葛西臨海公園で陽を浴びて。



  金曜夜七時の「太田光の私が総理大臣になったら …秘書田中。」と言う番組にホリエモンこと堀江貴文が出ていた。
 「お祭り騒ぎみたいな状態だったじゃないですか。当時を振り返るとどうなんですか」
  と言うようなことを太田光さんに訊かれた堀江さんは、う~んと少し考えた後こう答えた。
 「一番良かったのはね、僕って人見知りなんですよ。知らない人と喋れないんです。でもあの時は誰もが僕を知っていたでしょ。だから誰とでもやぁって挨拶してすぐに仲良くなれて、人々からいろんなことを学んだり吸収できたりした。世界が広がったわけです。」(録画してなかったため正確な言葉ではなく大意です)
  思わず唸った。あれだけの騒動を巻き起こし、投資家のみならず一般国民すべてを巻き込んで、お金の話だけではなく、彼らの些細な夢をも打ち砕いて失望させた張本人が、元来人見知りである自分の世界が広がった、それが一番良かった、などとぬけぬけと言うのだ。もしも私が虎の子の貯金を注ぎ込んでライブドアの株を買っていたら、この瞬間テレビの中の彼を殴り倒したくなったかもしれない。彼の世界を広げさせるために私は金と希望を奪われたのかとがっかりするだろう。
  番組の対談のテーマは定額給付金をどう思うか、しいては資本主義経済をどう考えるか、と言うような内容で、「資本主義経済はもう終結を迎えていると思うんです!」と語気を荒げて捲くし立てる太田さんを尻目に堀江さんは涼しい顔。
 「いやいや、僕は終わっていない(終わらない)と思います。不況不況だと言っててもまた何年かあとにはバブルの時代とかがやってきて、あの時は大変だったね~なんて思い出話を語りながら国民たちはみな平気な顔をしているんじゃないですかね」
  それが資本主義の社会と言うものですよ、と言わんばかりにしれっとしている。ライブドアで損害をこうむった人々のことも多分同じように考えているのだろう。
  たいした玉だ、と感心せざるを得なかった。脚光を浴びる人間はやはり違う。
  私はというと脚光を浴びるのが大の苦手である。陽のあたる場所を避けるように生きてきたと言っても過言ではない。
  別に日陰者を自負しているわけではないが、目立つのが嫌いなのだ。堀江さんと同じように人見知りでもあることだし、輝いている人の邪魔をしないように、ひっそりとだけど穏やかに生きていたい。だけどたとえ好きでそう生きていても、それが当たり前と言う扱いをされると少々面白くなかったりもする。日陰の私に誰も気付かず、まるっきり透明人間のように扱われてははなはだ悲しい気分になる。普段は地味に生きていて、だけど時々気まぐれに、ふと気が向いた人々からスポットライトの前に引きずり出されたりする。嫌だなぁ、と思ってもそうやて周りからかまわれると悪い気はしないものだ。そして役目が終わるとすぐに引っ込んでまた地味に生きる。この「時々」の光がまったくないと、目立たない人生と言うものはかなりつらいものかもしれない。自殺をしたり、誰でもいいから人を殺して、自分の存在を周りの人々や世間に知らしめたいと思う人たちの気持ちもわからなくはないのだった。
  土曜の今日、江戸川区にある都立葛西臨海公園に出かけてきた。
  先週三浦の水仙祭りに出かけたものの、海ばかりを撮ってしまったので、リベンジである。都立葛西臨海公園では明日の土曜日から水仙祭りが始まるが、今年は例年より暖かいため、公式サイトの情報ではすでに見ごろを迎えていると言う。私はリュックとキャノンを抱えて旅に出た。
  都立葛西臨海公園。隣接する海浜公園の人工渚と鳥類保護区、または核となる鳥類園に(バード)ウォッチングセンターと、まるで野鳥の楽園と言った様子が楽しめるこの公園は昭和60年1月から葛西沖開発土地区画整理事業の一環として着手され、平成元年度に(その一部約38ヘクタールが)オープンした。海沿いの歩道からは東京ディズニーランドが良く見える。大観覧車があるほか、多種多様な植物が植えられていて休日を中心に行楽地として賑わっているそうだ。(ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋)
  西葛西を降り立った私は臨海公園行きのバスを30分以上も待たされた。都心から地下鉄ですぐに行けるものの、ディズニーランドがすぐ傍に見えるだけあってやはり遠いようだ。それでも行った価値があった。今まで行った都内の公園のなかではダントツに素晴らしい。まず広い、5つのゾーンがそれぞれ楽しく飽きさせない、人工渚の眺めが綺麗、園内の景観もいい、何より私の大好きな野鳥がいたるところにいるのである。ふと気がつくと隣をちょこちょこと歩いている。人馴れしているようだ。可愛らしいことこの上ない。難点はトイレに紙がなかったことくらいか。まぁあれだけの広い土地でのんびり出来て、美しい景色を見させていただいて、入園は無料、それくらいは自分で用意しないとバチが当たるかもしれない。


   



  展望広場の芝の上では人々が寝転んだり、凧揚げをしたり、キャッチボールをしたり、バーベキュー広場では大勢の人々が宴会の準備に追われ賑わい、恋人達は浜辺を歩き、池の周りや渚橋では音楽を聴きながらマラソンする人や学生達に出会い、大観覧車の傍の芝生広場では何組もの家族連れが集っている。年老いた夫婦も多かった。お互いをいたわるように園内をのんびりと歩いている。憩いの場として地元の人たちから愛されている様子がすぐに伝わってきた。みな笑顔が絶えない。
  不況不況と言っていても・・と堀江さんの言葉がよみがえるのだった。年末年始を日比谷で生き抜いた人たちや、今も陽のあたらぬネットカフェで難民を続けている人々、それからあの秋葉原の無差別殺人犯だってここに連れて来てあげたいものだ。少しはましな気持ちになっただろうに。



   



  私は陽を避ける自分のことを考えている。一刻も早く意識を飛ばしたくて、朝から飲めないお酒を飲んでいた日々とか、その部屋の暗さとか、無益な学生時代とか、それから子供の頃のサッカーの試合とか。
  あれは小学生のときだった。体育の時間にいつもサッカーの試合をしていた。クラスの女子はふたつに分かれて、今思うと自習のようなものだろう、先生の姿が記憶にない。運動が苦手な私は輝くクラスメイトたちの邪魔をしないようにいつも後ろをくっ付くように走っているだけだった。ひときわ輝くヒーローは運動神経抜群の人気者、彼女がボールを蹴って走ってくれば、私はお体裁のように立ちはだかってすぐに抜かれてしまう。フェイントをかけて何人も抜き去ってはゴールに向っていく彼女は喝采の視線を浴びて。きらきらと輝き。ボールはゴールネットを揺らすのだった。
  お決まりのいつもの時間、そうやってやり過ごしていた私にある日戦力外通告が下された。私のチームはディフェンスとしてさえ何の役にも立たない私をいらないと言い、私は今まで敵として戦っていた相手チームのメンバーになった。たぶん、誰かが風邪で休んだかして、人数あわせも合ったのだろう、私は当時仲良しだった五人組の仲間とも切り離され、私的には居心地のいい慣れたポジションから剥離され、新しいチームの面子からはどうでも良さそうに受け入れられて、何だか悲しい気分になったものだ。
  ゴールの前に、まるでゴールキーパーのただの暇潰しの話相手であるかのように配置された私は、チームが攻めている間ずっとぼそぼそとお喋りしている。キーパーのクラスメイトと並んでいる。そのとき、運動神経抜群の彼女がディフェンスを抜いて向ってきた。ひときわ輝いて、私には彼女の周りがスポットライトに見えたのだ。突然走っていって、彼女と向き合った。フェイントに食らいついて、どきんと言う鼓動を感じながら思い切って足を伸ばすと、何のまぐれだろう、彼女の足元にあったサッカーボールが消えた。はっとした表情。彼女も私も驚いていた。私の方が一瞬立ち直りが早かった。すぐに逸れたボールを追って奪う。そのまま蹴って相手ゴールへ進んでいく。5人組の仲間がディフェンスに入った。もみ合うようにして友人をも避け、走って、走って、私は味方にボールを送る。パスは繋がらなかったように思う。もしかして繋がってゴールをしたかもしれない。が、点は入らなかった。それでも私はこの出来事に高揚して、そのまま攻めに転じた。さっきまで話をしていたキーパーは暇を持て余すように立っている。今日はずいぶん待ち時間が長いようだと。
  試合が終わると私は笑顔だった。ずいぶんの活躍をしたようだ。これで仲間のチームも私を認めてくれて、呼び戻してくれると思っている。ね、私だってなかなかやるでしょう。うん、すごいよ!○○!これからはずっと一緒に戦おうね。期待の言葉と裏腹に、笑顔で駆けつけた私に仲間の一人が言った。苦々しそうに、顔を歪めて。
 「相手のチームだと頑張るんだもんなぁ」
  やっぱりと確信したかのような。なぜいつも私達の邪魔をするのか、と言いたそうな表情だった。
  



 
  



  堀江さんは最後にこう訊かれた。
 「あれだけ脚光を浴びて散々持ち上げられて、それから急に落とされ非難を浴びて、どうでした?なんて勝手なんだろうとか思いませんでした?それともそれがあるから今があるとか、肯定的に考えているんですか」 
  またしばらく考えて、例のようにしれっと言うのだ。
 「まぁ、そんなものですよ。それが世の常と言うかね。いちいち考えたり感じてたらやってられないでしょう」
  彼はこれからは焦らず、急がず、のんびりと穏やかに生きていきたいと言葉を結んだ。
  臨海公園の日本庭園や鳥の観察窓の向こうでは梅の花が咲いていた。
  1月とは思えない麗らかな陽射しを浴びて、人々が歩き、笑っていた。ジャケットが暑く感じられるほど暖かい。
  恋人同士と。父と母と子供と。仲間と。いたわりあう年老いた夫婦と。資本主義経済による勝ち負けも、時代の寵児も、創られたスポットライトとも無関係なところで、彼らは一様に陽を浴びて輝いていた。
  臨海公園の入園は無料だ。ハクセキレイが私のすぐ横の芝に降り立って小首をかしげている。
  愛らしいその姿にカメラを向けて、私は今ここにいられることの難しさと幸運とをかみ締めている。




(徒然日記 2009年1月18日)

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