人間は考える葦である。



 人間は自然の前では葦のごとく無力な存在だが、それを知っている限り偉大である。
 そうパスカルが言ったのだそうだ。
 Penseeを読みたくて、本屋を2軒回った。
 3件目は行っても無駄だと思われて、引き返した。
 初めからamazonで買うべきだった。
 
 本来、人間は愛に満ちたイキモノである。というか、そもそも怠け者で、放っておけば食っちゃ寝て、他人と遊んで、笑って、それで満足してしまうので、自分たちが生きやすい楽園的秩序を作り上げてしまう。
 それでは、ちょっとだけ困る者たちが、人間に憎しみと競争心を植え付ける。
 「弱肉強食のエゴイズムの秩序」なるものが、そこに生み出されて、そして人間を管理しやすくなるのだそうだ。
 この「困る者たち」のことを見識のあるものは「〇〇ペンタゴン」だとか、「闇の支配者」だとか、「〇〇ロビー」だとか、実に様々な呼び方をする。
 それとは別に、私はネットに巣食う魔物のことを考えていた。
 彼らはインターネットを通して自己表現をしようとするものに、様々な悪戯を仕掛けるので、私はその可愛らしさから、彼らのことを「コロボックル」=「妖精」と呼んでいた。
 なぜ唐突にこんな話をするかと言えば、私と同じようにコロボックルを見える者のブログを読んだのだ。で、私は、この妖精の悪戯にあっているのは私一人ではなく、もしかしてネット社会の深淵を知るものの暗黙の了解なのではないかと思い始めた。
 なんだ、何も特別ではなかったのだ。誰にでも見えるものかもしれない。
 偶然見つけた「同類」は、思わずそう納得させるだけの、巧みな言葉と論理を以て、幻想を描き出していた。私はその知識と語彙の多さ、巧みさに舌を巻きながら、ああ、人間って「説明できないことなどないんだな」と感心したわけだった。100%信じてもらえない体験をしても、他者に理解できるように言葉にすることは可能なわけだ。
 しかし、感心すると同時に、私はある種の苛立ちを覚えて、もどかしくて仕方がない。
 「同類」は「困る者たち」、競争原理の秩序を以て人間を管理しようとする支配者と、このコロボックルを同列においているのであった。
 もちろん、彼は妖精などとは思っていない。「ストーカー」という言い方をしていたと思う。支配者の使い、回し者のような書かれ方をしていた。
 多くの見識者が認識する超人的な支配者と、ネットの中の悪戯者は決定的に違う。
 そう私は思うだけに、同類の混同に不快感を覚えた。
 
 そして、ふと疑問が浮かんだのであった。
 悪戯者が妖精ならば、闇の支配者が神であっても構わないではないか。
 もちろん神でなくても、悪魔でも、怪物でも異形の者でも構わないが。
 言いたいのは、超人的な支配者がもしも本当にいたとして、彼ら組織がただ大いなる力に操られているだけかもしれないと。
 で、「ストーカー」よりは、「コロボックル」のほうが、自身の味方と考えたほうがいいのと同じ理由で、私はどちらでも構わないならそれを善的なものだと考えたい。
  楽園から追放されたのが人間ならば、食っちゃ寝て、笑わせてなどなるものかと。憎しみと競争と、挫折と辱めと、ありとあらゆるハードな課題を与えて、乗り越えられるかどうか試されているのかもしれないと。
 〇〇ペンタゴンとか、闇の支配者よりは、そう考えたほうが私的には「生きやすい」し、「受け入れやすい」。
 そして、もしも両者が私にとって同じ善の存在ならば、ああ、そうか。両者は同列だとする同類の考えもここでやっと納得がいくのだった。
 今まで、識者の言う超人的な支配者を、人為的な、絶対的な悪の存在だと感じていたわけだが、同類の論理的に説明されたブログによって、私の感情に変化が生じた。
 私の味方(コロボックル)と闇の支配者、両者は相対するものではなくて、延長線のものかと。
 都合がよすぎるだろうか。
 しかし、そう思って、改めて世界を眺めてみれば、なんとまぁ、今まで私が闘っていたものの見当違いなあほらしさ。唯一の味方を叩いていたようなものではないか。
 これからは、すべてをお題と考えて、まずは問題を改善するための方法論を考えなくてはいけない。
  
 で、日本である。
 民主党ってまだ政権を握っているんだなぁ。
 あんなおバカな人とたちがこの国の中枢にいるってどうなんだろう。
 これを国民に与えられた試練としたならば、確かに、戦後こんなにひとりひとりが様々な問題を認識して、どうすれば日本がよくなるのか深く考えたことなどなかっただろう。おお、〇〇ペンタゴンよ、闇の支配者よ、そして神よ、偉大なはからいをありがとう。
 自虐的過ぎた日本は、今、保守的な良識あるものに護られる国へと変貌を遂げつつあります。
 そう感謝したいけど、試練を乗り越えられないまま、潰れてしまわないか?
 早く、一刻を争う、早く、覚醒した国民で一致団結して、考えましょう。
 あのおバカたちを中心から追い出す方法を。
 とりあえず、毎日私はネガティブキャンペーンをしてやろうとほくそ笑む。
 彼らのおバカさと醜態を、まだ知らぬ者たちに一人でも多くさらけ出して、理解してもらわねば。
 「同類」が証明して見せたように、言葉で伝えられないものなどない。
 「犯人」が証明して見せたように、ひとりの自問自答は、世界の自問自答となりうる。
 ネットという媒体が、「平成の坂本龍馬」だって、私は信じ始めているのだけれど、違うかな。
 味方を増やして、敵と敵を繋げて、さらに大きなものと対峙して、そしてすべてを統一する。いい方向へと導いていく。

 どうなんだろう。
 あなたの声はちゃんと届いているよ。
 今日はコロボックルが出てこないから、まったく見当違いのことを喋っているのかもしれないが、たぶん今日は他の人の人助けに忙しいのだろう。



 言葉遊びを楽しみながら、今日は写真遊びもしたわけだ。
 贅沢な一日だった。
 深大寺でと神代植物公園で紅葉を堪能。
 まだカエデ類は染まり切っていなかったが、秋の情緒(でももう晩秋なのね?まだ染まり切ってないのに・・)を楽しませていただきました。
 
 ↓ こんな感じ。


 IMG_8983② IMG_8984② IMG_8986② IMG_9002② IMG_9033② IMG_9042② IMG_9048② IMG_9052② そばパン美味しそうだね♪ ユリノキの枝が綺麗でした。 深大寺行ってきました。


 うちの会社の闇の、というより公の支配者=社長が昨日、こんな言葉を漏らした。
 「これからもっと忙しくなるからね」
 「俺は、外に出てばかりになるから、昼間はいなくなるよ。あまり仕事も見てあげられないけど」
 仕事じゃなくて、面倒だったか。
 頑張れよ、と励ましてくれたのだろうと、月を見ながら一服していた私の前に現れた社長はいつもと違って、しおらしくて、少し哀しげな様子で言ったのだった。
 それで私は知ってしまった。自分が(私に)嫌われていることを、彼が知っていること。同時に、私が社内で微妙な立場に置かれていることを知っていること。
 自分はいなくなるから安心しなよと。自虐的に自己を捉えながらも、それでも私を護ろうという気持ちを持っていることを。
 自分の存在を遠ざけたい、でも護れぬことに負い目を感じる。
 なんとまぁ複雑な父性愛。
 いつも人に憎まれる言葉ばかり漏らしてしまうことも、自分ではコントロールの効かない、忌々しい性分と捉えているのだろう。
 社長の哀しみと、複雑な庇護者という立場にしてしまった自分の性分、これもまた忌々しい―を同時に感じて、何とも言えない気持ちになった。
 もっと、自分が強くならなければ、人の哀しみを増やしてしまう。
 
 深大寺と神代植物公園を巡りながら、私は花鳥風月のごとく美しい秋の景色に心を奪われた。
 自然は美しい。
 落ち葉の道を鳴らして歩きながら、この自然が宿る地球に在ることの幸運を噛みしめた。
 どんなに人間が憎しみ合おうと、醜態をさらして、辱めを受けて、精神がくたびれようとも。
 休日に木々の美しさを、落ち葉の道を歩くだけで、またすべては楽園に戻っていく。
 食べて、寝て、笑って、遊んで満足しきるだけの、愛の秩序に引き戻されていく。
 
 ああ、でもそれは休日だけのことなのだ。
 だから、私は人間なのだ。
 いつか、この美しき世界が果て無く続く時まで、大半の時間を支配者に管理されて、精神を疲労させて、それでも誰かのネガティブキャンペーンをして、僅かな希望を紡いでいく。
 惨めなちっぽけな人間。
 
 天上はもっともっと美しいのだろうか。
 今日の私にはこれ以上の、この自然以上のものは要らなかった。