夏の最後にあの町へ ~東逗子~神武寺鷹取山ハイキングコース探訪記~
番外編その3です。
ん? その4だったかな。このblog(一人旅日記)も、最近二人旅日記が増えてきました。
先週の土曜日は懐かしい町を訪れました。
私が小学校の1年生の時まで住んでいた東逗子です。
当時のことは、いつか日記にも書きました。
↓ これ。(忙しい人は飛ばしてください)
我が愛しき商店街-ALWAYS三丁目の夕日-
以前も一度訪れているんですね。そのときは、幼い頃とはまったく違う町になってしまった印象がありましたが、驚くことに、先週久しぶりに訪れて、姉とふたりでまじまじ見て回ったら、当時とほとんど変わりのない場所がたくさんありました。
また記憶をなぞるノスタルジックツアーのつもりが、新しい発見があったり、プチ恐怖体験を味わったりで、思いがけず愉快な体験をすることができました。
特に鷹取山ハイキングコースが楽しかった。
幼い頃、父と姉と3人でよく登った山です。もっと軽々と、ただ豊かな森の中を歩いていた記憶しかありませんが、今回登ってみたら、急斜面や鎖場が多く、「どこがハイキングなの?」というくらいに、意外にハードでした。
先ほど姉が懐かしい写真を送ってくれたので、新旧の絵を比べて載せてみたいと思います^^
とてもいいところでしたので、時間があったらぜひ訪れてみてくださいね!
・逗子の観光 ハイキング (逗子市オフィシャルウェブより)
・鷹取山おてがるハイキング
・神武寺から鷹取山
ではスタートです!
横須賀線の東逗子駅でおります。
ここで降りるのがもう20年ぶりくらい! 懐かしいです。
けど、降りて直後はどっちがどこかさっぱりわからない。きょろきょろ辺りを見回して、連絡階段を上り、上から見下ろします。海側と山側を見て、懐かしい踏切を見つけると、やっと記憶と繋がります。
こちらが海側です。父が車や自転車でよく逗子海岸に連れて行ってくれました。
こちらが山側です。(山側=鷹取山がある方角のことです)
逗子は町の中に里山がたくさんあるんですね。ごく普通に町と山が入り混じって共存しています。
姉の乗った電車が到着です。
来ました、来ました。
ホームの一番端っこからヨチヨチ歩いてきます。 |
最新式?の近未来的なエスカレーターを降りてきました。 |
訪ねてきたよ!東逗子。 |
ふたり揃ったところで、記念撮影。
東逗子の駅名標識の前でポーズを決めてみます。
駅前です。駅舎が昔のままです。古い木造の骨格がチラリと見えていました。
懐かしい線路。この向こうが鷹取山ハイキングコースの表参道の入口です。
駅の構内にある神武寺、鷹取山ハイキングコースの略図をパチリ。里山が連なってますね!
駅から自宅へ向かう途中の商店街、この道の左手あたりに文房具屋さんとケーキ屋(パン屋?)さんがあったんだけどなぁ。
懐かしい薬屋さんのサトちゃん。
ちょうど住んでいた家の裏を流れていた川、川辺がすっかり舗装されて、川沿いに歩道まで出来ていました。
神武寺橋を渡ると、私が住んでいた家のすぐ前の道路(県道24号)です。
ありました! 「はち理容店」があったところです。
今は当時お隣にあった下駄屋の大家が工務店さんをしていらっしゃるようでした。 |
おしゃれな外観にすっかり変わっているように見えましたが、よく見ると構造が一緒。改築しただけで、家自体は当時とまったく変わっていないようでした。
「はち理容店」の脇の路地。ここをから裏口に行くと、家に上がる扉がありました。
また路地裏にはちょっとしたスペースがあり、子供達でよくそこで遊びました。
裏手の川へ降りる道もありました。
現在は隣が駐車場になっていて、運良く「はち理容店」の裏側を見ることができました。
当時の川は立派に鋪装されていて(さっき見た川です)、金網もしっかりです。これではもう降りられませんね。
住んでいた家を見たので、今度は学校と通学路を見に行きます。
県道24号の歩道橋をわたって、沼間小学校へ通っていました。
この歩道橋の脇の道をはいります。 |
懐かしい! と踏んでみます。
見上げてみます。
もっと大きな階段に見えましたが、意外と小さい(狭い)歩道橋ですね。
逗子市立沼間小学校。懐かしい。グラウンドもそのままです。
幼い頃、入学式に記念撮影した場所でパチリ。桜の木の下です。当時と同じ格好をしてみたつもりです。
桜の下でポーズをとってみる。 |
これが当時の写真。桜も小さいですね。 |
水飲み場もそのままとのこと。私はあまり記憶がありませんが、3年近く通った姉がいろいろ覚えていてくれました。
沼間小学校から今度はその前に通っていた沼間愛児園に。
二子山ハイキングコースの手前から折り返して、戻ってくると、この道に出くわします。
右が保育園に行く道、左の下り坂が「はち理容店」のまん前に戻る道です。
当時は大きな坂道に見えましたが、歩道橋と同じでこちらも小さい。実際は、細い道でした。
保育園の通学路です。坂道を振り返ってみたところ。 |
高台の住宅街をしばらく歩いて、もう一度上の写真のカーブしている坂道を降ります。そうすると、当時良く通った駄菓子屋さんがありました。
その駄菓子屋さんで、迎えに来た母や姉によくお菓子を買ってもらいました。
私はわがままな子供で、買ってくれないと絶対帰ろうとしませんでした。ずいぶん粘って母親を困らせていたようです。
「ひどいんだよ~ 一人でアイス食べながら帰ってきたんだよ」
姉がぼやいていました。私の分はないのか、と母に文句を言うと、逆ギレされたそうです。
「しょうがないでしょ! 〇〇(私の名前)はきかないんだよ!」
駄菓子屋さん、もう営業はしていないようですが店が残っていました。 |
沼間愛児園。私が卒園する年にこのピンクの校舎を新しく建てました。 |
入口です。出来たてぴかぴかだったのに!レンガとかタイルとか年代を思わせますね。 |
校庭です。ここで運動会を行いました。 |
沼間愛児園の前から東逗子の町を見下ろします。高台に立っている家がたくさんあります。
通学路の標識がじんときます。 |
駄菓子屋さんの横をまっすぐ行くと、先ほど降りてきた坂道。ここをよく通いました。母や、姉と一緒に歩きました。
ひみつのアッコちゃん、魔法のマコちゃん、仮面ライダーが放送されていた時代でした。駄菓子屋さんでアッコちゃんのコンパクトを買ってもらって、大喜びしながら帰ったそうです。(姉談)
アッコちゃんのコンパクト。懐かしいですね。 |
坂道の手前が橋のようになっていたので下を覗き込むと、最近はあまり見かけない水路がありました。こんな小さな川が当時は住宅街の中によくありました。
「あそこ(東逗子の町)の川ね、ホタルもいたのよね」
帰ってから母に東逗子に行ったことを話すと、この辺りの川のことをよく覚えていました。
ホタル・・ 覚えてないけど、たくさんいたのかぁ、感慨深い思いがしました。
一巡して、また「はち理容店」の前に戻ってきました。学校も、保育園も、懐かしい商店街に道の数々が、すべて自宅から半径2、300m程のところにありました。どこもすぐそばです。こんなに密集していたのですね。
子どもの足で行けたところなので当たり前かもしれませんが、幼い頃は遠く感じました。特に保育園、母の店のある自宅や姉の学校とはすごく離れたところにあったように記憶しています。これも小さかったからそう思えただけだったのですね。
この建物も当時のまま。自宅から3軒先にありました。たしか当時は銀行だったと思います。今はリフォームの会社のようです。
あ、この青いバスも懐かしいですね! 京浜急行さんです。
京浜急行バスです。これでおばあちゃんの家に行きました。 |
駅の前に大きな公園があり、夏祭りをしたものですが、今は半分位の広場になっていました。コンビニと幼稚園が左右に出来ています。
本屋さん、レコード屋さん、ラーメン屋さんと、並んでいた駅前の商店街、今は大きなマンションが建って、その1階がお蕎麦屋さんになっていました。
ちょうど雨が突然どしゃ降りに降ってきました。雨宿りも兼ねて、お蕎麦屋さんで少し早目のお昼を頂きます。
鍋焼きうどん食べました。少ししょっぱい・・あと麺のこしがなさすぎるようです。 |
お蕎麦屋さんを出ると雨はすっかり上がり、空はまた青空を取り戻していました。この日はめまぐるしく天気が変わりました。
さて、ぐるり駅前を一巡したところで、次ははち理容室の前に住んでいた、やはり沼間の家を探しに行きました。
覚えているのは姉だけです。学校からその家まで時々一人で歩いて帰ったそうです。
私は2歳か3歳くらいでしょうか。その家の前の川で遅くまで遊んでいて父に怒られた記憶がかろうじてあるくらいなので、姉の後を大人しくついていきます。蝉が騒がしく鳴いています。
朝顔が綺麗に咲いていました。 |
私の大好きなセセリチョウを発見! |
可愛いですねぇ。小さいです! |
ここからは写真がありません。沼間6丁目まで歩いたんですが、けっきょく、以前住んでいた場所はわかりませんでした。
そこは小さな平屋の家でした。すぐ前の道路に、母がホタルを見たという例の小川と、それから防空壕がありました。
防空壕ではなくて、閉鎖されているトンネルのある、似たような景色の住宅街を見つけました。雨がまた突然降りしきって来て、気温が急に下がり始めました。
すごく寒くなって、見ると、アスファルトから冷気の煙が立ち上っている。
なにあれ。異常に寒い。足が重くなった。絶対、何かいる、という雰囲気が漂いました。
「幽霊って湿った空気が好きなんだよね~」と姉。
それ以上は怖くなって、探索できませんでした。トンネルの写真を撮ろうとしたら、
「何か写ると怖いからやめなよ~」
少し道を離れてから、辺りの様子を2枚ほど撮らせてもらいました。
この道の奥に、防空壕に似たトンネルが・・ |
姉の入学式の写真です。背景がその防空壕の道。 |
あの家はどこにあったのでしょう。しばらく店に通っていたからそう遠いところにある筈はないんですが。学校も保育園もコロッケ屋さんも、どこも近い場所にあったのに、ここだけは遠かった。縁がなくて、辿り着けませんでした。
帰宅してから母に訊いたら、「6丁目じゃないんじゃないかな。ええと、あそこはね、たるまんがそばにあるんだよね」
「タルマン?」
「タクシーに乗っても、タルマンと言えばすぐにわかるよ。大きな樽がいっぱいあるところで・・」
大きな樽屋さんがあったようです。インターネットで調べてもわかりませんでした。母はいまだにそこがあると思っていて、仕切りに「タルマン」を繰り返していました。
「すごいんだよ。樽がいっぱい並んでいてね・・ タルマンって言えばすぐに分かったのに・・」
タルマンさん、今もあるのでしょうか。何となく母のために、あってほしいように思いました。
6丁目を離れると、また直ぐに晴れてきました。夏の長閑な田舎の景色に早変わりです。
降ったりやんだり、忙しい1日でした。このあともう一度、激しい雨に降られるのですが、そのときも、いかにも落武者の霊でも出てきそうな古刹の中でした。その日の雨は、何か怪しい場所に近付いたときのサインみたいに思えたものでした。
さて、その雨にまた降られた鷹取山、神武寺のハイキングコースです。
東逗子の駅の横の線路を渡って、300mほど北上すると、神武寺の入り口があります。 |
まずは舗装された道。徐々に自然が深くなっていきます。
神武寺とハイキングコースの標識が至る所にありました。どれも年代もので、風情があるというよりは、うらぶれた感じ。
父と姉と3人でよくハイキングをした鷹取山です。
こんなに怖い感じだったかなぁ。もっと人々の集う明るい山だったという記憶しかありません。お土産屋さんも何軒かありました。ところが、この日登り始めると、人の匂いがあまりしない。
もう少し後になると、ハイキングの人たちに何人も擦れ違います。山頂から海を見渡す展望も楽しめます。しかし、最初はけっこう驚かされました。そう言えば、父も昔、姉にこう言っていたそうです。「(当時は自分がいたから行ったけど)あんなところ、女一人で行くところじゃないよ」
また豪雨が襲い掛かりました。 |
道が水に浸って歩きづらいです。山門でしばし休憩します。 |
薬師堂の赤い山門が登場しました。 |
なかなか古くてかっこいいです。 |
足場が悪い中、姉も恐る恐る山門をくぐって11やって来ました。 |
本堂(薬師寺)の前でポーズ。 |
レンズがすっかり曇ってしまいました。境内は雨のたまりが出来ています。 |
薬師堂の横の地蔵堂 |
樹齢400年のホルトノキ、別名なんじゃもんじゃの木。 |
薬師堂の山門で休憩していた地元の人らしきおじさんが、いろいろ教えてくれました。
鷹取山に行くの? 雨だからよした方がいい。靴の裏を見せてごらん。あんたはまだいい、あんたは・・それじゃ滑るよ。どうしても行くなら、1時間くらいかけてゆっくり行くといいよ。普通なら20分の登り下り、それを過ぎると平たんな道になるからね・・
小降りになってきたところを見計らって、また鷹取山ハイキングコースを進みます。
おじさんが教えてくれたように、滑りやすい石畳やごつごつした岩の道が続きます。
岩の急斜面、この道がトラバースになっていて、すぐ下は谷の斜面です。岩道を滑ったら、そのまま谷に転落してしまいます。
標高139m、幼い時分にハイキングに行った小さな山という記憶なので、登山用の靴など履いて行きませんでした。
ずいぶん危ないところだったんだなぁ。姉が手を引いてくれました。ところどころ危険なところで手を取りあって、何とか、無事やり過ごします。
海が見えてきました。
ん? これ、何だろう? 日本?
またありました。「日本道路」と書いてあるんですね。
この石柱は、日本道路公団が鷹取山の下にトンネルを建設するために立てたものだそうです。石柱の真下を横浜横須賀道路という高速道路が走っています。
・鷹取山
・鷹取山で遊ぶ (鷹取山の全景が見れます)
土がえぐれていました。 |
ここも滑って怖かったです。 |
岩が多いです。 |
ここも岩と岩の狭い隙間をくぐるように進みます。 |
ここで景色が開けて、見覚えのある岩がありました。
よく父と姉と休憩した場所でしょうか。当時は海が見えたようですが・・ いまいち展望が違うようです。でも、岩の形が似ています。
写真をトリミングして、岩をクローズアップしてみました。
山頂の公園で休んだあと、もう東逗子には帰りませんでした。もう充分楽しませてもらいました。鷹取山から、真直ぐ進んで、追浜駅から帰宅します。
楽しかったです。懐かしい町も見たし、姉と二人で出かけるのも何年ぶりかという感じでした。
夏の最後の思い出もできました。
「こうやって戻れるところがあって良かったね」
姉が言いました。
20年経ったら、また訪れてみたいと思います。
私たちの田舎、原点の懐かしい町。
また思いもかけず、変わらぬ姿を見せてくれると思います。
ちなみに、夜景もいいみたいですよ^^
・鷹取山公園 (感動大夜景より)