さんの車にK氏と3人で乗り込んだ。F子さんは観光しやすいように自分の車を用意してくれていた。
 K氏は車の中にブリーフケースとジャケットを置いて、代わりにVネックのブルゾンを着込んだ。これがまた(鞄にしまっていたのだろう)しわくちゃで、手荷物を入れたビニール袋といい、なんとも貧乏臭い。さすがに違う、物腰が社長さんっぽい、と人のいいF子さんは大喜び、私もはしゃいで見せるのだが、彼が見せてくれた免許証や名刺は偽物ではないかといまだ信じられない思いでいるのだった。
 
 車を青池傍の挑戦館の駐車場に止めて、森の中を歩き始めた。まずは青池へと向かう。
 途中、鶏頭場の池の岸まで降りていった。崩山の天辺が見えている。
 この崩れ山の途中の崖崩れから12の池が見えることから、十二湖と呼ばれるようになったという。



  

鶏頭場の池から崩山を望んで

残念ながら紅葉は山桜がかろうじて染まっているくらい

親が倒れた桂の木(白い倒れている2本)子供の樹を1本道連れに



 案の定、森はまだ染まっていなかった。もう少しは色付いているだろうと思ったが、意外なほど、青々と茂っていた。
 「例年でも紅葉が始まるのは10月の半ば(来週)くらいからだよ」 
 F子さんが当たり前のようにさらりと言うので、私も残念に思ったりショックを受けたりする以前に、見れなくて当然、という思いを自然と受け入れることができた。

 そうか。白神は染まっていなかったか。

 ほんの少し、寂しい思いがよぎったが、それも一瞬だった。見れないときは見れない。私は気持ちを切り替えて、1年半ぶりの白神の森の散歩を楽しみ始めるのだった。

 「今はきのこが美味しいよ」
 地元の人は朝、白神の森に入ってきのこを取るのだそうだ。「(見えるところの)木に残っているのは、みんなまずいのばかりだからね」と笑っている。彼女も今朝早くに、ちょうど今歩いている道の奥まで、ご主人と一緒にきのこを取りに来たという。
 これは想像でしかないのだが、もしかしたら、F子さんは下見をしに来たのではないだろうか。いや、純粋にきのこのせいだったかもしれない。けれど、道の途中で、彼女は宝石箱から取り出すように、昔話を聞かせてくれた。

 「初めて、ガイドを頼んでくれたお客さんのこといまだに覚えている。それから初めて、お礼の手紙をくれたお客さんのこと」

 10年前、初めてガイドの仕事を始めた年、彼女のお給料はいくらだったか、笑ってクイズを出すのだった。年収100万円くらいですか? 私が答えると破顔して、手を大きく振りながら、

 「まさかそんなわけないでしょう~ 3万よ、3万」

 仕事がない日々、F子さんは毎日毎日、白神の森を歩いたのだそうだ。山を道を誰よりも知ることができるように、ここを訪れた人たちに満足のいく道案内ができるように。この道を行くと何分で付くか、道を知るだけではなく、所要時間も肌で知ることができるよう何度も歩いて叩き込んだ。
 また、どうすればこの好きな仕事でお金を得ることができるのか、毎日必死で考えたのだそうだ。
 そんなF子さんのことだから、もしかしたら・・ そう思ったのは、青池の一件もある。

 前回訪れた時、青池が日で陰る2時過ぎ辺りから森を歩き始めた私は、決して最高とは言えない青の色を目にしたのだった。今回は朝早くから訪れた。綺麗な青の色が撮りたい。リベンジができると意気込んでいたのであった。
 F子さんは青池の直前で私たちを足止めして、ここから見て、と促した。

 「深い青の色でしょう。ここからだとよく見える。この時期特有の沈んだ青の色、これも貴重だから」

 少し早口で言う。心なしか、顔付きまでこわばっているように思えた。私は紅葉が見れなかったことより、よほどショックを受けたのだった。青池は私が思い描いている青の色とは程遠い、暗い、濃紺の色を晒していた。

 


青池 明るく撮りたくてとハイキーにすると樹木が白飛びしてしまう

沸壺の池

落口の池の前の水場 日本名水百選に選ばれました

落口の池



 青池は青インクを流し込んだような美しさで、水中には枯れたブナが横たわり陽光と見る角度によって、千変万化する幻想の世界が広がると言われている。私は青池の写真を何度も目にしていた。ウェブの写真や、大好きなブロガーさんの記事で。旅行会社のカタログで。それで、もしかしたら実物以上の青の色を頭の中に創り上げてしまっていたのかもしれない。それにしても・・

 前回は、青池に陽が射し込む時間を過ぎたから失敗したと思っていた。確か2時過ぎから陰るのだと聞かされたのは、F子さんからだったと思う。しかし今回は、陽が射し込んで眩しすぎて、暗く映るのだと言うのだった。「もう少し曇ると青く見えるんだけど・・」
 季節によって陽光が変わるのだろう、また角度や見る場所によっても違うだろう、千変万化なのが青池だというのに、私は納得できなくて、どんどん険しい表情になった。

 「う~ん」
 写真を撮りながら唸っていると、F子さんがどう? カメラのモニターを覗き込む。あまりに酷くて見せられなくて、急いで手元に引き寄せて隠してしまった。
 「さっきの女の子、インクを垂らしたような綺麗な青だったよ」
 ますます焦った。けれど、何度撮っても、青インクの色は出せそうもなかった。あまりにしつこく撮っているので、もう大丈夫? とガイドするF子さんを気遣わせてしまった。
 その間、彼女は青池をバックにしてK氏を写真を撮ってあげている。私はと言えば、K氏のこともすっかり忘れているのだった。

 「もう大丈夫です。(もう撮り終わりました)」
 「撮れた?」
 「・・またリベンジします。」
 「そうだよ。また来てって、ことだよ」

 明るく笑いながら慰めてくれた。
 青池を見終わると、またしばらく森を散策して、十二湖の休憩所でサービスのお抹茶とお菓子を頂いた。F子さんは車を取りに先に消える。私とK氏が残された。
 休憩所を出て、落口池の前のベンチに座る。散々の写真のあとで放心気味の私と、K氏はポツリポツリと会話を始める。ベンチの前には1本の樹木・・あれは何の木だろう、3mほどの中木の枝に胸元の羽のオレンジ色が鮮やかなヤマガラが数羽、飛んできては小刻みに跳ねて、かしましく鳴いているのだった。

 「・・さんはご旅行によく行かれますか」
 「行きますが、日本は見たいと思う素敵なところがたくさんあるので、一生かかっても全部見切れないのではないかと思います」
 「この間、先月です。スペインに行きました」

 K氏は9月にご家族で旅行したばかりだといいう。スペインから大型のクルーズ客船でモロッコのカサブランカに行かれたのだそうだ。コンデジを取り出して、その時の写真を見せてくれた。
 豪華客船のスイートの部屋。マダムのような上品そうなご婦人と氏の母親、それから綺麗な娘さん、真青な空に白い船が映えている。
 K氏は別人のようだった。きちんと髪に櫛を入れて、着ているものも、いかにも社長の普段着、というような落ち着いた色のトラディショナルなカジュアルスタイルだった。
 スペイン、カサブランカ、そして豪華客船の写真を目の当たりにして、私はやっと、氏が免許証通りの住所に住み、名刺通りの肩書きの人生を歩んでいたことを信じたのだった。

 なんと人の見る目のないことか、物腰では理解できず、見た目で疑って、そして、写真を見せられてやっと思い知る。それだけの力を持つ写真であるのに、私は紅葉はおろか、青池の青インクの色さえ満足に撮れないのだった。海外なんて夢のまた夢だった。リベンジばかりで、こうも日本が撮れないのに、一体いつたどり着くというのだろう。

 「お~い!!」

 後ろから声がした。F子さんがあの明るい笑顔で手を振っている。車を回してくれたのだ。
 目の前に、こんなに良くしてくれる人がいて、夢に見た白神の森にまたやって来れたというのに、私はと言えば、自分を惨めに感じていたのだった。
 
 「これから青森のカッパドキアと言われている日本キャニオンを見に行くよ。それから樹齢400年のブナに会いに行きましょう!」

 F子さんは元気良く言った。
 

 


※④に続きます。明日夜か明後日朝にアップします^^また見てね~


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